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第11話【仮面の下で】

 ひんやりとした空気が、石室の奥でさらに重たく沈んでいた。




 湊たちは、祭壇の周囲に散らばった瓦礫や、壁に刻まれた不気味な文様を黙々と確認していた。




 石材のひとつひとつが、どこか人の手によるものとは思えない奇妙な角度を保ち、祈りの場というより、何かを「押し込めた」空間のようにも感じられた。




 柏原が、手元の懐中電灯をかざして言う。




「この焼け焦げた跡……何かを燃やしたか、もしくは爆ぜたようにも見えるわね」




「いや、爆発じゃねえな。天井の煤のつき方が違う。それに、だ。そもそも爆発だったら、ここはこんなに綺麗じゃねぇはずだ」




 赤坂が頭上を見上げたあと、ゆっくりと周囲を見渡しながら言った。


確かに、祭壇の周囲には瓦礫が散らばっていたが、それもどこか“崩された”というより、“置かれた”かのように均等で、爆発による破壊の痕跡とは言いがたかった。




 湊は祭壇の台座の前でしゃがみ込み、手元の札の欠片と記録の束をもう一度確認する。


そこに記されていた“封印の式次第”は、意味不明な古文語や宗教的隠語に満ちていたが──それでも、ただの儀式では済まされない“強い意志”を感じさせた。




「……ここで、何かが封じられていた」




 その言葉に、誰も返さなかった。




 代わりに、石室にしばしの沈黙が流れる。


その重たさを断ち切るように、柏原が祭壇の背後に視線を向けた。




「湊、ここ──後ろ、見て。地面が、少し凹んでる」




 湊と赤坂が同時に顔を向ける。


確かに、祭壇の裏手にはわずかな段差があり、石畳の一部が沈み込んでいた。


赤坂がしゃがみ込み、そこに手を当てて確かめた。




「……微妙に傾いてるな。水か、熱か、あるいは地盤沈下か……」




 そのときだった。


 背後で小さな声が漏れた。




「っ……!」




 振り返ると、羽鳥が顔をしかめて右足を押さえていた。




「どうした?」


湊が声をかけると、羽鳥は苦笑いを浮かべて言った。




「ごめんなさい……ちょっと、足をひねっちゃったみたい」




「立てるか?」


赤坂がすぐに駆け寄る。




「……うん、大丈夫。たぶん捻挫だけだと思う。でも、ちょっと歩くのがつらいかも」




 柏原が眉をひそめた。


「これ以上は危険ね。ここから引き返しましょう。羽鳥さんを一人で置いておくわけにもいかないし」




「そうね。得られる情報も限界だ」


湊も立ち上がり、手元の紙束を慎重に胸ポケットに収めた。




 石室の奥に広がる闇には、まだ何かが潜んでいる気がした。


けれど、それを確かめに行くには、今はまだ準備が足りない。


そして──




 この場所は、軽々しく踏み入っていい場所ではないと、本能が警鐘を鳴らしていた。



 羽鳥の肩に柏原がそっと手を添える。


「無理せず、ゆっくり歩いて」




 羽鳥は小さくうなずき、痛む足をかばいながら歩き出した。


赤坂が反対側につき、慎重に体を支える。




 薄暗い通路に、4人の足音だけが響いていた。


踏み固められた土の道は、来たときよりもわずかにぬかるんでいるように感じられた。


天井の岩肌から、どこかで染み出した水がぽたり、ぽたりと垂れ、床を湿らせている。




 先頭を歩く湊は、目を凝らしながら、地面のわずかな凹凸や瓦礫の変化を見逃さないように歩みを進めた。


一度、奥へと入った以上、再び同じ場所を辿って戻れるとは限らない──そんな予感が、脳裏をかすめる。




「……音が、少し変わったわね」


柏原がぽつりと呟いた。




 確かに、聞こえていた風の通り抜ける音が止み、代わりに通路の奥から空気がごくわずかに流れてくるような感触があった。


ささやかながらも、地上への気配だ。




