お椀の中に入っているのはお粥のようだ。スプーンでひと掬いすると、薬の匂いが濃くなった。体に良い薬草の類が入っているのだろうか。まじまじと見つめているうちに、白くて荒い粒の中に花びらのようなものが浮かんでいるのを見つけた。
「……これは花でしょうか」
「ああ。ウィンクルムだ」
ルーチェは目を丸くさせながら、ヴィルジールの顔を見上げる。
「食べられるお花、なのですか?」
「ああ。市井ではよく食べられている。根まで食べることができて、栄養価も高い。…今回はさすがに花弁しか入れていないが」
ウィンクルムはヴィルジールが好きだと言っていた花だ。強い花だというのは庭師から聞いていたが、食用でもあること、栄養があることは初めて知った。
「い、いただきます…」
恐る恐る一口食べてみると、薬の匂いがしたわりには苦味はなく、ほどよい塩気と甘みがあった。食べやすいよう味付けされているのか、ぱくぱくと食べられる。
「とても美味しいです…!もしかして、ヴィルジールさまが作られたのですか?」
「俺は花を渡しただけで、調理したのは料理人だ」
お茶を淹れるくらいしか出来ない、とヴィルジールは苦笑混じりに言うと、ルーチェと向き直った。
空よりも濃く、海よりも淡い、宝石のような瞳に見つめられている。ルーチェのことを心配していてくれたのか、あるいは他に思うところがあるのか、眉を顰めていた。
「…ヴィルジールさま?」
ルーチェが首を傾げると、ヴィルジールは目を伏せてからゆっくりと息を吐いた。
「…何だ」
「何だじゃありません。…だって、見ていたではありませんか」
「別に減るものではないだろう」
「へ、減ります…」
ルーチェは粥を口に運ぶ手を止め、ぷうと頬を膨らませる。
ヴィルジールは唇を横に引きながら目元を和らげると、ルーチェの髪を一房、指先で絡めとった。
「悪かったな。目の前で倒れられたものだから、ちゃんと生きているか確認したくなった」
ルーチェの髪を弄るヴィルジールの声音は、今まで聞いたことのないくらい柔らかかった。
ルーチェは逃げるように目を逸らし、スプーンを持つ手に力を込める。
生きていることを確かめるために、髪に触れるだなんて。触れられているのは髪なのに、そこから溶け出してしまいそうな気がしてならない。
彼に見つめられると、心臓の動きが早くなって。触れられると、溶けてしまいそうで。優しい声を聞くと、他の音が遠くなる。
ルーチェがおかしくなってしまったのか、ヴィルジールがそんなふうにさせてくるのか、どちらなのだろう。
ヴィルジールが持ってきてくれたお粥を食べ終えた後、ルーチェは彼に連れられるがままに隣の執務室へと移動した。
黒塗りの執務机と本棚が三つ、大きなソファしかないが、不思議と落ち着く場所だった。窓が少しだけ開けられているのか、濃い青色のカーテンが静かに揺れ、角に立て掛けられている剣は太陽の光を受けて煌めいている。ソファで仮眠を取っていたのか、端に毛布が一枚掛けられていた。
「ここがヴィルジールさまの執務室、なのですね」
「ああ。……前にそこのソファに置いて行ったことがあるが、覚えていないか」
「……ソファに、ですか?」
入り口と執務机の間には長ソファがある。ルーチェが寝そべってもすっぽりと収まってしまいそうなくらいに大きい。
ルーチェは近づいて触れてみた。このソファに見覚えはないが、ヴィルジールと偶然中庭で会い、その後目が覚めたらソファの上だった…という出来事は覚えている。
(……確かあの日、ヴィルジールさまが具合を悪そうに戻っていらして…)
ルーチェは革を撫でながら、あの日のことを──セシルと出逢い、眠るヴィルジールの手を取り、力を使った時のことを思い返した。
ヴィルジールの具合が悪くなったのは、レイチェルという聖女と対面したからだと聞いている。イージスの聖女を名乗っていた彼女が何者なのか、結局よく分からないまま、彼女はルーチェを襲うなり何処へと消えた。
「この度はご迷惑をお掛けしました。あれから何日経っているのですか?」
「四日だ」
ヴィルジールに座るよう促されたので、ルーチェは長ソファの端に腰を掛けた。人ひとり分の距離を空けたところにヴィルジールも座ると、彼は長い脚を組んだ。
「長くなるが、色々と話したいことがある」
ルーチェは頷いた。
「聞かせてください」
ヴィルジールはルーチェを一瞥してから、宙を見つめながら語っていった。ルーチェが四日も眠る原因となった、レイチェルという名の聖女と、もうひとりの聖女について。
このオヴリヴィオ帝国の公爵家の一つ──セントローズ公爵家の当主が、イージス神聖王国の元聖女を名乗る少女・レイチェルを伴い謁見を願い出たのが事の始まりだった。
その日、ルーチェとヴィルジールは中庭で出逢い、穏やかなひと時を過ごした。ヴィルジールには来客の予定があったが、その客人が実弟であるセシルの為、少しくらいの遅れなら許されるだろうと──ふらりと外に出たそうだ。
ルーチェの隣で仮眠を取り、眠ってしまったルーチェをとりあえず執務室に運び込むと、セントローズ公爵が来ていることが知らされた。
「あの女性は、セントローズ公爵様という方が連れてこられたのですね」
「ああ。十年も顔を合わせていなかった男が突然来たかと思えば、イージスの聖女を連れてきたと聞いて…取り急ぎ顔を見に行ったのだが」
ヴィルジールは両手を組むと、長く息を吐いた。