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第10話


 アスランは剣を掲げた。


「全治癒師に告ぐ!何としてでも、皇帝陛下の命をお助けせよ!!」


 おそらく、白服の人たちが治癒師というものなのだろう。緑色のあたたかな光を纏う彼らは、肩で息をしながらヴィルジールに駆け寄ると、次々とその手を翳していった。


 だが、いつになっても、いくつになっても、その光はヴィルジールに届かず、傷口は塞がらない。


「な、何で治せないんだ!」


 焦るアスランに、治癒師たちは困惑している。


「わかりません…!効かないのですっ…力が…」


「くそっ」


 アスランは傷を癒す力を持たないのか、悔しげに顔を歪めると、ヴィルジールの左手を握った。


「おい、ジル!俺を散々こき使っておいて、先に逝くなんて許さないからな!!」


「デューク卿……」


 ヴィルジールを包む光は大きくなるばかりだが、彼の傷はひとつも癒えず、血は流れ続けている。その頬が青白くなり、唇が紫色に変わっていることにいち早く気づいた少女は、治癒師たちを押し退けてヴィルジールの右手を握った。


 顔が真っ青だ。辛うじて息はあるようだが、もう長くは保たない。本能でそう感じた少女は、銀色の長い睫毛を見つめた。


 ヴィルジールを挟んで向かいにいるアスランが、少女の肩を強く押した。


「ジルに触るな!お前がこの国に来たから、あの化け物が現れたんじゃないのか!?」


「そうだぞ!イージスを滅ぼした聖女め」


 少女がヴィルジールの手を取ってから、彼を囲んでいた治癒師や騎士たちが非難の声を上げ始めた。初めは触るな、離れろ、何をするつもりだなどと軽いものだったが、それらは次第に言葉の暴力へと変わっていく。


 石を投げつけられる感触がしたが、少女は顔を上げた。


(聖女が何なのかは、よくわからない。でも…)


 少女は夜空を仰いでから、目を閉ざしているヴィルジールを見た。その瞼の裏に隠された瞳は、とても冷たくて、強くて、全てを凍てつかせてしまいそうで。


 けれど、民を救いに向かった時に見開かれていたそれは、守りたいものを守らんとするひとりの守護者のものだった。


 その眼差しを、少女は知っている。ヴィルジールのものではないけれども、同じものを少女も見ていた。側にいた。ずっと傍にいると約束していた。


 だけれど、それは……守れなかった。


(わたしはとても大切なものを、護れなかった。それだけは憶えているのです)


 少女はヴィルジールに語りかけるように、指先に力を込めた。


(思い出して、わたし。わたしは、聖女だったのでしょう?)


 少女は静かに息を吐ききり、己の内に問いかける。すると、本能なのか別の何かなのかは分からないが、胸の内から何かが溢れ出てきた。


 内なる光が、少女に何かを告げている。


 耳を澄ませると、いつかどこかで聞いたことのある声が、聞こえてくる。


──触れて、想って。遠ざかんとする光を求めて。 


 少女は全神経を指先に集中させ、ゆっくりと目を閉じた。そして、息を吸っては吐いてを繰り返し、指先を通してヴィルジールに呼びかける。


(──ヴィルジール、さん)


 その名を呼んだことはまだ一度もない。どうして手に触れたのかも分からない。けれど、これだけは分かる。


 死んでほしくないのだ、もう誰にも。これ以上目の前で失いたくない。


「お、おい…あんた……」


 アスランの戸惑った声が聞こえる。その周囲からはざわめきが起こっていたが、それら全てを遮断した。


(命の鼓動よ、私に応えて)


「(──よ。何を求める)」


 今度は頭の奥深くから、低い声が響いてきた。願いの代わりに何を捧げるか、と問いかけてきている。


 少女は胸の内で静かに微笑った。 


(この者に癒しを。この地の民に希望の光を。私の───と引き換えに)


 少女が祈るように空を仰いだ、その時。


 その瞬間、少女の胸元が光り出した。



 神秘的な黄金の輝きが満ちていく。 


 ある者の心に安らぎを、ある者の傷には癒しを。またある者には失われたものに再生を。


 その光は初めにヴィルジールを包み込んだが、そこから国全土を覆うようにして広がり、光の粒子を降らせた。


 少女は目を開けたが、その光量は目を開けていられないほどに膨れ上がっていた。反射的に目を閉じても、目蓋の裏は焼き尽くされるほどに光り輝いている。


 その光の中で、少女はひとりの青年を視た。

 黄金色の長髪に、澄んだ碧色の瞳。神聖なローブを身に纏い、愛おしげに自分を見つめるその人を。


(───さま……)


 自分はその人を何と呼んだのか。彼もまた自分を何と呼んでいたのか。何も分からないまま、その世界は閉ざされていく。


 次に目を開けた時、少女の目の前には青い瞳を揺らす美しい顔があった。


「───髪が…」 


(───髪?)


 髪がどうしたというのだろうか。確かめようにも、身体が鉛のように重く、動こうものなら全身に突き抜けるような痛みが走る。


 少女は視界がぐらりと傾くのを感じながら、ヴィルジールの血の海に沈んだ。

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