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第6話


「──無様だな」


 恐ろしく冷たい声だ。もう瞼を開けることすら億劫で、顔を見ることは叶わなかったが、その声を聞いて、誰なのかはすぐに分かった。


 声の主の姿を胸の内で描くよりも前に、そこに居た人々が怯えた声でその名を呟いていた。──なぜここに氷帝が、と。


「アスラン。何故この女が城の外にいる」


「城門を潜ったからに決まっているだろう?」


「適当な部屋に押し込んでおけと、命じたはずだが」


 アスランは反省の色も見せずに「それは申し訳ございませんでした」と吐くと、怯える人々へと目を移す。予想していた通りの事が起こり、ほくそ笑んでしまいたくなったが、ヴィルジールの前なので押し留めた。


 目を閉ざして横たわる少女の頬に、冷たい何かが触れる。それが何かを少女は確かめることが出来なかったが、ヴィルジールのものだということは感じ取れた。


「……聖女、か」


 冷たい何かは、頬から首筋へと滑り、鎖骨で止まると離れた。 


「こ、皇帝陛下…!その聖女をどうするおつもりですか」

 勇気を出して聖女の処遇を尋ねた者を、ヴィルジールは眼差し一つで黙らせると、マントを翻した。


「聖女を城へ」


「──はっ!」


 突然ふらりと現れた聖女と、即位以来城から出ていない氷帝を、人々は呆然と見ていることしか出来なかった。



 誰かが、呼んでいる。

 緩々と閉じていた瞼を開くと、そこは真っ暗な空間だった。

 前後左右、どこを見回しても広がるのは闇ばかりだが、その中央には光が浮かんでいる。


 目を凝らしてじっと待っていると、その光は淡い膜を纏いながら、何かへとうつり変わった。それは、ひとりの人になった。


「(──私の聖女)」


 頭の中に声が響くと同時に、目に映る人の姿が鮮明になっていく。その人は胸下くらいまである黄金色の髪と優しげな碧目に目が行く、とても美しい人だった。声を聞かなければ、女性だと見間違えるほどに。


 はためく白い外套の下には瞳と同じ色のローブを着ていて、左右に分けられた前髪から覗く額飾りには、菫色の石が嵌め込まれている。

 その人を、少女は知っている気がした。


「(大丈夫。貴女は私が守ります)」


 まるで陽だまりのような、懐かしさを感じた。それだけで泣きたくなるような、穏やかな気持ちだ。


(わたしを聖女と呼ぶ、あなたは──…)


 少女を聖女と呼んで、優しく微笑いかけてくる美しいこの人は、誰なのだろうか。

 答えはきっと、ひとつだけだ。


(あなたは、わたしが)


 青年の口がゆっくりと言葉を綴る。音にならないそれを、必死に目で追ったけれど、最初の一音しか読み取れなかった。


(───……?)


 青年は少女に何を伝えようとしたのだろうか。



 目を開けると、真っ先に目に入ったのは見覚えのある天井だった。時刻は夜なのか、宝石を集めたようなシャンデリアが光を放っている。


 ぼんやりと上を眺めていたら、ドアが開く音がした。首だけを動かすと、驚いた顔をしているセルカと目が合う。


「聖女様っ…!」


 セルカの手から照明具が落ちる。それに目もくれずに駆け寄ってきたセルカは、夜でも分かるほどに瞳を揺らしていた。


「痛いところは、ございませんか」


 少女は首を左右に振った。血を流すような怪我をしていたはずなのに、不思議とどこも痛くないのだ。


「苦しいところは」


「セルカさん」


 お人形のようだった彼女が、顔を忙しくさせているのを見て、思わず口の端に笑みが滲む。


 自分の正体は罪を犯した聖女だったというのに。駆けつけてくれるほどまでに、心配してくれていたのだろうか。


「セルカとお呼びくださいと、申し上げましたのに」


「いやです。それだけは」


 揺れる藍色を見つめながら、その手を握り返す。

 まだ出逢って間もないというのに、側に居てくれると安らかな気持ちになる。不思議なことだ。


「すぐに温かいお飲み物をお持ちいたします。少しお待ちください」

「セルカさ──」


 それは必要ない、と言おうとした時だった。背を向けたセルカが、そこから動かなくなったかと思えば、深々と頭を下げたのは。


 部屋の入り口に立つ人影を見て、少女は静かに目を見張った。


「……皇帝、陛下」


 氷帝・ヴィルジール。さらりと流れる白銀の髪と冷たい青い瞳を持つ、このオヴリヴィオ帝国の皇帝。城の奥深くにいるはずの人が、目の先にいる。


「下がれ」


 有無を言わせない声に、セルカは迅速に出ていく。入れ替わるように部屋に入ってきたヴィルジールは、ベッドの前まで来ると、腕を組んで少女を見下ろした。


「訊きたいことがある」


「何でしょうか」


 少女はゆっくりと上半身を起こして、ヴィルジールを見上げる。


 ヴィルジールは無言で少女を見つめていたが、すぐ近くにあった椅子を引き寄せ、そこに座った。長い脚を組むと、今度は何かを考え込む様子で見てくる。


「魔法を使えなくなっているとか」


「そのようですね。診てくださったお医者様の見立てによると、枯れてしまっているようです」


「それに関して、思い当たることは?」


 ヴィルジールは何を知りたいのだろうか。彫刻のように輝く美貌の主に見つめられ、緊張してきてしまった。


「ありません。ですが、先生はこう仰っていました。とても大きな力を使ったのでは、と」


「その力が、聖王と国を消し飛ばしたのか」


 分かりません、と。何度目か分からない返しをして、少女は目を逸らした。

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