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第2話


「お気づきになられましたか」


 淡々とした声色で、緩々と意識が覚醒する。

 突然網膜を襲う強烈な光から瞳を守ろうと片手を翳そうとした時、急激な激痛が身体を襲った。


「……ッ!」


「まだ動いてはなりません。今宮廷医を呼びますので、そのままお待ちください」


 今まで体験した事もない激痛に、喉が詰まって息すら出来ない。


 じんわりと涙の膜が張る両目を何とか凝らせば、黄金色の陽が燦々と近くの窓から漏れていた。


 頭上には見たこともない模様の天井がある。背中に感じるのは、羽根のように柔らかな布団の感触。どうやら寝かされているようだ。


(……生きている…)


 不意に浮かんだ言葉の意味は分からない。どうしてそう思ったのかも。何故私だけが生きているのかと思っては、わけもわからず涙が溢れてきた。


 どうして泣いているのだろう。どうして息をするのが苦しいのだろう。湧き上がってくる疑問に答えてくれる人は、誰一人としていないようだった。


 ほどなくして現れたのは、白い衣服を着ている男性だった。目を覚ました時に傍にいた女性が連れてきたのだろう。


 男性はベッドに横たわる少女へ手を翳すと、静かに目を閉じた。その瞬間、少女は全身が温かい風に包まれるような感覚がして、息をするように目を閉じていった。


「……何かとても大きな力を使ったのでしょうか。魔力が枯れています。傷を癒すことはできますが、これ以上のことは私には出来ません」


「魔力が枯れる、とは?」


「言葉の通りでございます。花のように、衰えて命が終わっているのです」


 萎れた花には水を与えれば再び咲くが、枯れた花に水を与えてもまた咲くことはない。男はそう語ると、少女に翳していた手を下ろした。


「目をお開けください」


 女性の声で、少女は目を開けた。

 女性は少女が身体を起こすのを手伝うと、ブランケットを肩に掛け、湯気が立つカップを差し出した。


 淡々とした口調なうえ、少しも笑わないので冷たい印象を受けるが、手つきは優しかった。


「ありがとう、ございます…」


「痛いところや、苦しいところはございませんか」


 少女は返事の代わりに頷くと、受け取ったカップを覗き込んだ。


 そこには酷い顔をしている少女が写っていた。髪や顔は汚れ、瞳に正気は失く、唇は乾燥で荒れている。


 無意識に指先で髪に触れていることに気づいたのか、女性が少しだけ顔を近づけてきた。


「湯浴みを致しましょうか。すぐに用意させます」


「あのっ……」


 少女は衝動的に女性の衣服を掴んでいた。表情ひとつ変えない女性の顔をおずおずと見上げ、それから開きかけた口を閉ざす。


 女性は何度か瞬きをしたが、衣服を掴んでいる少女の手に触れると、優しく包み込むように握った。


「私はセルカと申します。皇帝陛下よりお世話を命じられました」


「……セルカさん」


「セルカ、とお呼びください。さあ、御手を」


 セルカと名乗った表情に乏しい女性は少女を立ち上がらせると、ゆっくりとした足取りで隣室へと導くのだった。


 隣室は大きな浴室だった。剥ぎ取るように衣服を脱がされた少女は、セルカの手を借りて湯の中に身体を沈めた。


 湯には無数の青い花びらが浮かんでいた。名前も知らない花だが、不思議と心が落ち着く良い香りだ。

 セルカは無駄のない動きで少女を綺麗にしていった。


「ここはどこなのでしょうか」


 頭の天辺から爪先まで洗われた少女は、ベッドがある部屋に戻るなりそう問いかけた。


 セルカは柔らかいタオルで少女の髪を拭きながら、淡々とした口調で答える。


「ここはオヴリヴィオ帝国でございます」


「オヴリヴィオ…?」


「はい。ヴィルジール皇帝が治めておられます」


「ヴィル、ジール……」


 少女はか細い声で繰り返した。どちらも初めて聞く名だ。


「私はどうしてここにいるのでしょうか」


「陛下の命で捜索に向かった騎士団がお連れになった、と聞いております」


 少女は顔を俯かせた。どうやら自分は捜し出されるようなことをしてしまったようだ。


 曖昧なのは、何も分からないからだ。思い出そうとしても、何一つ頭に浮かばない。


「私は、何なのでしょうか」


 セルカは手を止め、タオルを手に持ったまま少女の目の前に来ると、顔を覗き込んだ。藍色の目が少しだけ見開かれている。


「……もしや、記憶が…」


 セルカが何かを言いかけたその時、勢いよく扉が開いたかと思えば、腰に剣を穿いている男が二人入ってきた。


「──陛下がお呼びです。ご同行を」


 少女は立ち上がった。世話をしてくれたセルカを振り返り、真摯な藍色の瞳をじっと見つめ返す。


 目が合った瞬間、セルカは逸らすように頭を下げてきたので、どんな表情をしていたのかは見えなかった。

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