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第22話


「──余計な事をするな。エヴァン」


 間に割って入るように現れたのはヴィルジールだ。


 白銀色の髪に、冴え冴えとした青い瞳。いつもは誰が見ても一目で皇帝だと分かる衣装を着ているが、今日は白いブラウスに漆黒のコートというシンプルな服装だ。

 だからこそ、彼の端正で美しい顔が際立っている。


「おやおや、怖いですねぇ。迎えに行けと言われたのでここまでお連れしましたのに。馬車から降りる女性に手を差し出すのは、紳士として当然のことではありませんか?」


「そこまでは頼んでいない」


 ヴィルジールはほんの少しの苛立ちを宿しながら、エヴァンに不機嫌に返すと、馬車の入り口にいるルーチェを見遣った。


「……降りれるか? また飛び降りても構わないが」


 ルーチェはぶんぶんと首を左右に振った。


「お、降りれます!飛び降りません…!」


 手を掴まれているだけでも恥ずかしいというのに、人前でテラスから飛び降りた話をされでもしたら、このまま馬車の中に閉じこもってしまいたくなりそうだ。


 そんなルーチェの気持ちを察したのか、ヴィルジールは静かに喉を鳴らすと、掴んだルーチェの手を勢いよく引いた。


 当然、ルーチェの身体はぐらりと傾いたが、引っ張った張本人であるヴィルジールが軽々と受け止め、ゆっくりと地面に下ろした。


 それをエヴァンが満遍の笑みで見ていたので、ルーチェは恥ずかしさで顔を赤く染めた。


「では行こう」


「陛下、まさか歩いて行かれるので?」


 くるりと正門へと足先を向けたヴィルジールに、エヴァンが驚いたような声を上げる。


「無論、そうだが?」


「女性を歩かせるのですか!」


 ヴィルジールはエヴァンを振り返ると、呆れたように溜め息を吐いた。


「城から馬車で行ったら目立つだろう」


「だからって、か弱い女性を歩かせるなんて!」


「あの、私は徒歩でも構いませんよ」


 ルーチェは小さく笑いながら、二人の間に入った。本当はどちらでも構わないのだが、ここは誘ってくれたヴィルジールの肩を持つべきだろうと思い、隣に立つ彼の顔を見上げる。


「…だ、そうだ」


「引きこもりの陛下は民に顔を知られていないでしょうけど、聖女様の顔を知る方が居たらどうされるのです?」


「どうもこうも、近づいてこようが相手にしなければいい話だろう。…それに」


 ヴィルジールはルーチェを見遣ると、コートのポケットに両手を突っ込んだ。


「避難民どもは城下ではなく、セシルの領地で面倒を看てもらっている。一人残らずな」


 やれやれ、とエヴァンが息を吐く。セシルという人物を信用しているのか、ならば良いのですが、と納得したように頷いた。


「……待たせたな」


 ヴィルジールが差し出した腕に、ルーチェははにかみながら自分の手を添えた。この国に来て間もない頃は、立ち振る舞いがよく分からなかったが、勉強をした甲斐があったのか、ヴィルジールが驚いたように目を瞬かせていた。


「ヴィルジールさま?」


「……何でもない。行くぞ」


 ルーチェと城の外に出ることは内密にしているのか、見送りに来ていたのはエヴァンと数名の騎士だけのようだ。彼らは綺麗に横に並んで深々と頭を下げると、行ってらっしゃいませ、と明朗な声を掛け、二人を送り出した。



 城門を出ると、目の前には緩やかな坂があり、その先には巨大な広場が見えた。それを囲うように並ぶのは、三階建てくらいの煉瓦造りの家だ。


 今日は広場で何かを催しているのか、人々で賑わっている。


「とても賑やかですね。何かやっているのですか?」


「花市だな。月に一度だけ、あの広場では少し変わった市を催している。誰でも、どんな物でも売っていい場所だ」


 大人でも子供でも、道端の草花でも畑で取れた物でも、手作りの衣類でもどんな物でも構わない。そう語るヴィルジールの目は、なんだか煌めいて見えた。


「その花市というのは、昔からあるのですか?」


「いや、五年ほど前からだ。東の国を視察した時に、がらくた市というものを見て、それを取り入れた」


 陽気に賑わう市の一角。人々の流れに乗るように、ルーチェとヴィルジールは人混みに紛れ込んだ。物を売る者は専用の長机の上に商品を並べ、行き交う人たちにおすすめの商品を宣伝している。子供だけは指定の場所以外での販売が許されているのか、編み籠を腕に掛けながら歩き販売をしていた。


「なぜ花市というのですか?」


 花市という名のわりには、花を売っている者の姿は見えない。何故そう呼ばれているのだろうか、と疑問に思ったルーチェは、隣を歩くヴィルジールに問いかけた。


 ヴィルジールはぴたりと足を止めると、一番近くの出店の前にルーチェを連れて行った。そして、品物が並ぶテーブルの端に、そっと指を添える。そこには花の模様が彫られていた。


「……初めてこの市を催した時、どんなものなら大人が買ってくれるかと一人の子供が城を訪れてきた。ならば花を売るよう言ってみたところ、それが人から人へと伝わっていき、初めての市は花で溢れかえった」


「だから、花市…」


「そうだな。今は様々な物が売られているが、あれ以来、花市と呼ばれるようになっていた」


 ヴィルジールが子供に花を売れと助言をする姿が想像できなくて、ルーチェはこぼれるように笑った。


「素敵ですね。誰が何を売っても良いだなんて」


「とは言っても、危険物が流通しないよう、事前にある程度の検査はするが」


 花型に彫られている机をなぞる指の動きは、大切なものに触れるかのように優しげだ。


 店主に商品のことについて尋ね、快く買い上げ、また次の店へと足を運ぶヴィルジールの姿は、冷酷や無慈悲などとは程遠く見えた。

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