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第20話【不気味な事実】


 廊下に、わずかな足音が響いていた。


 先を歩くのは、沙耶と理沙。沙耶は理沙の手をしっかりと握りしめ、時折、不安そうに彼女の横顔を見上げている。理沙は優しく微笑み返し、少しだけ力を込めて握り返す。


 その背後には、湊、柏原、赤坂の三人が並んで歩いていた。会話は小声で交わされていたが、その内容は重い。


「……やはりおかしい。火災が本当にあったのだとすれば、あの白骨死体は残っているはずがない」


 湊がぽつりと呟いた。


「そうね。あの遺体は、火に焼かれた痕跡がまったくなかった。衣服は風化していたけれど、焦げ跡は見当たらなかったわ」


 柏原の声もまた低い。


「じゃあ、あの火事ってやつが嘘だったってことか? 新聞にも出てたって話だったよな?」


 赤坂が眉をひそめる。


「“記録”が事実とは限らない。俺たちが見たのは、実際の現場の状況だ。言葉じゃなく、現実が何よりも証拠になる」


「でもよ、“記録”が信じられないとすると、何も信じられねぇぜ?」


 赤坂の言葉に、湊はふと歩みを緩めて答えた。


「ああ。赤坂の言うとおりだ。だが──目に見えるものだけが真実とは限らない」


「……??? どういうことだ?」


 赤坂が首をかしげる。


「“本物の舞台”は、観客にすべてを見せるとは限らない。隠された照明、裏方、偽装の幕……あの白骨死体は、その舞台の裏側が露呈したようなものだ」


「舞台の……裏側、か」


 柏原が噛みしめるように繰り返す。


 そのとき、沙耶がふと立ち止まり、ぽつりと呟いた。


「……涼夏さん、じゃないといいんだけど」


 理沙は小さく息を呑み、優しく沙耶の肩に手を添える。


「大丈夫。すぐに真実は分かるわ。きっと……」


 その言葉が、誰に向けられたものなのかは、理沙自身にもわからなかった。


 湊たちが広間に戻ると、そこには誰の姿もなかった。


 灯りはついていたが、空虚な静けさが広間を満たしている。


「……誰もいない?」


 沙耶が理沙の手を握り直しながら、不安そうに辺りを見渡した。


 理沙もまた首をかしげる。


「さっきまでは、みんなここにいたはずなんだけど」


 そのとき、左手の廊下奥──高峯凜と小田切翔馬が案内されていた「使用人部屋」の方向から、かすかな話し声が聞こえた。


「行ってみよう」


 湊が短く言い、五人は慎重にその扉へ向かう。


 扉を軽くノックし、中を覗くと、そこには全員の姿があった。


 ベッドに足を伸ばした高峯凜と、隣の椅子に腰かけた小田切翔馬。その周囲には、指宿涼夏と神村詩音、そして壁際に立つ白鳥一誠の姿もある。


 薄暗い明かりの中、会話はひとまず中断され、五人に向けられる複数の視線が重なる。


「おや、戻りましたか」


 白鳥が落ち着いた声で口を開いた。


「気づいたら、五人とも姿が見えなくなっていたので、心配していたのですよ」


 その言葉に、どこか芝居じみた間があるように感じた。


 言葉そのものに不自然さはなかった。抑揚も穏やかで、むしろ好印象すら与えるような声音。


 けれど──それでも、湊の中に妙な“引っかかり”が生まれた。


(……なんだ? この男。どこか、引っかかる)


 礼儀正しさの裏に、ほんのわずかな“仕掛け”が隠れているような、そんな感覚。


「何かあったんですか?」


 詩音が自然な流れで問いかけた。涼夏は湊たちを見つめたまま無言のままだ。


 湊は視線を外さず、静かに言った。


「……ああ。少し、信じがたいものを見つけた」


「信じがたいもの、ですか?」


 菊池舞が、おずおずと問いかけた。


 声の調子は控えめで、無理に取り繕うような笑みが、その表情に貼りついている。だが、その笑みは目元まで届いておらず、ほんの一瞬、視線が後方に滑った。


(……今のは?)


