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第14話


 少女──ルーチェとのひと時を終え、自室へと向かうヴィルジールの足を何者かが止める。それは角を曲がったところで待ち伏せていたエヴァンだった。


「どうでしたか?聖女様との晩餐会は」


「そんな大層なものではないが」


 ヴィルジールは無表情のまま歩き出す。その後ろをエヴァンはついて行きながら、お喋りな口を開いた。


「メニューは僕が決めさせて頂きましたが、聖女様のお口に合いましたか? どんな話を? 恩賞は何を?」


「料理の感想など、そんなくだらないことを俺が訊くとでも?」


 ヴィルジールは苛立ちげに片手をポケットに突っ込むと、じろりとエヴァンを睨む。氷帝に睨まれようが何を言われようが、エヴァンはびくともしない。


「では、恩賞は何を?」


 ヴィルジールはぴたりと足を止めた。そして、眉ひとつ動かさずに答える。


「名を」

「………名?って、名前ですか?」

「そうだが」

「それって誰のです?」

「あの聖女のものだが」


 エヴァンはぱちくり、と瞬きを繰り返す。


「………この広大なオヴリヴィオ全土に、結界を張ってくださった聖女様にですか? 皇帝陛下の命を救った御方に? その功績が名前ひとつ?え?」


 エヴァンは信じられないと何度も呟くと、ヴィルジールの両肩を掴み、至近距離まで顔を寄せた。


「貴方という人は──!宝石とかドレスとか、離宮を与えるとか、色々とあるでしょうに!花束ひとつすら贈れないだなんて!」


 ヴィルジールの眉間に皺が寄る。唐突な説教に面食らっている様子だったが、すぐにその口はもぞもぞと動く。


「好みでなかったら困るだろう。嫌いなものを贈られた仕返しに、塞がった傷口を開かれたらどうするつもりだ?」


「どうするもこうするも、聖女様はそんなことは致しません!」


 ヴィルジールはガクガクと肩を揺すぶられながら、明後日の方角を見た。誰もが恐る氷帝にこんなことが出来るのは、後にも先にもエヴァンだけだろう。


 だが、不思議なことに、嫌だとは思わないのだ。煩わしく感じることはあっても、視界に入っても気にはならない。


「欲しいものはあるかと尋ねたんだが、何も要らないと」

「はあ、さすがは聖女様ですね」


 だからと言って──と、またエヴァンが説教を始めるのが分かっていたヴィルジールは、エヴァンの身体を引っ剥がした。


「何だったら満足するんだ」


 投げやりな問いかけに、エヴァンは満遍の笑みで頷く。


「僕だったら、このオヴリヴィオ帝国の聖女様としてお迎えしますね。皇帝陛下の御命を救った、白銀色の髪の美しい御方。数百年ぶりに現れた聖女様として迎え、この城で丁重にもてなすべきかと!」


「………はあ」


 嬉々とした表情で提案したエヴァンに、ヴィルジールは冷めた目を送った。それも頭の片隅に浮かんではいたが、最善だとは思えなかったのだ。


(───ルーチェ、か)


 たったひとつのを名を贈っただけで、泣いて喜んでいた少女の顔が浮かぶ。

 白銀色に染まった髪は、とても優しい色をしていた。



 ヴィルジールとの晩餐会の翌日。その日の正午に、エヴァンが訪ねてきた。何かいい事があったのか、とても上機嫌な様子で。


「ご機嫌は如何ですか? 聖女様」


 少女──ルーチェは優雅にお辞儀をした。これはつい先ほど覚えたもので、この国の令嬢たちが先ず身につける作法の一つだという。


 昨夜ヴィルジールに披露したものは、最上級の礼儀だそうだ。それを使う機会は王族の前くらいだとか。


「こんにちは。エヴァン様」


「国一ご多忙な宰相様が、このような時間に何用でしょうか」


 ルーチェの後ろに控えていたセルカが、狙い澄ましたように進み出た。角のない言葉を選んではいたが、国で一番忙しいはずの宰相が真っ昼間に何をしにきたんだ、と言っているようなものだ。


