ヴィルジールとの晩餐会が開かれたのは、それから二日後のことだった。
「とてもお綺麗です。聖女様」
菫色のドレスとパンプスに、控えめながらも美しいアクセサリーを身に纏った少女は、お姫様のような見た目になっていた。
その場でゆっくりと回ってみせてから、大きな姿見の前に立つ。白銀色になった自分の髪は未だに見慣れず、鏡の前に立つたび他人を見ているような気分になったが、今日はなんだか心が軽い。きっと、セルカが綺麗にしてくれたからだろう。
迎えにきた騎士の先頭にはアスランがいた。顔を合わせた時は不服そうな顔をしていたが、仕事だからと割り切ったのか、少女にエスコートの手を差し伸べる。
「ありがとうございます。アスラ…デュ、デューク卿…?」
アスランの眉が顰められる。名前を呼ぶなと言われたから、誰かが呼んでいた名を出してみたのだが、どちらにしろ呼ばれたくないか、話したくもないのだろう。
「……アスランで構わない」
並んで歩くアスランの顔を見上げると、やっぱり不機嫌そうだ。
「で、でも…呼ぶなと」
「あ、あの時は!お前がジルを傷つけるんじゃないかと思ったからだ!」
アスランは慌てたようにそう言うと、フンとそっぽを向く。
渡り廊下を抜け、ふたり分の横幅の青色の絨毯が敷かれている廊下を歩くと、大きな扉の前に着いた。
アスランの手が離れる。
「──この先で陛下がお待ちだ。粗相なんかするなよ」
「あ、ありがとうございました。…アスランさん」
アスランは何度か瞬きをしたのちに、ふっと小さく笑って、手を胸に当てながら一礼した。それは騎士が主君にするものと同じだった。
少女はドレスを翻し、扉の前に立つ。扉の両隣にいる侍従がゆっくりと開けてくれたので、その向こうへと足を踏み出すと、テーブルの傍に立つ男の姿が目に入った。
「──来たか」
艶めくような銀髪に、切れ長の青い瞳。目が覚めるほど美しい容姿の持ち主だが、この距離でさえ圧倒されるほどの迫力に満ちていた。
そう思わせるのは、眼差しがあまりにも冷淡だからだろうか。視線ひとつだけで相手を凍てつかせてしまいそうだと思うほどに。
「お招きありがとうございます。皇帝陛下」
少女はドレスの裾を持ち、優雅にお辞儀をした。付け焼き刃の知識だが、セルカに帝国の淑女の作法を教わったのだ。
使用人に椅子を引かれる。ヴィルジールが先に座ったのを見てから、少女も浅く腰掛けた。
グラスに注がれた飲み物は菫色で、下から上へと動く泡はシュワシュワと音が鳴っている。この不思議な飲み物は何だろうか。
初めて見るものに見入っていると、ヴィルジールがグラスを手に持って掲げたので、少女も真似をした。彼が口をつけるのを見て、少女も一口喉に流し込んだ。
新感覚の飲み物は、甘くて美味しかった。
「もう身体はいいのか」
「お陰様ですっかり良くなりました。素敵なお部屋にドレスまでご用意してくださり、ありがとうございます」
「エヴァンが勝手に選んだものだ。俺の趣味ではない」
どうやらこの菫色のドレスは、ヴィルジールの命でエヴァンが選んだもののようだ。
ヴィルジールだったら、どんな色を選ぶのだろうか。上品な所作で料理を口に運ぶ端正な顔を見てから、少女はフォークとナイフを手に取った。
料理のほとんどが初めて食べるものだった。花束のように盛り付けられたサラダに、ほんのり甘いクリーム色のスープ、コクのあるソースがかかったふっくらとした焼き魚、ほろほろと柔らかいお肉。
まるで宝石のような見た目のケーキが出てきて、フォークで崩したくない気持ちと、それでも食べたい欲がぶつかる。
ケーキを前に悶々としているうちに、ヴィルジールに見られていることに気づき、慌てて姿勢を正した。
「……気に入ったなら、持って来させるが」
「ひ、ひとつで充分です!」
「そうか」
素っ気ない口調だったが、不思議と声色には優しげな響きが宿っていた。
結局、ケーキは美味しく頂いた。食後に出された青色の紅茶を見つめながら、寡黙なヴィルジールとの話題を探す。食事中に無理に話す必要はないが、今は違う。
先日の襲撃の話をするべきか、それともヴィルジールのことを尋ねるべきか。どうしようかと考えていると、ヴィルジールが静かに立ち上がった。
そして、片手を挙げる。それは何かの合図なのか、部屋の端にいた使用人たちが全員出て行った。
広い部屋にふたりきりになると、ヴィルジールは少女の元へと歩み寄ってきた。
別の場所に移動するのだろうか。自分も立った方がいいのだろうか。頭の中で軽くパニックになっていると、ヴィルジールが手を差し出してきたので、ほっと胸を撫で下ろした。
ヴィルジールの手に導かれるようにして連れて行かれたのは、お洒落なデザインのテラスだった。白い石造りの柵には蔦が上に向かって絡まり、所々に花が散りばめられている。そっと触れるとそれは冷たく、作り物であることが分かった。なんて繊細で美しい細工だろう。
(夜空も綺麗……)
二人の間を、風がさらさらと流れる。少女は隣にいるヴィルジールを見上げ、風に遊ばれる長い髪の毛を片方の耳へと掛けた。
するとヴィルジールがぽつりと呟く。
「……その髪、力を使ったからなのか?」
「恐らく…そうだとは思いますが、原因は分かりません。目が覚めたら、この色に染まっていました」
それからヴィルジールは、少女のことをじっと見つめた。