目次
ブックマーク
応援する
いいね!
コメント
シェア
通報

第16話「深夜の訪問者たち」

 不意に鳴り響いたインターホンの音が、静まり返った館に不自然なまでの現実感を与えていた。


 誰もがその場で固まり、時間が一瞬止まったかのような静寂が広間を包む。


 やがて柏原がモニター付きの受話器に手を伸ばし、通話ボタンを押す。



「……どちら様?」



『ああ、すみません。白鳥一誠と申します。こちらの館に招待されておりまして……』




 落ち着いた男の声。その後ろで、女性の緊張した声がかすかにかぶさる。


『こ、こちらにも女性が一人おります……あの、招待状には“0時ちょうどに”と書いてあって……』




 柏原が眉をひそめ、振り返る。湊と目が合い、すぐに状況を共有する。



「白鳥一誠。名前に覚えはあるな」


「ああ。招待客リストの一人だ。だが、“0時に来い”とは……」



 赤坂が時計を睨み、唸る。



「ったく……どこの悪趣味な劇場だよ、こんな時間に呼ぶなんざ……」



 湊はインターホンのスピーカー越しに問う。



「そちらは何名ですか?」



『三人です。私と、同行している女性──菊池舞。それから……館の前で偶然、指宿涼夏さんという方に会いました。彼女も招待状を持っていたので、ご一緒させていただきました』




 その名前に、湊の目がわずかに細められる。


 ──指宿涼夏。




 過去の白鷺館事件で名を見た記憶が、わずかに脳裏をかすめる。



「開けるか?」



 柏原が低く問いかけた。


 湊は短く頷く。



「赤坂、扉を頼む。俺と柏原で警戒はしておく」


「了解だ」



 鍵が外され、重たい扉がゆっくりと開かれる。


 雨に濡れた石畳の先──そこには、三つの影が立っていた。




 一歩前に出た白鳥一誠は、中年らしい落ち着きと礼儀を纏っていた。菊池舞はその背に身を寄せ、不安げに周囲を見回している。そして最後方、少し距離を置いて立っていたのは──




 指宿涼夏。


 黒いレインコートに身を包み、表情を読み取れないほど深くフードをかぶっていたが、その佇まいには妙な存在感があった。



「どうぞ、中へ」



 柏原が声をかけると、三人は静かに頷き、館の中へと足を踏み入れた。


 その足音が、ひときわ大きく床に響いていた。


 白鳥たち三人を伴い、湊と柏原は広間へと戻ってきた。


 廊下には相変わらず湿った空気が漂っており、照明の光は頼りなく揺れている。その不安定な明かりの中、扉が開かれると、理沙と沙耶が同時に目を見開き、不安そうに立ち上がった。



「皆さん、初めまして。白鳥一誠と申します。こちらが菊池舞、そして──指宿涼夏さんです」



 白鳥が穏やかにそう紹介すると、沙耶が涼夏の姿を見て、一瞬だけ息を呑むような素振りを見せた。だが、すぐに視線を伏せ、何も言わなかった。涼夏は視線を上げることもなく、ただ黙って一礼するのみだった。


 一方、菊池舞はぎこちない笑みを浮かべながらも、どこか落ち着きなく周囲を見回している。



「改めて確認したいんだが、なぜこの時間に?」



 柏原が問うと、白鳥は胸元から一通の封筒を取り出して見せた。



「これが、届いた招待状です。舞さんも同じものを受け取ったと聞き、駅で偶然再会した後、一緒にこちらへ向かいました。指定されたのは──“午前零時ちょうどに白鷺館へ”という一文でした」



 柏原がその封筒を手袋越しに受け取り、中身を確認する。


 確かに他の招待状と同じデザインだが、末尾には“0:00ジャスト”という奇妙な一文が印刷されていた。


(午前0時、か)


 湊が壁の時計に目をやる。すでに0時を30分以上過ぎていた。



「駅で合流して、それから?」



 湊の問いに、白鳥は頷く。



「駅で舞さんを見かけたのが昨日の昼過ぎです。話してみると、彼女も同じ場所へ向かう予定だと分かりまして。それならばとレンタカーを借り、山道を進んでいたところ──館の前に、指宿さんが一人、立っていたのです」



(レンタカー……。チラリと見えただけだったが、“わナンバー”ではなかった。柏原も気づいているだろう……)




 白鳥の説明に、詩音が小さく視線を動かすが、すぐにいつもの微笑みに戻る。



「涼夏さんも、招待状を?」



 柏原が問いかけると、涼夏は無言で小さく頷き、封筒を差し出した。何も言葉を発さず、ただ沈黙をまとっているその様子は、何かを強く警戒しているようにも見えた。



「確かに、“午前0時に来い”とあるわね」



 封筒の文面を確認し、柏原が小さく呟いた。



「……状況を整理しましょうか」



 湊が広間の中央に立ち、場を見渡すようにして口を開いた。



「これまでに、この館ではすでに三件の“異常な死”が発生しています。現時点では安全とは言い難く、加えてこの大雨で山道は崩れている。……つまり、我々は事実上、外に出る手段を絶たれています」



