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第9話【対立と分裂】

──沈黙が、広間を支配していた。


森崎悠斗の死。その余韻が、場の空気に深く沈殿している。


誰もが目を伏せ、言葉を飲み込んでいた。

まるで不用意な声が、次の死を招くかのように。


椅子に座る神村詩音が、整った姿勢のまま、ぽつりと呟いた。



「……どうして、こんなことに」



誰かの責任を問うわけでも、感情を吐露するわけでもない。

それは、問いの形をした“観察”に近かった。



「何がどうなってんだよ……っ」



赤坂典孝が苛立ちを隠さず唸り、椅子から立ち上がる。



「誰がやった? 何のために? まさか、また死ぬんじゃねえだろうな?」



柏原が口を開くより早く、羽鳥綾子が凛とした声で遮った。



「落ち着いて。怒鳴っても、状況は好転しないわ」


「じゃあ何か手があるのか? ただ黙って死ぬのを待てってのかよ……っ」



赤坂の怒りが、一気に噴き出した。

理沙が身をすくめ、沙耶がびくりと肩を震わせる。


湊はゆっくりと立ち、赤坂の前に進み出る。



「誰かを責めても無意味だ。

 今、必要なのは、“何が起きたか”を把握することだ」



その冷静な声音に、赤坂は肩を落とすように息を吐いた。

だが、そのまま低く唸るように呟く。



「森崎は……確かに、軽い奴だった。

 でも、あんな最期……誰が、どんなつもりで“仕組んだ”ってんだ」



湊は、応えずに広間の隅へと視線を向けた。

神村詩音は、静かに膝の上で手を組んでいた。


その視線の奥にあるのは、悲しみか、共感か、それとも──

“観客としての冷徹さ”なのか。


誰の胸にも、ひとつの不安が膨らんでいく。

この中に、“もう一人の演者”がいるのではないかと──




「今さら“確認”なんて、意味ないんじゃねえのか?」



赤坂典孝がうんざりしたように吐き捨てた。

「誰と誰がいたとか、もう全部話しただろ。だったら──」



「……だったら、誰かを疑っていいってことですか?」



理沙の鋭い声に、赤坂は口をつぐんだ。



「確認はした。でも、“それだけ”で終わっていいの?」

柏原が、卓上の簡易見取り図を見下ろしながら言った。

「罠の仕組みは? いつ設置された? 誰がどのルートを通ってどこへ向かったのか──

 断片がそろっても、“繋がっていない”」


「……証拠もなしに、疑念だけ膨らませても意味はない」

羽鳥が、冷静な口調で応じる。

「問題は、“あれほどの罠が、短時間で設置できるのか”ってこと。

 そして、“それを見られずに済んだ状況”があったかどうか」



湊は頷いた。



「俺たちが各所を回っていた間、誰にも気づかれず罠を仕掛ける手段があったとすれば──

 犯人は、“あらかじめ準備していた”可能性が高い」



神村詩音が、静かに口を開いた。



「ならば、“その設置場所に詳しい人物”ということになりますね」


「この館の構造を知っていた人物か、もしくは──」

柏原の言葉に、羽鳥がかぶせるように続けた。


「館そのものが、最初から“舞台装置”として整えられていた、という可能性もあるわね」



空気が冷え込む。


沙耶が、小さく理沙の袖を引いた。



「……罠が、もともとあったってこと?」



理沙が静かにうなずく。



「もしそうなら……この事件そのものが、“偶発的”なんかじゃない。

 最初から、“誰かの演出”だったってことになる」



湊は目を伏せ、深く息をついた。



「“誰かが計画し、我々をここに招き、そして次々と演じさせている”。

 そう考えるのが、一番自然だ」



誰かの喉が、ごくりと鳴った。


この館全体が、最初から“罠”だった──

その可能性を前に、誰も軽口を叩けなくなっていた。



「でも、そうだとしても……やっぱり妙じゃないか?」



沈黙を破ったのは、赤坂だった。

腕を組んだまま、低い声で言葉を続ける。



「森崎が死ぬ前に、あの廊下──東側のあの曲がり角は、俺も一度見に行ってる。

 あんなピアノ線も、ボウガンも、見当たらなかった。

 あそこまで目立たねえとは思えねえ。……つまり、“後から仕掛けられた”ってことになる」



一同の視線が集まる。



「でも、それって──」

