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第28話【辿り着いた真相?】

 湊は、ゆっくりと視線を上げた。


 その先に立つのは、穏やかな表情を保ったままの指宿涼夏――否、白鷺涼香だった。


「……やはり、君だったんだな」


 その言葉は、突きつけるような強さもなく、ただ静かに響いた。


 柏原が湊の隣で目を伏せ、続ける。


「“君だけが”、すべての事件に関与できる立場にあった。現場にいなかったからこそ、アリバイが成立しない。舞の事件以外、誰とも接点がなかったはずの“涼夏”が、この館の全てを知っていたのよ」


 涼夏の微笑は揺るがない。


「言っている意味が、よく分からないわ」


「わからないフリをするには、君は聡すぎる」


 湊は一歩だけ前に出て、使用人室に集まった全員に目を向けた。


「この事件は、最初から“脚本”通りだった。殺人劇という舞台の上で、我々は役を演じさせられていたにすぎない。だが、その演者の一人にして、同時に“観客を欺くための仕掛け”でもあった存在がいる」


 赤坂が眉をひそめる。


「仕掛け?」


「ああ」


 湊は頷く。


「君は、最初からこの館にいた。藤堂、森崎、羽鳥……その三人が殺された時点で、犯人の姿は“どこにもなかった”。けれど――“いたんだ”、ここに、最初から」


 空気が、張りつめる。


「そして、神村詩音が退場した時点で、その役割は“次の主役”に引き継がれた。……それが、君だ」


 涼夏は、微かに目を細める。


「……主役、ね」


「そう、“殺人劇の主役”。君はこの舞台のために用意された“もう一人の演者”。そして同時に、ここで起きた全ての殺人に通じる“糸”を握っていた。藤堂の逆さ吊り、森崎の転落、羽鳥の凍死、そして詩音の死。どれもが、“演出”されていた。そして、それを可能にしたのは、“外から来た人間ではない”、この館に潜んでいた者だけだ」


「……証拠は?」


 涼夏の声が、僅かに低くなった。


「もうすぐ、それも明らかになる。だがまずは、君がここに“いた”という事実。それが、すべての始まりだ」


 沈黙が落ちる。


 その空気の中で、湊の目だけが、真っ直ぐに涼夏を捉えていた。


 「まず、事件を最初から整理しよう」


 湊が静かに口を開いた。


「赤坂、最初の被害者は誰だ?」


「確か……藤堂だったか。吊るされた男、首吊りだったか」


 赤坂が腕を組んだまま応じる。


「ああ、そうだ。第一の被害者、藤堂隼人。タロットで言えば“吊された男”」




 そのとき、涼夏が小さく眉をひそめた。


「藤堂……。あの大柄な男性のことよね。失礼だけど、私のような女性には、あんな人を吊るすなんて無理なんじゃないかしら?」




 柏原が即座に口を挟んだ。


「無理、とは限らないわ」




 湊がうなずいて補足する。


「“滑車の原理”というものがある」


「滑車の原理? なんだそりゃ」


 赤坂が首をかしげる。


「滑車がなくても、梁の上部に紐を通せば、それだけで簡易的な“力の分散”はできる。吊るされた藤堂の真上には太い梁があった。あの構造を使えば、力を一点に集中せず、引き上げることは可能なんだ」




 涼夏がすかさず返す。


「でも、その場面に滑車はあったのかしら?」




「滑車そのものはない。だが、原理を利用するために必要なのは、“支点”となる構造物。今回は、それが梁だった。梁に紐をかけ、その片方に藤堂を縛りつけ、もう一方を引っ張る。こうすれば、摩擦はあっても、理論上は引き上げられる」




「理論上、ね」


 涼夏が微笑を浮かべる。


「でも、その藤堂という男性の体重がどれくらいかは分からないけれど……仮に八十キロ程度と仮定した場合、引き上げるにはそれと同等以上の力が必要。滑車がなければ、摩擦も加わって、実際には百キロ近い力が要るわ」


「その通り。だから、単純な腕力だけでは不可能だ。だが――君は、腕力で吊るしたとは言っていない」




 柏原が補足する。


「逆に言えば、“力で吊るした”と思わせることが、この演出の目的だった可能性があるわ」




 湊が静かに続ける。


「藤堂の遺体は、梁の上から吊られていた。だが、現場には“足跡”がなかった。つまり……犯行は、前もって用意されていた仕掛けだった可能性が高い。遺体を引き上げたのではなく、“引き上がったように見せかける”装置だったとしたら?」




