「お気づきになられましたか」
淡々とした声色で、緩々と意識が覚醒する。
突然網膜を襲う強烈な光から瞳を守ろうと片手を翳そうとした時、急激な激痛が身体を襲った。
「……ッ!」
「まだ動いてはなりません。今宮廷医を呼びますので、そのままお待ちください」
今まで体験した事もない激痛に、喉が詰まって息すら出来ない。
じんわりと涙の膜が張る両目を何とか凝らせば、黄金色の陽が燦々と近くの窓から漏れていた。
頭上には見たこともない模様の天井がある。背中に感じるのは、羽根のように柔らかな布団の感触。どうやら寝かされているようだ。
(……生きている…)
不意に浮かんだ言葉の意味は分からない。どうしてそう思ったのかも。何故私だけが生きているのかと思っては、わけもわからず涙が溢れてきた。
どうして泣いているのだろう。どうして息をするのが苦しいのだろう。湧き上がってくる疑問に答えてくれる人は、誰一人としていないようだった。
ほどなくして現れたのは、白い衣服を着ている男性だった。目を覚ました時に傍にいた女性が連れてきたのだろう。
男性はベッドに横たわる少女へ手を翳すと、静かに目を閉じた。その瞬間、少女は全身が温かい風に包まれるような感覚がして、息をするように目を閉じていった。
「……何かとても大きな力を使ったのでしょうか。魔力が枯れています。傷を癒すことはできますが、これ以上のことは私には出来ません」
「魔力が枯れる、とは?」
「言葉の通りでございます。花のように、衰えて命が終わっているのです」
萎れた花には水を与えれば再び咲くが、枯れた花に水を与えてもまた咲くことはない。男はそう語ると、少女に翳していた手を下ろした。
「目をお開けください」
女性の声で、少女は目を開けた。
女性は少女が身体を起こすのを手伝うと、ブランケットを肩に掛け、湯気が立つカップを差し出した。
淡々とした口調なうえ、少しも笑わないので冷たい印象を受けるが、手つきは優しかった。
「ありがとう、ございます…」
「痛いところや、苦しいところはございませんか」
少女は返事の代わりに頷くと、受け取ったカップを覗き込んだ。
そこには酷い顔をしている少女が写っていた。髪や顔は汚れ、瞳に正気は失く、唇は乾燥で荒れている。
無意識に指先で髪に触れていることに気づいたのか、女性が少しだけ顔を近づけてきた。
「湯浴みを致しましょうか。すぐに用意させます」
「あのっ……」
少女は衝動的に女性の衣服を掴んでいた。表情ひとつ変えない女性の顔をおずおずと見上げ、それから開きかけた口を閉ざす。
女性は何度か瞬きをしたが、衣服を掴んでいる少女の手に触れると、優しく包み込むように握った。
「私はセルカと申します。皇帝陛下よりお世話を命じられました」
「……セルカさん」
「セルカ、とお呼びください。さあ、御手を」
セルカと名乗った表情に乏しい女性は少女を立ち上がらせると、ゆっくりとした足取りで隣室へと導くのだった。
隣室は大きな浴室だった。剥ぎ取るように衣服を脱がされた少女は、セルカの手を借りて湯の中に身体を沈めた。
湯には無数の青い花びらが浮かんでいた。名前も知らない花だが、不思議と心が落ち着く良い香りだ。
セルカは無駄のない動きで少女を綺麗にしていった。
「ここはどこなのでしょうか」
頭の天辺から爪先まで洗われた少女は、ベッドがある部屋に戻るなりそう問いかけた。
セルカは柔らかいタオルで少女の髪を拭きながら、淡々とした口調で答える。
「ここはオヴリヴィオ帝国でございます」
「オヴリヴィオ…?」
「はい。ヴィルジール皇帝が治めておられます」
「ヴィル、ジール……」
少女はか細い声で繰り返した。どちらも初めて聞く名だ。
「私はどうしてここにいるのでしょうか」
「陛下の命で捜索に向かった騎士団がお連れになった、と聞いております」
少女は顔を俯かせた。どうやら自分は捜し出されるようなことをしてしまったようだ。
曖昧なのは、何も分からないからだ。思い出そうとしても、何一つ頭に浮かばない。
「私は、何なのでしょうか」
セルカは手を止め、タオルを手に持ったまま少女の目の前に来ると、顔を覗き込んだ。藍色の目が少しだけ見開かれている。
「……もしや、記憶が…」
セルカが何かを言いかけたその時、勢いよく扉が開いたかと思えば、腰に剣を穿いている男が二人入ってきた。
「──陛下がお呼びです。ご同行を」
少女は立ち上がった。世話をしてくれたセルカを振り返り、真摯な藍色の瞳をじっと見つめ返す。
目が合った瞬間、セルカは逸らすように頭を下げてきたので、どんな表情をしていたのかは見えなかった。