その言葉に、舞が目を大きく見開いた。



「えっ……ここで、死……?」




「落ち着いてください。今は、皆で冷静に情報を共有することが第一です」



 柏原が低く諭すように声をかけると、舞は震えながらも頷いた。


 こうして、館内に“旧来の招待客”と“新たな来訪者”が一堂に会した広間には、明らかに先ほどとは異なる緊張感が漂い始めていた。


 人が増えたはずなのに──なぜか、空間はより“閉じられて”感じられた。




 重たい空気がようやく少しだけ緩んだころ、理沙が立ち上がり、周囲に声をかけた。



「柏原さん、舞さん、沙耶、手伝ってくれますか? お湯を沸かしてきます」


「はいっ、わかりました!」



 沙耶が元気よく返事をし、柏原と舞も頷きながら立ち上がる。


 それを見て、白鳥がひとつ頷き、柔らかく微笑んだ。



「ふむ。それでは、私も同行しましょう。子どもだけでは危ないですからね」


「……ありがとうございます。助かります」



 理沙が頭を下げ、五人は廊下へと出て行った。


 一方、湊もまた立ち上がり、声をかける。



「少し、席を外す。……トイレに」



 簡潔な言葉を残し、こちらも扉の向こうへと消えていく。


 広間に残されたのは、赤坂、詩音、そして涼夏の三人。白鳥を除いて落ち着いた空気が漂う中、詩音がゆっくりと立ち上がった。



「指宿さん。あなたは、以前にもこの館に来たことがありますか?」



 唐突な問いに、涼夏の手が膝の上でわずかに動いた。目を伏せたまま、少しだけ息を吐いて答える。



「……いいえ。初めてです……」



 声音は平坦で、揺らぎはない。だが、その安定がどこか“意図的”に思えた。



「そうなんですね。そうそう、これ──お守りです。きっと、お役に立ちますよ」



 詩音はふいに涼夏の膝の上にそっと手を伸ばし、彼女の手の上に何かを置くような仕草で、そっと手を重ねた。



「お守り、ですか……?」




「ええ。お守りです。とても重要な、ね」



 にこりと笑みを浮かべると、詩音はそのまま涼夏の元を離れ、暖炉の方へと向かった。


 窓の外では、雨が相変わらず降り続いている。


 涼夏は、その場でそっと手を握りしめていた。


 しばらくして、柏原たちが戻ってきた。


 盆の上には人数分のティーカップと、湯気の立ち上る急須。理沙が手際よく湯を注ぎながら、ひと息つくように声をかける。



「こういう状況だからこそ、まずは落ち着くことが大事だと思って」



 沙耶が湯気を顔に浴びてホッとしたように頷き、舞もようやく張りつめた表情を緩める。涼夏も無言のままだが、カップを受け取る手は素直だった。


 しかし、わずかに広間の空気が和らいだそのとき──




──ピンポーン。




 インターホンの音が館内に響き渡った。


 一同が息を呑み、目を見交わす。



「な、なんだ!?」



 赤坂が椅子から立ち上がり、時計を見て叫んだ。



「もう……午前一時だぞ!? なんでまた誰か来るんだよ……!」




「落ち着け。インターホンのようだ」



 湊が静かに立ち上がる。柏原と白鳥、赤坂もそれに続き、四人で玄関へと向かった。


 廊下を進む足音が静寂の中にこだまし、扉の前に立つと、柏原が軽く手を上げた。



「私が出る」



インターホンのモニターには、雨に濡れた二人の姿が映っていた。


登山用の防寒ジャケットに身を包んだ若い男女。泥の跳ねたズボンと、くたびれたザック。明らかに登山帰りの装いだった。


やや緊張した面持ちで、男性の方が口を開いた。


『あの……突然すみません。道に迷っていたところ、この建物の明かりが見えて──避難させてもらえませんか?』




 柏原が振り返って湊に視線を送る。湊はうなずき、ドアロックを外した。


 開かれた扉の先に、ずぶ濡れの二人が立っていた。



「どうぞ。中へ」



 柏原が促すと、彼らは礼を言いながら館内に入ってくる。


 男性は小田切翔馬、二十代半ばと見える登山客。女性は高峰凜と名乗り、脚を少し引きずっていた。



「すみません、彼女が足を挫いてしまって……。この辺り、携帯も繋がらなくて」



 靴を脱ぎながら、小田切が申し訳なさそうに言う。


 湊が控えめに頷きつつ、広間へと案内する。



「事情はわかりました。ひとまず中で温まりましょう」



 二人は雨に濡れた上着を脱ぎながら、感謝を口にしつつ、広間へと続く廊下を歩いていった。


 そして、再び広間の扉が開く。


 そこに現れた見慣れぬ二人に、再び場の空気が一変した。