 涼夏の笑みが、わずかに揺れる。


「……なるほど。引っかけて、引くだけ、というわけ」


「そうだ。タイミングを見計らって、紐を引けば、それだけで“吊られた男”が完成する。しかも、殺害されたあとであれば、抵抗もない。必要なのは、冷静な判断と、下準備だけだ」




 沈黙が落ちる。


 だが、そこにあったのは緊張ではなかった。むしろ、静かに包囲されていく感覚――。


 涼夏は微笑を絶やさず、次の反論を探しているようだった。




(だが、すでに“舞台”は、整いつつある)




 湊はそう確信していた。


「それでも――」


 涼夏が口を開いた。


「その推理には、まだ穴があるわ。遺体が“引き上がったように見せかけた”っていうけれど……なら、藤堂はなぜ首を吊っていたのかしら?」




 彼女の声には、冷静さの裏に微かな苛立ちが滲んでいた。


「首を吊っていた、ということは、上から落としたの? でも、あの梁の上なんて狭すぎる。人を落とすスペースなんてないはずよ」




「その通りだ」


 湊は頷いた。


「あの梁の上に立つことはできない。だから、あの場で“首を吊った”と断定するのは早計だ。だが、その話に移る前に、次の事件を整理しよう」




 湊が、少し視線を動かして呼びかける。


「理沙。第2の被害者は誰だったか?」


「えっ、ええと……」


 理沙が戸惑いながらも答えた。


「森崎さん、でしたよね」


「そうだ。森崎悠斗。タロットでは“愚者”のカードが添えられていた」




 涼夏がすかさず口を挟む。


「確か、ボウガンで頭を撃ち抜かれていたのよね」


「ええ、そうよ」


 柏原が頷く。




「そのとき、赤坂は言っていた。『最初に通った時には、あの仕掛けはなかった』と」




 湊の声に、赤坂もうなずく。


「ああ、間違いねえ。俺と森崎で通ったとき、俺が後を歩いてたんだ。慎重に一歩ずつ確認しながらな。あの罠があれば、絶対に気づいていた」




「だが――森崎は違った」


 湊が言葉を継ぐ。


「彼は軽率に先へ進み、罠にかかった。そして、あのとき初めて“仕掛けがあった”ことが明らかになった」




 柏原が鋭く問う。


「つまり、あの罠は“その間”に設置された可能性がある。慎重だった赤坂には気づかれず、森崎が先に行くそのわずかな時間の中で、あの殺意が形になった」




「……そんなこと、私が知るわけないわ」


 涼夏が口元を歪める。


「そのとき、私は館にいなかったんだから」




 その言葉に、湊がにやりと笑った。


「ああ、“いなかった”な。だが――その“いなかったこと”が、まさに君のアリバイだった」




 涼夏の表情が、わずかに動く。


 それは、初めて見せた隙――。




「だが、すでに君はこの館に潜んでいた可能性がある。誰にも見られず、裏手から侵入して、犯行を済ませた上で……白鳥たちと“偶然”出会ったように装って再登場した」




 沈黙が落ちる。


 それは、否定すればするほど真実味を帯びてしまう、静かな圧力だった。




「“居なかったからこそ、できなかった”じゃない。“居なかったことにしておく必要があった”――それが、君の計算だったんじゃないか?」




 涼夏は微動だにせず、ただ静かに湊を見つめ返していた。


 その瞳に、はたして“余裕”は残っているのか――それとも、すでに“壁際”へと追い込まれているのか。




(残る事件、そして真相を決定づける鍵……あと、わずかだ)