理沙が、思わず声を上げた。

「つまり、誰かが“森崎を殺すために”、あの直前に罠を仕掛けたって……」


「そうだ。だからおかしいんだ」

赤坂が力強くうなずく。

「そんな暇があったか? 誰が、いつ? どこから? 誰にも見られずに、あんな仕掛けを……?」



羽鳥が鋭く指摘する。



「赤坂さん。あなたはその場にいた。“誰かが仕掛けているところ”を見ていないのなら──

 それこそ、“もともと仕込まれていた”んじゃないの?」


「いや、そうじゃねえ」

赤坂は首を振る。

「断言はできねえが……ピアノ線が張られてたら、さすがに目に入ってたはずなんだよ。

 俺は用心してたし、目も光らせてた」



柏原が腕を組んで考え込む。



「……じゃあ、こういう可能性は?

 ピアノ線は“途中で引き出された”。

 もしくは、“その場に設置されていたが、何かで隠されていた”」


「あるいは、ボウガンのトリガーだけを仕込んでおいて、

 発動の瞬間だけ“誰かが遠隔で操作した”可能性もある」

湊が補足する。



神村詩音が、穏やかな声で問いかける。



「“遠隔で”? それはどうやって?」



柏原が静かに答える。



「ワイヤーの先を館の別室に通してあれば可能よ。

 その“別室”が、誰にも確認されていない場所だったなら──操作も視線の外で済む」



その言葉に、場の空気が再び冷たく沈む。



「……じゃあ、犯人はその仕掛けの“位置”を知っていて、

 かつ、誰にも気づかれず、その場を離れていた人物──」



理沙のつぶやきに、誰かが息をのんだ。


つまり、疑いは“計画性”と“知識”を備えた者へと向かう。


その矛先が、今、誰に向いているのか──

誰も、口には出さなかった。



「だが……そう思い込むのも、危険だ」



湊が、沈黙を切り裂くように言った。



「“罠を仕掛ける時間がなかった”という前提そのものが、

 俺たちをある方向に誘導する“演出”だったとしたら──」



柏原が顔を上げる。

湊は、見取り図を指差したまま言葉を続ける。



「“今そこにあったはずのものが、直前にはなかった”。

 それ自体が事実だとしても──

 それを“どう解釈させるか”は、犯人の手の内かもしれない」



広間の空気がわずかにざわついた。



「なるほど」



神村詩音がゆっくりと頷いた。

手帳を閉じ、組んだ指先を口元に添えたまま、言う。



「確かに、その可能性はあるわ。

 でも……そんなふうに全ての推理を“誘導”だと疑っていたら、

 私たちは一歩も前に進めないんじゃないかしら?」



その口調は穏やかだったが、

どこか試すような棘があった。


湊は目を伏せ、そして再び顔を上げた。



「ああ。……だからこそ、“一度立ち止まって振り返る”必要があるんだ」



一人一人の視線が、湊に向く。



「焦って次の推理に飛びつけば、また同じ罠にかかる。

 俺たちは、今まさに“考えさせられている”。

 森崎の死、あの装置、皆のアリバイ。

 一見、全てが整っているように見えて──

 “何かが、整いすぎている”」



柏原が、低く呟いた。



「……それも、“演出”の一部、か」


「だとすれば、“逆に不自然なほど整っている”場所、

 あるいは、逆に“誰も気づいていない隙”にこそ、

 本当の仕掛けが隠れているのかもしれない」



湊の視線が広間の壁へと向けられる。

古びた装飾、色褪せたカーテン、そして──見取り図に描かれていない構造。



「……見直そう。改めて、“この館そのもの”を」



言葉に、誰も返事はしなかった。


だがそれでも、彼の意志だけは、確かに場を揺らしていた。



「柏原、その図をもう一度」



湊が促すと、柏原はすでに広げられていた見取り図の上に指を滑らせた。



「ここね」

彼女が指し示したのは、東側廊下の突き当たり。

森崎が倒れていた現場の少し手前にある“物置部屋”だった。


「図面上は物置。でも、扉は鍵がかかっていた。開かなかったわ」


「なら、その部屋が“罠の発射装置”の操作場所だった可能性がある。

 誰にも目撃されず、即座に離脱できる。しかも、誰も中を確認していない」



赤坂が低く唸る。



「……じゃあ、俺が背中を向けたほんの一瞬で、そこにいた誰かが罠を作動させたってのか?

