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第21話


 ソレイユ宮で暮らし始めてから七日が経った頃。


 日課となりつつある、自室の窓際で読書をしていたルーチェの元に、一羽の鳥が舞い降りてきた。

 鳥はルーチェの両手ほどの大きさで、薄い空色の毛並みにつぶらな瞳をしていた。


「……あなたは?」


 鳥はルーチェの声に首を傾げるだけだ。だが何かを待っているのか、その場から動こうとしない。


 ルーチェは読みかけの本を閉じて、鳥と向き直った。何やら鳥の足首には紙が括り付けられている。それを取ってやると、鳥はもう用がないと言わんばかりに翼を羽ばたかせ、宙へと飛んでいった。


 鳥が運んできた手紙を開けると、見覚えのある字が短い文を綴っていた。


(──正午に迎えに行く。……って、そんな急に!)


 ルーチェは跳ねるように立ち上がり、その場であわあわと周囲を見回す。すると、絶好のタイミングでセルカが現れ、只事でない様子のルーチェを見て駆け寄ってきた。


「ルーチェ様? どうかされましたか」


「セルカさん…!どうしましょう」


「何があったのです」


 ルーチェは鳥が運んできた手紙をセルカに見せ、今の格好で出掛けても大丈夫かと尋ねる。


 セルカはルーチェを上から下まで眺めると、大きく頷くなりルーチェの手を取り、部屋の奥へと連れて行った。


「私にお任せください。あの皇帝陛下を驚かせてみせます」


「お、驚かせる…?」


 椅子に座らされたルーチェは、張り切って動いているセルカを見ながら、今日の自分の服に目を落とした。とても綺麗な服だと思うが、これではいけないのだろうか、と。


 セルカは目にも止まらぬ速さで駆け回り、色々なワンピースを持ってくると、ルーチェに次々と当てがっていった。


 その中から納得のいくものを見つけたのか、上品な青いリボンが腰に掛けられているアイスグレーのワンピースを手に取ると、ルーチェに合わせながら満足そうに頷く。


「これに致しましょう。さあ、今お召しになっているものをお脱ぎください」


「セ、セルカさ…」


 ルーチェが衣服のボタンに手を掛けるよりも前に、すらりと伸びてきたセルカの手が次々と留め具を外していく。瞬く間に肌着姿にされたかと思えば、今度は新しいワンピースに袖を通された。


 そうして、ワンピースに合わせて選ばれた薄手のケープを羽織り、手には同色の帽子を持たされると、セルカは唇を綺麗に綻ばせた。


「では門までお送りいたします」


 何事もなかったかのようにセルカは部屋の扉を開けたが、この短時間でとても疲れた気がしてならないルーチェは、ゆっくりとした足取りでソレイユ宮を後にしたのだった。



 ソレイユ宮の前には、一台の馬車が停まっていた。セルカが門を開けると同時に馬車の扉も開かれ、中から見知った人が出てくる。


「ご機嫌はいかがですか?聖女様」


 現れたのはエヴァンだ。にこやかに微笑みながら、ルーチェに深々と敬礼をすると、今日の装いは一段と素敵だなどと褒めてきた。


「こんにちは、エヴァン様。どうしてこちらに?」


「人使いの荒い上司に頼まれましてね。さあ馬車にお乗りください。正門までお連れします」


 エヴァンは「さあさあ」とルーチェに手を差し出す。

 ルーチェは後ろを振り返り、セルカに「行ってきます」と会釈をした。


「お気をつけて行ってらっしゃいませ。ルーチェ様」


 エヴァンの手に導かれ、馬車の中に乗り込む。向かい側に座ったエヴァンが戸を閉め、御者に声を掛けると、馬車はゆっくりと動き出した。


「いやあ、驚きましたよ。我らが陛下が女性とお出かけになる日が来るなんて」


 ルーチェは瞬きをしながらエヴァンと目を合わせた。


「これまでにそういったことは一度もなかったのですか?」


「ええ、ございません」


「式典で私と踊ってくださった時、とてもお上手だったので、てっきり慣れているのだと思っていました」


「いやいやいやいや!」


 エヴァンは声に出して笑うと、目尻に薄らと滲んだ涙を指先で拭いながら、肩を震わせている。


「あの方が女性と踊られたことは一度もありませんよ。誘われても断っていましたし。…眼差しで」


「そう…なのですね?」


「ええ!何せ女性が苦手な方ですから」


 女性が苦手なのに、ルーチェと出掛けるのは大丈夫なのだろうか。それは自分を女として見ていないからなのか、怪我を治した恩を返すためなのか。


「陛下は……私をどうするおつもりなのでしょう」


 ルーチェは手元の帽子に視線を落とした。


 名前をくれた。ここにいていいと言ってくれた。けれど、それから先のことは分からない。ルーチェ自身も、どうしたいのかはよく分からない。


 今回の外出はルーチェが自分自身を知るために、とヴィルジールが提案してくれたことだが、そうすることによって彼に何の徳があるのだろうか。


 ルーチェは聖女だけれど、その力の使い方が分からない、名ばかりのものだ。


「顔を上げてください、聖女様」


 エヴァンが優しい声を掛けてくる。辿るように、ルーチェは視線を持ち上げた。


「陛下は貴女をどうこうするおつもりはないと思いますよ。ただ、力になって差し上げたいのだと思います」


「私の力に…?」


 エヴァンは笑顔で頷く。


「冷酷だ、慈悲の欠片もない、逆らったら氷漬けにされるなどと様々な噂が飛び交う御方ですが、あの方はそうせざるを得なかったから、力を行使しただけで……本当はお優しい方なのです」


 ルーチェはエヴァンの茶色の瞳を見つめ返しながら、ゆっくりと頷いた。


「……お優しい方だということは、存じております」


「それならようございました。今日は陛下のこと、よろしくお願いしますね」


 目的地に着いたのか、馬車が停まった。エヴァンは軽く会釈をして戸を開けると、迎えにきた時のようにルーチェに手を差し出してきた。


 ルーチェは手を伸ばしたのだが、その手がエヴァンと合わさることはなく、横から伸びてきた手に捕らわれた。

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