 湊の内心には、確かな確信が芽生えつつあった。


「でもよ……」


 赤坂が首をひねりながら、低く呟いた。


「どう考えても無理じゃねぇか? 後ろにいた俺に気づかれねぇようにして、先に進んでた森崎にだけトラップを仕掛けるなんざよ」




「実は、そうでもない」


 湊の声は静かだったが、その響きには確信が宿っていた。




「どういうことかしら?」


 涼夏が、皮肉混じりに問い返す。




「あのときのトラップは、ピアノ線によって起動した痕跡がある。つまり、すでに設置されていた線を“引くだけ”で作動させられたということだ」




「それでもおかしいわ」


 涼夏は表情を崩さない。


「あの辺りは、死角になるような場所なんてなかったはず。どこにも隠れる場所なんてない。そんな場所で、どうやって線を引いたっていうの?」




 柏原が涼夏に視線を向ける。だが湊は、わずかに肩を竦めて応じた。


「ああ……確かに、隠れる場所はなかった」




 涼夏の口元に、小さな笑みが浮かぶ。


「それじゃあ、降参かしら?」




「……いいや。むしろ、君のその反応で確信が強まった」


 湊の瞳が細められる。




「だが、その話をするにはまだ早い。次は第三の事件……羽鳥の事件について触れておくべきだ」




 再び空気が張り詰める。


「羽鳥綾子は、短時間の停電の直後に姿を消し、血に染められた衣服で“隠者”のカードと共に発見された」




 涼夏が首を傾げる。


「一瞬の停電……。そんな僅かな時間で、人一人を連れ去って殺害する? 現実的じゃないと思うけど?」




「現実的ではない。だからこそ、それを逆手に取った。普通なら不可能だと思われることを、“可能”に見せかけたのがこの事件の本質だ」




 湊は視線を横に流し、続けた。


「羽鳥はあのとき、足を痛めていてソファに座っていた。つまり、逃げる術はなく、狙われたときにはなすすべがなかった」




「けど、それでも一瞬よ? たったの数秒、停電が起きていたのは」




「そう。その数秒が“仕掛け”だった。最初から羽鳥を狙う準備がされていたとしたら? 犯人が羽鳥の背後に既に忍び寄っていて、灯りが消えたその一瞬に毒を仕込む、あるいは眠らせて運び出す……」