 その風に混じって、わずかに湿った木の香りが漂ってくる。


外の空気だ。間違いない。




「もう少しだ。慎重にな」


湊が短く声をかけた。




 やがて、通路の先にわずかな明かりが見え始めた。


懐中電灯の光ではない、自然の光──雨雲を透かした薄明かり。


中央階段の裏手、あの隠し扉から入ってきたときと同じ、あの空間に通じている。




 全員の足取りが、わずかに速まった。




 石壁の裂け目を抜けた瞬間、広間の空気がふっと身体を包み込む。


濡れた地上の空気、暖かな照明の明かり、何よりも──人の気配。




「……戻れた」


湊が低く呟いた。




 雨音はさらに激しさを増し、窓を打ちつける風が、まるで何かを叩きつけるように唸っていた。


その暴風を遠くに感じながらも、地下の閉塞感から解放された四人は、束の間の安堵を覚えていた。



 羽鳥を椅子に座らせると、赤坂は大きく息をついて、広間の床にドカッと腰を下ろした。




 理沙がすぐに駆け寄る。




「足を捻ったんですか? 冷やしたほうがいいですよね」




「台所に、冷えたペットボトルがあったはずです。持ってきますね」




「ありがとう。助かるわ」




「待て。一人じゃ危険だ。俺も行く」


赤坂がすぐに立ち上がり、理沙とともに台所へ向かっていく。




 広間には、湊、柏原、羽鳥、沙耶、そして窓際に立つ詩音が残された。




 沙耶がそっと羽鳥の隣に座り、反対側から手を添える。




「羽鳥さん……大丈夫ですか?」




「ええ、大丈夫よ。ただの捻挫だから。ありがとうね」




 羽鳥の柔らかな声に、沙耶は小さくうなずいた。




 湊はというと、持ち帰った資料を一つずつ並べながら、慎重に目を通していた。


湿気にやられかけた紙は黄ばみ、文字もかすれているが──それでも、幾つかの単語は判読できる。




 人格定着、暗示、制御、対象、覚醒──




 どれも“儀式”や“研究”というより、“操作”を目的とした実験記録のようだった。




 そのとき、背後で足音が二つ戻ってくる。


赤坂と理沙が、冷えたペットボトルを手にして戻ってきた。




「これ、使ってください」


理沙が丁寧に差し出すと、柏原がそれを受け取って、羽鳥の足元に優しく当てる。




「ありがとう。これで少しは楽になるはずよ」




 広間には、再び静けさが戻っていた。


だが、湊の胸の内には、地下で感じたあの異様な空気が、まだ残っていた。




 焼け焦げた石床、崩れた封印、あの奇妙な祭壇。


そして──詩音の、何も語らない沈黙。




 資料の紙束を片づけ、湊は椅子の背にもたれた。




 視線の先では、詩音が窓の外をじっと見つめている。




 嵐は一向に収まる気配を見せず、吹き上がる風に木々がしなっているのが見えた。




「……湊さん」




 隣に腰を下ろした理沙が、声を潜めて話しかけてきた。




「さっきの資料……全部は読めませんでしたけど、あれ、明らかに“人に対して”何かをしてた記録ですよね」




 湊はわずかにうなずく。




「人格定着、暗示、薬物操作……封じたのか、実験したのか。意図は不明だが、異常だ」




 理沙は一瞬、言葉を選ぶように黙ったあと、視線を詩音へと移した。




「……詩音さん、あの資料を見ても全然動じていませんでしたよね」




「見せたのは一部だけだったが……普通なら、あれだけでも十分だ」




「だから、少し引っかかったんです。“怖い”とか“気持ち悪い”とか、そういう感情がまったく見えなくて……。まるで、“演技”でもしているかのように見えました」




 湊の眉がわずかに動く。




「そう見えるか?」




「はい。まるで、自分だけ“舞台の外側”にいるみたいで」




 湊は、テーブルの縁を指先でなぞった。




(舞台の外側……それは、“観客”でも“演者”でもない、もう一つの立場……“脚本家”──)