 そんな芸当ができる奴なんて……」



羽鳥が図面に目を落としながら続ける。



「でも、その程度の部屋で済むのかしら。

 もっと根本的に、“この建物そのもの”に仕掛けがあると考えるべきじゃない?」



湊が頷いた。



「俺も、同じことを思っていた」

彼の指が、図面の中央階段裏をなぞる。


「ここ。明らかに不自然な空間が抜けてる。

 階段下の壁は分厚く、反響も妙だった。

 つまり……“隠し部屋”が存在する可能性がある」



理沙が小さく息を呑む。



「それって……犯人がそこに隠れてるかもってこと?」


「もしくは、そこが“操作拠点”だったのかもしれない。

 監視カメラやワイヤーの張力を調整する仕組み──

 この建物全体が、最初から“舞台装置”だとするなら、そこが制御室だ」



神村詩音が、ふと俯いて静かに呟いた。



「だとすれば、私たちはその“舞台”の上で、今も演じさせられているのかもしれないわね」



その声音はあくまで穏やかだったが、

微かに“楽しんでいる”ようにも聞こえた。


柏原が懐中電灯を持ち直し、言った。



「すぐに調査を。これ以上、犠牲者は出せない」



湊は深く頷いた。



「行こう。怪しいのはこの二箇所──物置部屋と階段裏。

 慎重に、だ」


「準備はいいか。赤坂、羽鳥、柏原──」



湊の問いかけに、三人は頷いた。

それぞれが懐中電灯や簡易ナイフを手にしている。



「残る皆は、この広間から動かないでくれ」

湊の視線が理沙と沙耶に向けられる。

「扉を施錠し、誰が来ても絶対に開けないこと。……合言葉を決めておこう」



柏原が即座に提案する。



「“操り人形”でどう? この館にはふさわしいわ」


「了解。扉越しに“操り人形”と言った者だけに開けてくれ」



理沙が頷き、沙耶の肩に手を置いた。



「こわい……湊さん、本当に大丈夫?」

沙耶の声は震えていた。


「大丈夫だ。すぐに戻る」

湊はやさしく、けれど強い意志を込めて答えた。



神村詩音が、静かに口を開く。



「……気をつけて。

 その先には、きっと“見たくない真実”が待っているかもしれないわ」



その言葉に、一瞬だけ空気がひやりとした。


理沙が、ふと詩音を振り返る。



「……それって、どういう意味?」



詩音は微笑んだ。



「ただの予感よ。……でも、私の勘は当たるの。昔から」



意味深な言葉を残しながら、詩音は再び椅子に腰を下ろす。

その眼差しは遠く、どこか舞台袖から舞台中央を見つめる演出家のようにも見えた。


湊は深く息を吸い込み、懐中電灯のスイッチを入れた。


ギィ、と扉が開く。

闇が口を開けて、四人を呑み込もうとしている。



「行こう」

湊の声が静かに響く。



赤坂は先頭に立ち、羽鳥と柏原が続く。

湊は最後に広間を振り返った。


理沙と沙耶、そして神村詩音──

三人の表情を一瞥してから、彼は静かに扉を閉じた。





館の廊下は、まるで息を潜めて彼らを見下ろしているかのようだった。

歩くたび、床板のきしみがやけに大きく聞こえる。



「物置部屋はこの先よ」

柏原が先導しながら囁くように言う。


「罠の作動地点に一番近いのはそこだ。まず確認する」

湊の返答は簡潔だった。



“次の仕掛け”が、既にそこにあるのかもしれない──

その予感が、誰の胸にもあった。


彼らの知らぬところで、

何かが、音もなく動き始めている。


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