 エヴァンは戯けたように笑う。


「これは手厳しいですね、セルカ殿。今日はですね、聖女様に新しいお住まいに移っていただこうと思いまして」


 今いる部屋だって、とても広くて素敵なのに。ここではない別の場所に移るということだろうか。


 瞠目するルーチェを余所に、エヴァンは胸に手を当てながら語り始める。


「昨夜はウチの陛下がとんだ失礼をいたしました。聖女様への恩賞が御名前一つだけだと聞いて、居ても立っても居られず…」


「私はとても嬉しかったのですが」


「いいえ!皇帝陛下の御命を救ってくださった御恩がありますので!すぐにでも離宮にお移りください」


 でないと、と何かを言いかけたエヴァンの瞳は潤んでいる。


 ひょっとしたら、ルーチェが頷かなかったらエヴァンの身に何かが起こるのかもしれない。

 ルーチェはこくこくと頷き、エヴァンの後をついて行った。



 案内されたのは、清廉な造りの白い建物だった。まわりを囲うように水路が張り巡らされているのか、水が流れる音がする。木々がそよぐ音も聞こえ、なんだか耳が幸せだ。


 エヴァンは簡単に内部の説明をすると、笑顔で仕事に戻っていった。


 門を潜ると、深い青色の玄関扉が聳えていた。その手前にある二本の柱は、ヴィルジールと話をしたテラスで見た柵と同じデザインだ。


 セルカが扉を開けようと手を伸ばすと、見計らったかのような間合いで内側から扉が開かれる。


「──ようこそ。ルーチェ様」


 ふたりを出迎えたのは、優しそうな面立ちの老夫婦だった。その後ろにはルーチェと同じ年頃の男性が花開くように笑ってから、ぺこりと頭を下げてきた。


「お世話になります。ルーチェと申します」


 ルーチェは夫婦に会釈をしてから、男性にも一礼する。

 顔を上げると、メイド服を着ている初老の女性が、なんとも嬉しそうな笑顔で駆け寄ってきた。


「初めまして、ルーチェ様。私はイデル。こちらは夫のロイド、後ろにいるのは孫のアルドです」


「聖女様にお仕え出来るだなんて、長生きしていてよかったなぁ…」


 老夫婦──イデルとロイドは嬉しそうに頬を緩め、ルーチェを上から下まで見た後、顔を見合わせて笑った。



 ルーチェは内部設備の説明を受けに行ったセルカと別れ、庭園に足を運んでいた。


 アーチを潜ると、一番に目に入ったのは大きな噴水だった。水路はここにも繋がっているのか、小道の両傍にも足首ほどの深さの浅い水路があり、さらさらと水が流れている。


 咲き乱れている花々はどれも青い。どれを見ても美しいけれど、寂しさも感じてしまうのは、寒色である青ばかりだからだろうか。


(──こんな素敵なところで、暮らしていいのかな)


 ルーチェは噴水の前にある白いベンチに腰を下ろした。

 目の前に咲く花を見ていたら、昨日のヴィルジールの姿が浮かんだ。満天の星空を背に佇む、端正なあの顔が。


 全てを失ったルーチェに、ここにいていいのだと名前をくれた。だけど、いくら皇帝の命を救ったからと言って、ここで何もせずに過ごすのは気が引けた。


 ルーチェに何か出来ることはないのだろうか。聖女と呼ばれたけれど、その力の使い方はまだよく分かっていない。記憶だって戻っていないというのに。


 瞼を閉じたら、ヴィルジールに言われた言葉を思い出した。


──『喪われた記憶は、過去のものでしかない。これから先の人生は、この国で過ごすといい』


(──私の、これから)


 冷たい、けれどあたたかみもあったヴィルジールの声が木霊する。これからを生きるこの国で、ルーチェに出来ることはあるだろうか。


(──話したい。ヴィルジールさんと)


 ルーチェは立ち上がった。ヴィルジールが今どこで何をしているのかは分からないが、とにかく行って話がしたい。

 忙しいからと門前払いをされたら、また明日訪ねてみればいい。


 そう思い、地面から足を剥がしたその時。


「───……聖、女?」


 振り返るとそこには、黄金色の髪の少年が泣きそうな顔でルーチェを見ていた。

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