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第21話【焼け落ちた真実】

 さっき聞いた一家心中の話──

 そして、神村詩音と指宿涼夏の間で交わされた一連のやり取りは、広間にいた全員の口をつぐませていた。

 空気は重く、誰もが言葉を選びかねているようだった。


 そんな沈黙の中、湊がゆっくりと口を開いた。



「火災についての情報はどうだ?」



 問いかけに、柏原が静かに応じた。



「火災は起きたけど、起きていなかったそうよ」


「??? どういうことだ?」



 赤坂が眉をひそめる。



「起きたのは事実よ。でも、それはすぐに消し止められたわ」



 湊は「ふむ」と頷く。



「本庁の記録によれば、火災の発生は十八年前の十一月七日、午後九時──場所は一階の“大広間”だそうよ」



「一階の大広間? さっきんところか?」



 赤坂が尋ねると、湊が首を横に振った。



「いや、違うな。地図によると、鍵が閉まっていた“もう一つの広間”だ。俺たちが滞在していた場所とは別だな」



「誰が消したんだ?」



「当時、この館で執事長を務めていた服部匡(はっとり・ただし)が発見し、メイド数名と協力して初期消火にあたった、と記録されていたわ」



「だから、館は全焼せずに残っていたってわけか」



 赤坂が頷きかけたその時──



「でもよ……当時の新聞じゃ、“全焼”って報じられてたはずだろ?」



 その矛盾に、再び場の空気が揺れた。

 沈黙の中、柏原が再び口を開いた。



「そう。報道では確かに“全焼した”と流れていた。でも──十八年前の火災は、実際には初期消火で食い止められていた。そして今現在も、こうして白鷺館は残っている」



 言葉の端々に、微かな苛立ちが滲んでいた。



「奇妙な矛盾だな」



 湊が小さく唸るように言った。


 そのとき、不意に白鳥が口を開いた。



「十八年前……2007年ですね。それほど昔というわけでもありませんし、特に報道の信頼性が疑われるような時代背景があったとも思えません」



 その口調はあくまで冷静だったが、わずかに瞳の奥が揺れていたように思えた。


 柏原が鋭く頷く。



「そうなのよ。だからこそ不可解なの。“誤報”で済ませるには、不自然すぎるわ」


「不自然……というのは?」



 理沙が問いかけると、柏原は視線を上げた。



「民放全局が、“示し合わせたように”、全焼と報じていたの。まるで、“何か”を隠すために、最初からそう決まっていたかのように」



 言葉の端が、ほんの僅かに震えていた。


 その瞬間、広間に再び、目に見えない重圧が立ち込めたような気がした──。



「そこまでおかしい話かしら」



 場の沈黙を破るように、神村詩音が柔らかく口を開いた。



「どんな時代であったとしても、“誤報”というのは出るはずよ。報道機関だって人の手によって動いている。判断ミスもあるでしょうし、混乱の中で誤った情報が拡散されることも──」



 その声音はあくまで穏やかで理知的だったが、どこか空々しさがあった。



「誤報だった。それでいいんじゃないかしら?」



 彼女は優美な微笑みを浮かべながら言葉を継いだが、その目だけが笑っていなかった。



(……? 焦っている……?)



 一条湊は、詩音の表情を観察しながら、ふと心の中で首を傾げる。



(焦る必要が、どこにある……)



 あの冷静沈着な詩音が、こんなにも早口になるとは。まるで、“この話題を終わらせたい”とでも言うように。



「そうだよな。誤報なんて、いくらでもあるし……」



 赤坂が曖昧に笑いながら同意しかけるが、柏原はそれを無言で制した。目が鋭く光る。



「……確かに誤報の可能性も否定はしないわ。でも、複数の報道機関が、同じ日に同じ内容を揃えて報じた。火災現場の写真も一枚も残っていない。“誤報”と片付けるには、情報が整いすぎているのよ」



 詩音は、その言葉には応じなかった。ただ、にこりと笑ったまま、視線を床へ落とす。


 広間の空気は、冷たい霧のように張りつめていた。


 赤坂が記憶をたぐるように呟いた。



「確か、当時の新聞や報道番組では、焼け落ちた白鷺館の写真や映像を見た気がするぞ。確か、俺が工務店に入りたての頃で……“勿体ねぇなぁ”って、妙に印象に残っててよ」



「それが、これよ」



 柏原がスマホを取り出し、保存していた当時の報道映像の一部を表示させた。


 参加者たちが囲むように画面を覗き込む。



「おや?」



 白鳥がわずかに眉をひそめた。



「どうした?」



 湊が問うと、白鳥は丁寧に言葉を選ぶようにして答える。



「いえ……今の白鷺館と、この映像に映る館。何か、細部が違うような気がするのです」



 赤坂が前のめりになる。



「……ああ。俺も気づいた。壁の模様、屋根の形、それに窓の配置……確かに違ぇ。これは──」


「ただの経年劣化では?」



 詩音が口を挟む。微笑みを浮かべていたが、その目は一瞬、鋭く光ったように見えた。


 赤坂は首を横に振る。



「いや、俺が見間違えるはずねぇ。建物の設計ってのは、そうそう変わるもんじゃねぇんだよ。仮に改修されたにしても、ここまで全体のバランスが違うってのは変だ。それに、経年劣化で壁の模様が変わることがあっても、屋根の形や窓の配置が変わるってのはありえねぇ」



