目次
ブックマーク
応援する
1
コメント
シェア
通報

第3話


「──お前が国を滅ぼした聖女か?」


 オヴリヴィオ帝国の皇帝・ヴィルジールは、銀色の髪と青い瞳を持つ美しい男だった。まるで作り物のような瞳は見つめられるだけで凍ってしまいそうなくらいに冷たく、一切のあたたかみを感じられない。


 誰もが畏怖する男の前に連れてこられた少女は、縄で上半身を縛られ、両膝を床に着かされた状態で、玉座にいるヴィルジールを見上げていた。


「分かりません」


「分からない、とは?」


「何も憶えていないのです」


 少女がそう告げると、背後で佇んでいた騎士が手に持っていた縄を勢いよく引いた。少女を縛っている縄がぎゅっと締まり、思わず苦しげな声が漏れる。


「貴様、よくもそのような事をッ…」


 怒りを露わにした騎士は、縄を握る手に更に力を込めた。


 自分へと向けられる負の感情と強い痛みに、少女は思わず目を閉じたが、その時間は続かなかった。


「誰の許可を得て、貴様は動いている」


 恐ろしく冷たい声が頭上から聞こえ、少女は顔を上げた。


 そこには先ほどまで玉座にいたヴィルジールの姿があり、刃物のように鋭い視線を騎士に注いでいた。


 騎士の顔が一瞬にして恐怖に染まる。身体が動かないのか、唇を震わせながら見上げていた。


 ヴィルジールは少女へと視線を移すと、白い手を翳した。すると、どこからともなく現れた氷の刃が、少女を縛っていた縄を一瞬で切った。


「……名は」


 少女は落ちた縄を見つめたまま、首を左右に振った。

 自分がどこの誰で、今まで何をしていたのかも、これから何をしようとしていたのかも分からないのだ。


「全員下がれ」


 ヴィルジールがそう言うと、少女に怒りを向けた騎士は脱兎の如く駆け出し、配置されていた騎士たちも即座に退出していった。


 玉座があるだけの広い空間にふたりきりになると、ヴィルジールは歩き出した。玉座に戻るのかと思いきや、その足先は別の方向を向いている。


「着いてこい」


 有無を言わせない、寒々とした口調で言われ、少女は反射的に頷いていた。


 少女が立つと、ヴィルジールは歩き出した。どこへ向かうのか問う勇気は湧かない。黙って後ろを着いて行くと、大きな硝子の扉の前でヴィルジールは足を止めた。


 ヴィルジールが取手に触れると、その扉は開かれた。


 扉の向こうはテラスだった。引き寄せられるように柵の向こうを覗き込むと、この城が随分と高い場所にあることが分かる。


 巨大な城門の向こうには、広場を囲うようにして煉瓦造りの家が並んでいる。景観を重視して造らせたのか、とても色鮮やかだ。さらにその外側には、門のある邸宅が並んでいる。貴族の別邸だろうか。


 夢中になって眺めていると、すぐ隣にヴィルジールが立つ気配がして、少女は顔を向けた。


 ヴィルジールは「見えるか」と少女に問うた。辿るように目線の先を追っていくと、街並みではないものを見ているようだった。しかし街の外には何もない。


 いや、何もないことがおかしいのだ。草も木も水も、何も芽吹いていない大地を、ヴィルジールは見つめている。そのことに気づいた少女は、もう一度ヴィルジールの顔を見つめた。


「五日前、国がひとつ滅んだ」


 ヴィルジールは前を見据えたまま、表情ひとつ変えず、抑揚に乏しい声で言った。


「突如巨大な光を放ったかと思えば、国土は瞬く間に枯れ、草木ひとつ芽吹かぬ大地と化したそうだ。──それは、お前がやったのか?」


「────」


 少女は瞳を揺らした。身に覚えのないことだと叫びたかったが、ヴィルジールの瞳があまりにも冷たくて、声が喉元を越えてくれなかったのだ。


 国が滅んだことも、生命が芽吹かなくなったことも、今初めて知ったことだ。ならばやったのは自分ではないと言えばいいのに、何も言えずにいる。


 分からないのだ。身に覚えはないけれど、自分の記憶は何もない枯れた土地で倒れていたところから始まっている。


 ならばその前はどこで何をしていたのか。どうしてあの場所にいたのか。何も分からないから、否定さえできない。


「分かりません。何も憶えていないのです」


 ヴィルジールの横顔から、遠くの地へと──まっさらな大地へと目を向ける。ここからでも、その場所が寂しいことが見て取れて、胸が痛んだ。色鮮やかな国土の向こうは、茶一色だ。


 そこに、自分はいたのだろうか。国というものがなくなる瞬間を見ていたのだろうか。失われた記憶は、そのきっかけとなることを知っているのだろうか。


 考えても考えても分からなくて、何と言い表したらよいのか分からない気持ちが芽生えた。今はただ、肺の奥が痛くて堪らない。


「国を失った民は路頭に迷い、オヴリヴィオに助けを求めてきた。宰相が事情を問いただしたところ、民たちは口を揃えてこう言ったそうだ。聖女が聖王を殺し、国も消し飛ばした罪人だと」


「私を知る人が、そう言うのなら……きっとそうなのでしょう」


「認めるのか」


 少女はぎこちなく笑った。


「私は何も憶えていないのです。…大罪を犯したのなら、償わなくては」


 ヴィルジールは眉一つ動かさずに「そうか」と短く吐くと、少女を置いて中へと戻っていった。

この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?