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第5話


 初めて踏んだオヴリヴィオ帝国の道は硬かった。寒々とした色合いの石で整備され、それは見渡す限り続いている。

 静かに息づいている花々を横目に、少女は駆け足で城門へと向かった。


(──イージスの、民)


 セルカが言っていたそれは、滅んだ国の名前なのだろう。このオヴリヴィオ帝国の隣にはイージスという名の国があり、きっと、その聖女が自分だった。


 聖女と聖王の関係は分からない。だが、聖女は稀有な力を持った存在のようだったから、関わりがあったのは確かだ。


(──わたしは、なにをしたの)


 城門の前には二桁近い騎士がいた。少女の存在に気づくと、剣を抜く者もいれば驚いて固まる者もいたが、近寄ってくる者は誰一人としていなかった。


 少女は肩で息をしながら鉄製の門を見上げる。これはどうやったら開くのだろうか。たとえ誰かに肩車をしてもらったとしても、よじ登れる高さではない。


「──何処へ行かれる?」


 立ち尽くす少女に声を掛けたのは、ダークブルーの髪の男性だった。急いで駆けつけたのか、前髪を大きく分けたミドルヘアが少し乱れている。


 騎士たちは避けるようにして道を空け、男性は作られた道を真っ直ぐに突き進み、少女の目の前で足を止めた。


 胸元に飾られている黄金の翼の紋章が、光を受けて煌めていている。他の騎士にはないそれは、彼が騎士たちの上官である証だろう。


「街に行きたいのです」


「何をしに?」


「イージスの民に、逢いに」


「そうですか。ならばここを通って、行かれるといい」


 男性の言葉に、周囲の騎士たちが反対の声を上げる。せっかく捕まえたのに、と興奮気味に言う者や、皇帝陛下の許可なく外に出すなんて、と不安げに言う者もいた。


 だが男性は視線一つで彼らを黙らせると、翠色の瞳を真っ直ぐに少女へ向ける。


「どうぞお好きに。自ら殺されに行こうとしている聖女様を止める権利はないからな」


「アスラン様ッ!!」


 彼の後方で黙って見ていた騎士の一人が叫んだものは、彼の名前なのだろうか。


 アスランの手は何の躊躇いもなく装置へと伸び、レバーを掴むと勢いよく下へ引いた。すると、鉄製の門が左右にゆっくりと開かれていく。


 少女は前へ踏み出す前に、アスランの顔を見上げた。


「ありがとうございます」


「死への道を早めた私にお礼を申されるとは。さすがは一国を滅ぼした聖女様だ」


 アスランは眉を跳ね上げ、皮肉めいた笑みを浮かべる。

 少女はアスランに向かってぎこちなく微笑むと、オヴリヴィオ式でない敬礼をしてから、城の外へ身を投じた。



 城を出た少女は、まず目に入った人にイージスの民はどこにいるかと尋ねた。


 相手は少女の髪を見るなり、悲鳴に近い声を上げて後退った。それを見かけた者は逃げるように去り、ある者は建物の中に逃げ込んだ。


 瞬く間に人々から避けられ、少女は重い息を漏らした。

 これほどまでに自分の顔と罪を知る者は多いのか、と。


 何処へ向かえばイージスの民に逢えるのか、途方に暮れそうになったその時、少女の背に硬いものが投げつけられた。


 足元に転がったそれは、小さな石だった。辺りを見回すと、小さな男の子が泣き出しそうな顔で少女を見ていた。


「どうして、聖女様が生きているの」


「………わたしは…」


 男の子の声は震え、濡れていたような気もして。その声からは深い悲しみを感じた。

 やはり自分は、聖女というとんでもないやつだったのだ。


「おい、聖女が生きているぞッ…!」


 男の子の父親らしき男が、憎々しい顔で声を上げる。すると、四方八方から人が現れては自分を囲い、怒りや悲しみの声とともに石をぶつけてきた。


「お前のせいで聖王様がッ」


「お母さんを返して!」


「お前のせいで、一瞬で焼け野原だっ…!」


 終わりのない罵声と暴力は、いつしか「死んで詫びろ」という声へと変わっていった。


 石の道に、はたはたと赤色が落ちる。額の辺りからぬるりとしたものが流れる感触がして、少女はそこに触れる。下ろした手には、鮮血がべっとりと付いていた。


「……ごめん、なさい」


「謝って済むことじゃねえよ!」


「這いつくばって詫びろ!そして死ね!」


 息をするように吐い出た言葉は、彼らの導火線に火を付けてしまったようだ。その瞬間から、彼らが投げるものが石だけではなくなった。


 卵に果物、固い野菜、食器類に木片と、次々と色々な物を投げつけられる。


 少女は目を閉じて堪え、されるがままになっていたが、ついに大きな物で殴られて体勢を崩した。その時に足を挫いてしまったのか、片方の足首に鈍痛が走る。


「死ね!イージスを滅ぼした聖女!」


「いっ………、」


 髪も掴まれ、更なる痛みに顔を顰める。力を振り絞って目を開けると、セルカが綺麗にしてくれた自分の髪が映る。


 光の束を集めたようだと、言ってくれた。降りた瞼の裏側に、優しい光が灯り、柔らかい声が流れる。


 しかしそれは、セルカのものではない。一度だけ会ったヴィルジールのものでもない。けれど、懐かしく思える声だ。 


「(──私の聖女)」


 頭の中を流れる優しい声音に、あたたかくて、泣きたくなるような気持ちになる。


(───わたしは)


 私は誰で、何をしてしまったのか。胸の奥から込み上がるものの名を探そうとしたその時、思考を妨げるほどの悪寒を感じて、少女は薄らと目を開けた。


 ──朧げな視界いっぱいに、青色が揺れている。

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