 湊が腕を組み、ゆっくりと口を開いた。



「……もしかしたら、“舞台”なのかもしれないな」


「舞台、ですか?」



 理沙が問い返す。



「ああ。神村詩音が以前から繰り返していた、“ここは舞台だ”という言葉──。もしかすると、それは単なる比喩ではなく、文字通りの意味だったのかもしれない」


「つまり……本物の白鷺館はすでに焼け落ちていて、今我々がいるこの館は“舞台装置”として、あの事件を再現するために建てられた可能性がある、ってことね?」



 柏原が静かに言った。


 誰も言葉を返せなかった。


 詩音は、微笑みを浮かべたまま皆の視線を受け止めていたが、その奥には何かを測るような影が見えた。



(……神村詩音。お前は、何を知っている? なぜ、それを隠そうとしている?)



 湊は、確かな違和感と警戒を胸に、その沈黙を見つめていた。



 赤坂が眉間に皺を寄せ、ぽつりと呟いた。



「いや、だが、ちょっと待て。初期消火で火災は食い止められたんだよな? なのに、なんで館は“燃え落ちている”んだよ」



 その言葉に、広間の空気が再び緊張する。


 柏原がゆっくりと息を吐いた。



「恐らく……何かが意図的に“混乱”させられている」



 そこで湊が静かに口を挟んだ。



「──ミスリードだ」


「ミスリード、ですか?」



 白鳥が眼鏡の奥で目を細め、聞き返す。



「恐らくだが、この白鷺館は当時、本当に一度“焼け落ちて”いる。そして、数年後に再建された。それとは別に、再建後の館で“ボヤ”のような火災が発生した……おそらく、記録が錯綜したんだ」



 柏原が頷く。



「焼け落ちたのは十八年前。ボヤが起きたのはその後。記録上、二つの火災が混同されたのか、それとも──」


「混同させた誰かがいる?」



 赤坂の問いに、誰も即答できなかった。


 沙耶が不安げに理沙に寄り添う。理沙は無言で沙耶の手を握り返し、周囲を警戒するように目を細めた。


 詩音は、あくまで柔らかい表情を崩さず、皆を見渡していた。だが、その余裕の笑みの奥にある感情は、誰にも読み取れない。



「──となると、問題は“誰が”記録を混乱させ、舞台を再建したかだ」



 湊の言葉が空気を切り裂くように広間に響いた。


 それは、この館全体に対する問いでもあり、今そこに立つ彼ら全員への疑念でもあった。

 誰もが考えていた──この館の正体、焼け落ちた真実、そして今、目の前にいる人物たちの誰が「何かを隠しているのか」。


 そんな空気を切るように、湊が口を開いた。



「──神村詩音。君は、何を知っている。何を隠している」



 その言葉に、詩音は微笑を浮かべた。



「……あと少し、だったんですけどね」



 柔らかく、しかしどこか諦観を帯びたような口調だった。



「……なに?」


「私を犯人とするなら、ピースが足りません」


「ピース……だと?」


「ええ。でも、ヒントを差し上げます。発想を逆転させてください。“誰が”ではなく、“何のために”──あなたたちは、もう真相に手を伸ばしている。そして、それを掴もうとしている」



 柏原が一歩前へ出た。



「……どういう意味?」


「さあ? それを教えるほど、私もお人好しではないので」



 そして、詩音はゆっくりと目を伏せ、ふと何かを思い出すように呟いた。



「……とある名探偵の言葉に、こんなものがありました。“可能性としてあり得ないことをすべて除外し、最後に残ったものがどんなに奇妙なことであっても、それが真実となる”……だったかしら」



 その瞬間、彼女は湊を真っすぐに見つめた。



「──また、会えることを楽しみにしていますよ。名探偵」


「待て、神村──!」



 湊が手を伸ばすが、その瞬間──




 * パチン *




 突然、館の照明が全て消えた。


 驚きと同時に緊張が走る。



 「なんだ!?」「停電か!?」と声が飛び交う中、数分後にようやく非常灯が点灯した。


 しかし──そこに、詩音の姿はなかった。



「いない……!?」



 赤坂の声が、広間の静寂を切り裂いた。


 湊は、消えた詩音の影を追うように、虚空を睨んでいた。

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