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第2話 過去の傷跡



タニア・ローズウッドが自分の名前を胸を張って名乗ることができるようになるまで、10年という歳月が必要だった。今でこそ社交界で称賛を浴びる彼女だが、かつての彼女は地に落ちた貴族の末娘に過ぎなかった。何より、その名誉を奪われた理由が「裏切り」という言葉に集約されることが、彼女の心に深い傷を残している。



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「お父様は国家を裏切った反逆者です!」


その言葉を口にしたのは侯爵令嬢ベアトリス・カーライルだった。彼女は当時、まだ14歳だったタニアの前で、大人たちが議論を交わす会議室に堂々と現れた。父であるローズウッド公爵は驚きと怒りで声を荒げたが、ベアトリスは冷静な微笑みを浮かべながら、次々と証拠を提示した。それらは全て捏造されたものだったが、その巧妙さゆえに周囲の人々は疑いを持たなかった。


「これ以上の議論は不要でしょう。証拠は揃っています。」

ベアトリスが静かにそう告げると、国王は厳かにうなずいた。結果としてローズウッド家は国家反逆罪を理由に公爵位を剥奪され、父親は処刑、残された家族も貴族社会から追放されることとなった。



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その後の日々は、地獄だった。


タニアと母親は一夜にして住み慣れた屋敷を追われ、田舎の小さな借家でひっそりと暮らすことになった。使用人も財産も奪われた彼女たちは、かつて支配していた貴族社会から徹底的に排除されたのだ。


「お母様、どうして私たちがこんな目に遭うの?」

泣きながら尋ねたタニアに、母親は疲れ切った顔で答えた。

「タニア、世の中は正しいことばかりではないの。私たちは……ただ権力に負けたのよ。」


母親の言葉はあまりにも無力だったが、それが当時のタニアにとって唯一の現実だった。そして、母親はそのわずか数年後、心労と病によって静かに息を引き取った。


母が亡くなった夜、タニアは母の形見として紅いドレスを取り出した。それはかつてローズウッド家の繁栄を象徴するような豪華なドレスであり、彼女の母が最後に着たものだった。その生地に触れた瞬間、タニアは決意を新たにした。



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「絶対に取り返してみせるわ。」


その日以来、タニアは復讐のために全てを注ぎ込んだ。彼女は並外れた努力で社交界で必要とされる知識、礼儀作法、そして魅力を身に着けた。貴族として失った地位と名誉を取り戻すには、ただ美しくあるだけでは足りない。知性と計画性、そして冷徹な覚悟が必要だった。



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復讐の相手としてのベアトリス


ベアトリス・カーライル――その名前をタニアが忘れることはなかった。彼女はその後も順調に出世し、侯爵令嬢として社交界の中心に居座り続けていた。彼女がローズウッド家を陥れるために捏造した証拠の全ては、今や歴史として確定しており、誰もがそれを真実だと思い込んでいる。


「ベアトリスがしたことを、絶対に許さない。」

タニアは母の形見である紅いドレスを身に纏いながら、その言葉を何度も繰り返した。このドレスは、単なる復讐の象徴ではない。母親が命を懸けて守ろうとしたローズウッド家の誇りそのものなのだ。



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社交界への再登場


10年後、タニアが再び社交界に姿を現したとき、その美貌と気品は誰もが目を見張るものだった。だが、タニアが真に恐れられたのは、その微笑みの奥に秘められた冷徹さである。彼女は相手をじっくりと観察し、言葉一つで相手の心を掴む術を心得ていた。そして、その最初の標的として選んだのが、他でもないベアトリスだった。


舞踏会の華やかな音楽の中で、タニアは静かにグラスを持ちながら、ベアトリスの姿を探した。彼女は取り巻きたちに囲まれ、無邪気な笑顔を浮かべている。その姿を見るだけで、タニアの胸に怒りが沸き上がる。


「どうしてあの女だけが、あんなにも無邪気でいられるの?」

しかし、タニアはその怒りを抑え込み、微笑みを崩さなかった。復讐は衝動で成し遂げるものではない。冷静に計画し、一つ一つ着実に積み重ねていくものなのだ。


タニアはグラスを置き、ゆっくりとベアトリスに近づいた。彼女はすでに心の中で決意を固めている。


「ベアトリス、この舞踏会があなたの最後の晴れ舞台になるわ。」





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