目次
ブックマーク
応援する
いいね!
コメント
シェア
通報

第43話


「顔を見た瞬間、気持ち悪さと頭痛でどうにかなりそうだった。あの女は俺の魔法を光に変え、無効化した」


「無効化…ですか。あの女性は何者なのでしょうか。レイチェル、とノエルさんは呼んでいましたが」


「イージスの聖女を名乗っていた。目的は分からないが、お前が張った結界を破ったそうだ」


 ルーチェは目蓋を震わせた。ヴィルジールの傷を癒した時に結界も張ったと聞いていたが、実感はまるでなかった。だが、それが失われてゆく感覚はあった。


 レイチェルに襲われ、光の輪のようなもので四肢を縛られ──それから下の階に落っこちた時に、感じたのだ。ルーチェと何かを繋いでいたものが、ぷっつりと切れるのを。


 その時、その瞬間をさいごに、ルーチェは身体に力が入らなくなり、意識が途絶えた。


「翼は聖女にとって大切なものだと聞いた。それと引き換えに、張っていたとも」


「翼が何なのかは分からないのですが、どこへやったのかと怒られてしまいました」


「誰にだ?」


「襲われる前に、私を呼んだ光にです」


 ヴィルジールの青い瞳がルーチェへと向いた。探るように、確かめるようにルーチェの菫色の瞳を見つめた後、ゆっくりと逸らされる。


「それは聖女ソレイユに違いないだろう。…俺の前にも現れた。一度目は朧げな姿で、二度目は小さな光で」


 ルーチェは静かに息を呑んだ。

 ソレイユというのは、ルーチェにあてがわれた離宮と同じ名前だ。聖女と縁のある地とされ、庭には小さな石碑が建っている。


「なぜ……ソレイユ様が、わたしと、ヴィルジールさまの前に」


 あなたはわたくしであり、わたくしはあなたなのです。そう、うたっていた声が脳裏で繰り返される。ふわりふわりと浮いていた、小さな光の玉も。


「ソレイユ様は、私に何を伝えようとしていたのでしょう」


 ルーチェは顔を俯かせ、掌を力いっぱい握りしめた。

 ノエルがルーチェに光を灯したことで、ルーチェも他者に光を灯せるようになった。そうして、彼女の──ソレイユの声が届くようになった。


 彼女はずっと、この地で──このオヴリヴィオ帝国の城の片隅で、ルーチェが訪れるのを待っていたと言ったのだ。 


(でも、それは何のために?)


 俯くルーチェの左手に、ヴィルジールの指先が触れた。その温もりに驚いて顔を上げると、綺麗な青色の瞳とぶつかった。


「遥か昔、ソレイユは俺の祖先と約束をしたらしい。いつか自分の生まれ変わりがこの地を訪れたら、聖女の剣を返すようにと」


「……聖女の、剣?」


 小さな声で繰り返したルーチェの左手の小指に、ヴィルジールの人差し指が絡められる。


「聖女の剣で、あの方を救って欲しいと言っていた。あの方が誰を指すのか、聖女の剣がどこにあるのか、分からないことは多いが」


 ヴィルジールはルーチェが眠っていた間、ソレイユと盟約を交わした王──剣を受け取った初代皇帝・ヴィセルクの足跡を辿るために、文献を漁っていた。


 収穫はひとつも得られなかったが、そうしている間にルーチェが目を覚ました。暗闇に一筋の光が差し込んだような思いを感じたのだ。


「ルーチェ。意識を失ったお前に、聖女ソレイユが残りの力の全てを託していた。これで聖王の居場所が分かるようになるはずだと」


「……聖王の居場所?」


「分からないか?」


 絡め取られた小指に、ぎゅっと力が込められる。その感触と熱に意識がいってしまい、思わず首を左右に振っていた。


「わ、分かりません…」


 ルーチェは逃れるように左手を引っ込め、跳ねるように立ち上がった。


 唇が震えている。肺の辺りにも重苦しさを感じたが、目の奥がじわじわと熱くなっていくのを抑え込むのに必死だった。


「ルーチェ?」


 突然立ち上がったルーチェを見遣るヴィルジールの眼差しは、真摯そのもので。逸らすことも、逃げ出すこともできない。


(わたし……どうして…)


 ルーチェは震える左手に右の手のひらを添えた。

 触れられたところが熱くてたまらない。ただ触れられただけだというのに、そこから伝うように心までもが震えている。


 ヴィルジールが立ち上がって、ルーチェとの距離を一歩詰めた。


「突然触れて悪かった。まだ具合が悪いのか?」


「い、いいえ…違うのですっ…」


 何が違うんだ、とヴィルジールが怪訝そうに眉を顰める。


 ルーチェはヴィルジールから目を逸らすために、ぎゅっと目を閉じたのだが──。


「っ…………?!」


「ルーチェ!?」


 ルーチェは頭を抱えながら、膝から崩れ落ちた。

 頭が痛いわけでも、どこかが悪くなったわけでもない。目を閉じた瞬間、啖呵を切ったように、ルーチェの内側から何かがあふれ出ていったのだ。


 頭を抱えながら顔を顰めるルーチェの肩に、ヴィルジールの手が添えられる。大きくて、熱くて、ルーチェの心を乱してくるヴィルジールの不思議な手が。


「ヴィ…ヴィ…ジール、さま…」


 ルーチェは涙目になりながら、ヴィルジールの顔を見上げた。


 ヴィルジールが見たこともない顔をしながら、必死に声を上げている。ルーチェの名を呼んでは、どこか痛いのかと、どこが痛いのかと繰り返しているが、その声は遠くなっていった。


 代わりに、別の声が聞こえた。

 目の前にはヴィルジールがいるというのに、彼ではない別の人間の声が聞こえてくるのだ。


「(────)」


 ルーチェはヴィルジールを見つめながら、ほろほろと涙を落とした。


「(─────か)」


 ルーチェ、とヴィルジールの唇が動いている。何度も、何度も。目の前の世界の音を拾わなくなってしまった、ルーチェの耳に触れながら。


(───ああ、わたしは…)


 ルーチェは堰が切れたように涙をこぼし続ける両目を閉じた。


 そうして訪れた瞼の裏側で、ぽつりと光が灯り、より声が鮮明になる。


 目を醒ました時から、どこか遠くから聞こえていたような気がした声だったが、ヴィルジールに問われた時にそれは明確なものへと変わった。


 そして、ルーチェは嘘をついたのだ。自分を喚ぶ声は聞こえていたというのに、分からない、と。


(──どうしてわたし、うそをついたのかしら)


 両肩にあった熱が、全身へと広がる。どうやらヴィルジールに抱きすくめられているようだ。気づけば怯えにも似た震えが止まっている。


「(───私の声が聞こえるかい?)」


 ヴィルジールの腕の中で、ルーチェは首を縦に振った。

この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?