 小田切翔馬と高峰凜が広間に通されると、場の視線がいっせいに彼らに集まった。


 濡れた髪に、泥の跳ねた登山靴。どちらも明らかに館の住人ではない。とくに高峰凜は左足を引きずるように歩き、沙耶がすぐに駆け寄った。



「だ、大丈夫ですか? その足……」




「ええ、ちょっと捻っただけで。歩けないわけじゃないんですけど」



 凜は無理に笑ってみせたが、顔色は優れない。



「ここへ来る途中、濡れた岩場で足を滑らせたんです。もう少しで谷に落ちるところでした」



 小田切の説明に、赤坂が呆れたように眉を上げる。



「この嵐の中、何でまた山に?」


「……正直に言えば、勢いです。探検気分だったんですけど、完全に判断ミスでした」



 白鳥がソファを勧めると、凜は恐縮しながら腰を下ろし、柏原がすぐにタオルと湯を用意した。



「寒かったでしょう。とにかく温まって」


「ありがとうございます」



 再び、館に紅茶の香りが漂う。


 紙コップではなく、しっかりとした磁器のティーカップに注がれた温かい紅茶。二人は驚いたようにそれを手に取った。



「すごい……紅茶まであるなんて。しかもカップまでちゃんとしてる……」



 凜がぽつりとつぶやき、手元を見つめる。



「ここ、外から見たときは完全に廃墟だったのに……中はちゃんとしてる。それに、錆びてもいないヤカン、火のつくコンロ、電気も水道も……運が良かったってことなのかな」



 ふとした言葉だった。


 しかし、湊はそのつぶやきに静かに目を細めた。



「確かにそうだ……」



 深く頷きながら、カップを静かに置く。



「外観は明らかに放置されていた建物だったのに、内部は整っている。食器も、茶葉も、生活道具も揃っている。そして……ライフラインが生きている」



 館内を見渡すように視線を巡らせ、湊はわずかに唇を引き結ぶ。


(こんな偶然が、果たしてあるだろうか……?)




 静かにティーカップを置いた湊は、隣に座る柏原に声をかけた。



「……柏原、少しだけ時間をもらえるか?」



 柏原は頷き、二人は広間の片隅、暖炉の横に移動した。炎の灯りに照らされた湊の表情は、ますます険しくなっている。



「これで、来訪者は計五人。白鳥、舞、涼夏、小田切、そして高峰。いずれも今夜、もしくはつい先ほどこの館にたどり着いた者たちだ」


「奇妙よね。これだけの嵐と土砂崩れの可能性があるなか、時間を違えず“この館”に集まってくるなんて」


「招待状を持っていた三人は“指定された通りに”来た。だが、小田切と高峰は“遭難した末の偶然”を装っている……ように見えなくもない」




「ええ。しかも高峰の怪我も“絶妙に同情を誘う”程度。タイミングも出来すぎてる」



 柏原の声には警戒心が滲んでいた。湊も静かに頷く。



「いずれも“動機”や“背景”は見えない。だが、明らかなのは──この状況下で“誰か一人でも”犯人と繋がっていれば、我々は決定的に不利になるということだ」



 そのとき、すぐ後ろから軽やかな足音が近づいてきた。



「お二人とも、何の相談ですか?」



 詩音だった。にこやかに紅茶のカップを持ったまま、湊たちの間に自然と入り込んでくる。



「いや、少しだけ、情報の整理をな」



 湊が苦笑を浮かべると、詩音はそれを受けて優雅に笑った。



「新しい人が増えると、どうしても警戒してしまいますよね。でも、考えすぎは疲れますよ。今は、温かいものでも飲んで、心を休めましょう」



 そう言って、自分のカップをそっと掲げて見せた。


 その言葉に柏原は眉をひそめたが、詩音は気にする様子もなくくるりと踵を返し、再び中央のテーブルへ戻っていった。


 湊はその背中をしばらく見送ってから、再び小さく息を吐いた。


 すると──




 広間の隅、暖炉の対角側に座る白鳥が、湊と柏原の様子をじっと見つめていた。


 まるで何かを推し量るような、深い眼差し。だが、視線が湊に気づかれたと見るや否や、彼はすぐに目を伏せ、何事もなかったようにカップを持ち上げる。


 ──その白鳥の様子を、さらに涼夏が見つめていた。




 静かに、冷ややかに。


 その双眸に映っているものが何であるかはわからない。ただ、ひとつ確かなのは──




 この館には、いまや“誰が味方で、誰が敵か”すら、分からないということだった。


 窓の外では、なおも雨が降り続いている。



この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?