「まさか、そんなタイミングよく……」




「タイミングの問題じゃない。演出の問題だ」


 湊が静かに言い放つ。


「この事件は最初から“舞台”として設計されていた。そう考えれば、“現実的かどうか”ではなく、“観客にどう思わせるか”が重要になる」




 涼夏の顔から、表情がわずかに消えた。




 その無言が、反論の余地を失いつつあることを――雄弁に物語っていた。


 「私はその場にいませんでしたから分かりませんが……その話が事実だとしたら、やはり私にも不可能なように思えます」


 白鳥が静かに言った。


「僅かな時間しか停電していなかったのに、人を連れ去るなど……常識的には考えづらい」




 湊は、わずかに目を細めながら呟いた。


「……観客がどう思ったか、が大切なんだ」




 その言葉に、一瞬空気が張り詰める。




「あのとき、広間に残ったのは……神村詩音だけだった」




 沈黙。




 湊は、視線を逸らさずに続けた。


「俺は、彼女こそが――今回の殺人劇の“脚本”を書き上げた黒幕だと考えている」




「マジかよ……」


 赤坂が小さく呟く。




 凛が不安げに声を震わせる。


「で、でも……その人、死亡したんですよね……?」




「ああ、死亡した。だが――それは“本物の方”だ」


 湊の声が、静かに空気を切り裂く。




「俺たちと行動を共にしていた“神村詩音”は……偽物。死亡推定時刻から十二時間以上が経過していた遺体の存在が、その事実を裏付けている」




 涼夏が、腕を組みながらやや挑発的な声を返した。


「それで? 詩音さんがいたから、なんなの? まさか、彼女が羽鳥さんを連れ去った、とでも言うの?」




「いや――違う。重要なのは、あの“タイミング”そのものが“罠”だったという点だ」




「罠……?」


 赤坂が眉をひそめる。




 柏原がうなずき、言葉を継いだ。


「あのとき、私たちは全員、羽鳥さんを探しに部屋から出た……」




 湊がその言葉を引き取る。


「つまり、詩音以外の全員が“目撃者”ではなくなった瞬間。たった一人、部屋に残された彼女だけが、舞台を整える“演者”となった」




「恐らく、羽鳥が座っていたソファの周辺には――隠し扉か、反転する床のような“からくり”があったんだろう」




「……無理矢理すぎるわね」


 涼夏がやや呆れたように息を吐いた。


「たった1~2分の停電。そんな短時間で何ができるというの? 連れ去って、死体を隠して、血染めの衣装に着替えさせて……そんなこと、到底不可能よ」




「違う。“たった1~2分”だったからこそ、成立した犯行なんだ」




 湊の声は、確信に満ちていた。


「長時間の停電なら、全員が不安になって動き出す。だから、あの一瞬だけを狙った。“観客”に違和感を与えない、“舞台演出”としての停電」




「そして、全員が部屋から出たタイミング――まるで何かに導かれたかのように」




「……誘導、だったというの?」




「ああ。“探しに行こう”と、詩音が最初に言ったことを覚えている。あれが、全ての始まりだった」




 柏原が静かに呟く。


「“姿を消す演出”は、最初から台本に書かれていた、ってわけね……」




 沈黙が落ちる。


 だがその沈黙は、もはや“否定”ではなく、“理解”への沈黙だった。




 疑いは、確信へと変わりつつあった。


「バカバカしいわ」


 涼夏が肩をすくめ、冷笑を浮かべた。


「そんなことで、犯人が分かるとでも?」




 湊は黙ったまま、わずかに息を吐いた。




「……ああ。普通なら、まだ詩音と舞の事件について話すべきなんだが……」




 そこで湊は言葉を切り、静かに首を振った。


「もうその必要はない」




「は? どういうことだよ」


 赤坂が目を丸くする。




「詩音の件は……既に本人がこの世にいない以上、捜査は困難を極める」


 湊の声は冷静だった。


「そして、舞の事件については――彼女が意識を完全に取り戻せば、本人への事情聴取が可能だ。今この場で無理に問い詰める必要はない」




 だが、小田切が不安げに口を挟む。


「そ、それまでに……犯人が逃げたら、どうするんだ?」




 その問いに、湊は迷いなく答えた。


「いや――犯人は、逃げられない」




 その言葉に、場の空気が凍る。




 涼夏がゆっくりと視線を湊に向けた。


「……それって、私に言ってるのかしら?」




「涼夏」


 湊は呼びかける。


「お前に……一つだけ、聞きたいことがある」




「なにかしら?」




 わずかに声の調子が変わった。




 湊のまなざしが、射抜くようにまっすぐだった。


「なぜ、知っている?」




 涼夏が瞬きをする。


「……何が、かしら?」




 湊は静かに、しかしはっきりと続ける。


「藤堂の体型。森崎がボウガンで頭を撃ち抜かれていたこと。そして、停電の時間が“わずか1~2分程度”だったこと――なぜお前は、そんな詳細を知っている?」




 沈黙が落ちた。




「お前は、その三つの事件のどれにも居合わせていない。――なぜなら、その時点で“館に居なかった”からだ」




 涼夏の唇が、わずかに震えた。




「そ、それは……他の人から……聞いたから……」




 湊は首を横に振った。


「誰も、そんな話はしていない。俺たちが最初に話したのは、“この館で三人が殺された”という事実だけだった。状況の詳細は、伏せられていたはずだ」




「た、たまたま耳にしただけ……」




「偶然では説明できない」




 湊の声に、さらに鋭さが宿る。


「白鳥。お前はどうだ?」




「……私は、人が亡くなっている、とだけ聞きました」




「小田切は?」


「俺も同じです。詳しい状況までは知らされていない」




「凜は?」


「わ、私もです……」




 湊はゆっくりと頷く。




「つまり、“初期から館にいた”俺、柏原、理沙、沙耶、赤坂――この五人以外は、“詳細な情報を知るはずがない”。……真犯人以外は、な」




 場の空気が、ぴたりと止まった。




 そして、涼夏の肩が、わずかに揺れる。




 疑惑の輪郭が、ついに決定的な“かたち”を成し始めていた――。


 涼夏は睨みつけるようにして、湊と柏原を見返した。




「……全ては状況証拠に過ぎないわ。私が口走ったことだって、誰かがポロッと言っていたかもしれない。それに、羽鳥の件はどうなるのかしら。隠し扉? そんなものあったのかしら?」




 続けざまに、涼夏は言葉を重ねる。




「それに、藤堂の件だってそうよ。どうやって、あの巨体を持ち上げたというの? いくら滑車の原理を使ったとしても不可能。私にそんな力はないわ。森崎の件だってそうよ。ピアノ線を引っ張った? はっ! 隠れる場所もないのに、誰にも見られずにどうやってそんなことが出来るのかしら? まさに不可能犯罪じゃない!」




「白鷺涼香……」




 柏原が低く、静かにその名を呟いた。




「……その名前に聞き覚えはあるわね」




「…………」




 涼夏の顔が、僅かに引きつった。




「あれ、それどっかで聞いたような……」




 赤坂が記憶を探るように目を細めた。




「柏原が本庁に問い合わせた際に来た返信の時の話だ」




 湊が補足する。




「白鷺館で起きた、過去の一家心中事件──唯一の生存者の名前が、それだった」




「…………違う」




 小さく、けれどはっきりと、涼夏が呟いた。




「違う……私は……犯人なんかじゃ……ない……」




 その声には、怒気も、否定も、もはや宿っていなかった。




「……舞台は、始まっていたのよ。私が、まだこの館に来る前から」




 涼夏――いや、白鷺涼香はゆっくりと肩の力を抜いた。




「脚本は神村詩音が書いた。でも、私が“演じた”。誰にも気づかれずに、ひっそりと……影の主役として」




 静まり返る室内。


 誰も、言葉を挟もうとはしなかった。




 そして、湊が口を開く。




「……これで、全てだ」




 殺人劇の“幕”が、ようやく下りた。

 ――そう思っていた。

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