「……詮索しすぎかもしれない」




「でも、見せられているとしたら? 私たちが“そう感じるように”仕向けられてるとしたら」




 理沙の言葉に、湊は黙ってうなずいた。




「……やっぱり、“舞台”なんですね」




「柏原。図面をもう一度見せてくれ」




 湊が言うと、柏原はすぐに手元の紙袋から図面を取り出し、テーブルの上に広げた。




「ここだ。中央階段の裏──この空白部分」




 湊の指が示したのは、図面の中央、階段の裏側にぽっかりと開いた余白だった。




「確かに妙ね。構造的にも不自然だし、他の線の密度に比べて空きすぎてる」


柏原が図面を覗き込みながら言う。




「それが、あの入口なんですね」


理沙が顔を近づけて言った。


「……でも、通路の途中で素材が変わってたって、どういうことですか?」




「ああ。入口付近は土を塗り固めただけだったが、途中から石材に切り替わっていた」


湊が答える。




「素人が手を加えるにしては、あの石室はあまりに精巧だった。誰にも気づかれず造るなんて、普通は無理だ」


赤坂が腕を組みながら言葉を継ぐ。




「だからこそ、隠されたのよ。後から土で封じて、存在そのものを消すように」


柏原の言葉に、図面を囲む全員の視線が一瞬集まる。




 詩音は何も言わず、少し離れた窓辺に立ったまま、静かにそのやり取りを見ていた。


湊と目が合いかけたが、すぐに彼女は視線を逸らした。




 湊は図面から顔を上げ、つぶやくように言った。




「ああ。もともとあの部屋が存在していた。そして、誰かがその上にこの館──《白鷺館》を建てた。そう考えたほうが、辻褄が合う」




「そうすると、白鷺館を建てた誰かは、あの地下を知っていた、ということになるわよね?」


柏原が口を挟む。




「ああ。そう考える方が自然だ。だが、そう考えた時に不可解な点が浮かび上がってくる」




「不可解な点?」


理沙が問う。




「ああ。“誰があの地下を作ったのか”、そして──」




「“なぜ館を建てた上で地下を封じたのか”、ということね」


柏原が言葉を継いだ。




「あの地下へ行かせたくないだけなら、わざわざ板を打ち付け、更にまるで何もなかったかのようにする必要はない」


湊の声は低く、どこか警戒を帯びていた。




「ああ、確かにその通りだな。俺が工務店時代の時にも似たような現場に行ったことはあるが、どこも大抵は板を打ち付けていただけだった」


赤坂が苦い顔でうなずいた。




 図面の上に、誰も手を伸ばそうとしなかった。


まるで、その白紙の余白が、今も地下へと通じているかのように。




 広間には、再び沈黙が落ちていた。


冷えた空気が、窓の隙間から吹き込んでくる。




 湊は図面の上に指を置いたまま、小さくつぶやく。




「──さて。今、俺たちが把握している“未調査エリア”は、あといくつだ?」




 その言葉に、柏原が顔を上げる。


「いくつかあるわ。まず、厨房奥の倉庫と、その裏手の通用口」




「あと、浴室。脱衣所までは見たけど、浴槽まわりはしっかり調べていないわ」


理沙が記憶を辿りながら補足する。




「ああ、それから二階の空き部屋のうち一室。鍵がかかってたから、まだ中を確認してない」


赤坂が眉をひそめる。




「鍵は?」




「持ってない。だが、館にある鍵をまとめて再確認すれば、対応できるかもしれねえな」




 湊は図面に目を戻しながら、静かに言った。




「地下の構造を踏まえると、この館は“何かを隠すため”に設計されている節がある。そう考えるなら──他の場所にも“仕掛け”がある可能性は高い」




「どれから行く?」


柏原が尋ねた。




 湊は一度目を閉じ、深く息を吸ってから答えた。




「優先すべきは、通用口と浴室。それから鍵のかかった二階の部屋」




「理由は?」


理沙の問いに、湊は即答する。




「通用口は、外部との接点だ。何かを運び入れたり、逆に“出す”ためのルートとして見逃せない」




「浴室は、水回り特有の構造がある。隠し配管や床下構造が複雑で、物を隠すには都合がいい」




「そして、鍵がかかった部屋──わざわざ施錠されてるってことは、“見られたくない”ってことだ」




 言葉の端々に、鋭い確信と焦燥がにじんでいた。


嵐はなおも続き、外界との連絡手段は断たれたまま。


だが、この状況でも──湊は前へ進もうとしていた。




(この館は、まだ“何か”を隠している)


(その“何か”が、この事件の本質につながっているはずだ)




 そのとき、窓際に立つ詩音がわずかに動いた。


椅子を引き、湊たちのほうへ歩を進める──かと思いきや、再び窓の外を見つめるだけだった。




 その背中に、言い知れぬ“違和感”がまた、湊の胸をざわつかせる。

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