 湊はその微細な動きを見逃さなかった。

 舞の目線の先にいたのは──指宿涼夏、神村詩音、白鳥一誠、小田切翔馬、そして足を投げ出している高峯凛。


 その誰かを、彼女は“無意識に”警戒していた。


 普段の舞は、どこか遠慮がちで、他人に合わせることを優先するタイプだった。怯えがちなところはあるが、それでも空気を壊すまいと、いつも笑みを添えるようにしていた。


 だが、その仮面が揺らいでいた。


 感情がこぼれた──ほんの一瞬だけ。


「……白骨化した遺体を見つけた」


 湊の言葉が静かに部屋に響く。


 無用な動揺を避けるように、簡潔に、冷静に。

 けれど、その報せが与える衝撃は隠しようもなかった。


「地図にない隠し部屋。その中に、数年前に死亡したと見られる遺体が──机に突っ伏した状態で発見した」


 しん、とした静寂が場を包む。


 誰かが小さく息を呑んだ音が、やけに鮮明に聞こえた。


「突っ伏した状態の遺体、ですか」


 神村詩音が、静かに口を開いた。


「ああ、そうだ」


 湊が短く答える。


「そして、火災の跡がなく、死亡してから二年ほど、と」


「……ああ」


 会話は淡々としているようで、その実、互いの間には微かな緊張が漂っていた。


 詩音は、ふと涼夏の方へ顔を向けた。そして、にこりと柔らかく笑う。


「妙ですね。確か、この館では数十年前に一家心中と火災があったはず……違いましたか、涼夏さん」


 その問いかけは穏やかで、優しげな声音だった。

 けれど、どこかぞくりとするような圧力が滲んでいた。


 詩音の微笑み──それは、まるで相手の反応を楽しむかのような“仕掛け”にも思えた。


「……なぜ私に聞くんですか?」


 涼夏は、微動だにせずにそう答えた。

 その声は静かだったが、わずかに冷たく、警戒を含んでいる。


 彼女の瞳が、ほんの一瞬だけ詩音を睨みつけたように見えたが、それはすぐにかき消された。


 詩音はなおも微笑んだまま、言葉を継がなかった。


 だがその無言が、何よりも言葉以上の圧を持って、場にじわりと広がっていった。


(神村詩音……何を考えている……)


 沈黙の中で、白鳥一誠は詩音の横顔をじっと見つめていた。

 穏やかで上品な微笑み──しかしその裏にある意図は、彼の観察眼をもってしても掴みきれなかった。


 そのとき、柏原が声を上げた。


「……その一家心中と火災についてだけど、本庁に問い合わせたら、気になる答えが返ってきたわ」


 湊が顔を上げる。


「気になる答え?」


「ええ。当時の白鷺館には、白鷺家の本家筋が住んでいた。そして、その白鷺家本家筋は六名いたわ」


「六名、多いのか少ないのか微妙な数だな」


 赤坂が腕を組みながらつぶやく。


「いや、少ない方だと思う」


 湊が首をひねると、柏原がうなずいて補足した。


「湊の言うとおりよ。本家、と名乗る以上、その血筋を途絶えさせず、継承させていく責任があるわ。親族も含めて、通常はもう少し構成人数が多いはず」


「だがよ、一家心中で全員死んだんだろ?」


「いいえ。そうでもないわ」


 柏原の言葉に、一瞬、場の空気が変わる。


「……どういうことだ?」


「六名のうち、遺体として発見されたのは四名。当主の白鷺道子(しらさぎ・みちこ)、その夫・白鷺忠義(しらさぎ・ただよし)、長女・白鷺遙香(しらさぎ・はるか)、次女・白鷺冬華(しらさぎ・ふゆか)の四名よ」


 湊が目を細めた。


「じゃあ、残りの二人は……?」


「長男・白鷺奈津雄(しらさぎ・なつお)と、末娘・白鷺涼香(しらさぎ・すずか)の二人は、事件当時、行方不明になったまま──その後も発見されていないの」


「失踪扱い、ということか……」


 湊のつぶやきに、詩音がそっと微笑んだ。


「涼香……? お前と同じ名前だな、指宿涼夏」


 赤坂が思いついたように呟いた。視線は自然と、涼夏の方へ向かう。


 その一言に、場の空気が静かに張りつめる。


「……たまたまよ。それに、漢字が違うわ」


 涼夏は即座に答えた。だが、その声音はどこか固い。

 彼女の言葉を受けて、柏原が静かに言葉を紡ぐ。


「白鷺奈津雄はわからないけれど、白鷺涼香は当時6歳。十八年前の事件だから、生きていれば、指宿涼夏さん、菊池舞さん、あなたたちと同じくらいの年頃ね」


 柏原の視線が、涼夏と舞、そして沙耶へと滑る。


 言及された涼夏は表情を変えず、ただ静かに立っていた。

 菊池舞は思わず目を伏せ、沙耶は混乱したように理沙の腕を握る。


「……」


 神村詩音は、沈黙の中でもなお、優雅な微笑を絶やさなかった。


 そして、まるで“待っていた”かのように、ゆっくりと口を開いた。


「そして、白鷺家の分家筋に──“指宿家”も存在していたことが分かった。そうよね、刑事さん?」


 問いかけられた柏原は、わずかに躊躇してから頷いた。


「え、ええ。そうよ。……それも、記録に残っていたわ」


 詩音は微笑を深める。まるで観客の反応を楽しむかのように。


「これでも、“偶然”と言えるかしら?」


 その問いに、誰も返事をしなかった。

 ただ、冷たい沈黙だけが、ゆっくりと場を満たしていった。



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