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第11話


「──失礼いたします。大魔法使い様が到着されました」


 穏やかな老人の声で、ヴィルジールは机の上の書類から顔を上げた。革の椅子から立ち上がると、ドアへ向かって歩き出す。


 ヴィルジールが上半身に酷い怪我をしたのは、つい十日前のことだ。


 突如城下に現れたという凶暴な魔物を見に行くと、避難所が襲われるという事態になった。この国を治める者として収拾を試みたが、相手の方が強く、瀕死の重傷を負った。

 だがその怪我の傷は、今は跡形もなく消えている。


 ヴィルジールはドアを開ける前に、右手を胸の前に寄せた。


 側近のアスランの話によると、肩から腹部にかけて酷い切り傷を受けたという。出血も酷く、治癒師力も受け付けず、どうしたものかと思ったその時、少女が進み出たそうだ。


 そして、癒やしたというのだ。喪っていたはずの力で。


「遥々御苦労だった」


 ヴィルジール自らドアを開けると、その向こうにいた少年の耳飾りが揺れた。菫色の石が嵌め込まれているそれからは、とても強い力が感じられる。


「凄い旅路だったよ。ここまで来るのに何日掛かったと思う? 氷帝さん」


 肩の辺りで切り揃えられている光の色の髪と、意志が強そうな碧色の瞳。くっきりとした目鼻立ちの美少年は、誰もが畏怖するヴィルジールを前に、余裕そうに笑ってみせた。



 目を醒ますと、記憶にない天井が飛び込んできた。白を基調としたそれには、蔦に似た模様が金色で描かれている。


 照明には無数の宝石が散りばめられている。窓から光が差し込んでいるので、その美しさを知るのは今は叶わなさそうだ。


 ゆっくりと身体を起こすとそこは、目を疑いたくなるほど豪華な部屋だった。家具から小物に至るまで全てが煌びやかで、目がチカチカしてくる。


 ふと、銀糸で紡いだような髪が視界に入った。指先で摘むと自分のものである感触がした。


(………ど、どういうこと…?)


 少女はベットから這い出て、数歩先にあった大きな鏡を目指した。恐る恐る覗き込むと、そこには白銀色の髪の少女が映る。


 蜂蜜色だったはずの髪が、白銀色に変わっている。何故、一体どうして、と頭を抱えていると、部屋のドアが開く音がした。


「──目を覚まされたのですね」


 聞き覚えのある声に振り返ると、セルカが水差しを手に立っていた。


「セ、セルカさんっ……」


 少女は自分の髪を両手で掴みながら、縋るような想いでセルカを見る。


 セルカは目を真ん丸に見開いて驚いていたが、すぐに駆け寄ってきた。


「体調は如何ですか?」


「何もありません…大丈夫です、ます…」


 しどろもどろに返事をする少女を見て、セルカは小さく噴き出すと、何でもございませんと言って頭を下げる。

 少女は髪から手を放し、ぐるりと部屋を見回した。


「セルカさん……あの、ここはお城ですか?」


「はい。貴女様は皇帝陛下の御命だけでなく、民の傷を癒し、この国に強い結界を張られました。その御恩に報いるために、丁重におもてなしをするようにと命が下っております」


 少女はぱちぱちと瞬きをした。ヴィルジールの傷を癒し、気を失ったところまでは覚えているが──そんな大きなことをした記憶はない。


 どうしてあの時、自分の願いに応えるように、力を使うことが出来たのかもよく分かっていないというのに。


「それは皇帝陛下の御命令ですか?」


「勿論にございます。さあ、湯浴みを致しましょう。その後は消化に良い食事を」


 セルカは有無を言わせない顔で少女の背に手を添え、部屋の奥へと歩かせる。衝立の裏にあるドアを開けると、そこは浴室だった。


 少女は思わず身を震わせた。以前使った浴室よりもずっと広く、まるでプールのようなのだ。



 セルカに全身を磨かれた後、豪華な化粧台の前に座らされた。鏡に映る自分の髪は白銀色のままで、髪を洗われても香料を塗られても、元に戻ることはなかった。


 身体を清め、用意された淡い菫色の衣装に袖を通し終えた頃、一人の青年が部屋を訪ねてきた。


「失礼いたします。聖女様」


 青年は優しい笑顔を浮かべると、丁寧に頭を下げてきた。斜め後ろにいたセルカが深々と頭を下げていたので、彼は身分の高い人なのだろう。


「お初にお目にかかります、聖女様。僕はエヴァン・セネリオ。この国の宰相を務めています」


 柔らかなブラウン色の髪が揺れる。瞳は髪と同じ色で、シンプルなデザインだが品の良いスーツを着ている。

 セネリオという名に聞き覚えがあったが、少女も慌てて頭を下げた。


「は、初めまして…」


「お目覚めになられてよかったです。ご気分は如何ですか?」


「何ともありません。ご迷惑をお掛けしました」


 勝手なことをした挙句、その場で倒れたというのに、目覚めたらこんな豪華な部屋を用意されている。素敵なロングワンピースまで用意され、もう何で返したらいいのか分からないくらいだ。


 だが、エヴァンはそうは思っていないようで。


「何を仰いますか…!聖女様のお陰で陛下は助かり、民たちは皆感謝しているのですよ!あの神々しい光を見た者は皆、傷ひとつなくなったのですから!」


 エヴァンはにっこりと微笑んだ。


 城下の民が全員無事であったこと。竜の攻撃を受けて動かなくなった者が、光に包まれると息を吹き返したこと。聖女の奇跡を目の前で見た民たちが、感謝を伝えたいと城へ押し寄せていること。そうエヴァンは話すと、襟を正した。


「……と、こんな感じです。まだまだお話したいことがありますが、長くなりそうなのでここら辺で。陛下からの伝言をお伝えしても?」


 少女が頷くと、エヴァンは手を叩いた。すると、ドアが開いたかと思えば、荷物を抱えた使用人が二人入ってくる。


「こちらは聖女様への贈り物です。聖女様の体調が良くなり次第、陛下が晩餐会に御招待したいそうです」


「皇帝陛下がですか?」


「ええ、あの皇帝陛下です。傍若無人で鬼畜な私の上司・ヴィルジール様が是非にと」


 エヴァンは箱の一つを手に取り、中から優雅なドレスを取り出し踊るように回る。そんなことをしながらヴィルジールのことを言うものだから、少女は思わず笑みをこぼしていた。


「……有り難く頂戴いたします」


「では、また近いうちに」


 エヴァンは少女の手の甲に口づけを落とすと、使用人を引き連れて出て行った。


「……聖女様…」


「何でしょう?」


 セルカに声を掛けられたので、少女は振り返ったのだが。

 セルカは「何でもありません」と首を横に振ると、届けられた贈り物を整理するべく袖を捲っていた。


「……………」


 セルカは仕事に取り掛かる前に、少女を横目で盗み見る。


 黄金色から銀色の髪になった少女からは、戸惑いや恐れといったものはもう感じられず、雨上がりの空のように晴れやかな空気を纏っていた。


少女のその変化に気づいているのは、きっと、セルカだけなのだろう。

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