目次
ブックマーク
応援する
いいね!
コメント
シェア
通報

第60話


 イージス神聖王国の聖女は、十五年ごとに生まれては、生け贄となって死ぬ宿命だ。聖女と聖王は比翼の鳥である為、どちらかが欠ければもう片方も命運を共にするのだろう。


 だが、ファルシは一度だけ見たことがあるのだ。光のような黄金色の髪と碧の瞳を持つ者が、白い衣を纏う瞬間を。


 ──あの者は何だ?


 そう問うたファルシに、神官の一人がこう返した。


 ──あれは使命を終えた者にございます。使命を終えた者は、身を清め、国と貴方様にお仕えするようになるのです。

 ──髪と瞳の色が私と同じだったように見えた。

 ──気のせいでございましょう。貴方様と同じ色を持つ者など、この国にはおりません。


 その時の神官との会話には、ずっと引っ掛かるものがあった。だがそれからのファルシは、外から連れてこられたフィオナを守ることだけで精一杯で。日々同じことを繰り返す神官たちのことなど、次第にどうでもよくなっていった。


 ──だけど。もしも、神官たちの正体が、“聖王の役目を終えた者”たちだとしたら。


 そう仮定すると、聖王と聖女を白い箱庭に閉じ込め、やがて迎える儀式のために教えを説いていく彼らの姿には納得できるものがあるのだ。


「──イージスの神を騙る者よ。お前の正体は、はじまりの聖王ではないか?」


 ファルシの問いかけに、竜は瞳を夢見るように見開かせた。


「どういう、ことですか。ファルシ様」


「言葉の通りだよ。私の推測が正しければね」


 ファルシは白い外套をはためかせながら、そうだろう? と竜に投げかける。だが竜は何も言わない。生き延びていた二人を静かに見据えている。


「……沈黙は肯定と受け取るが。構わないのかな」


 ふむ、とファルシは顎に手を添える。


 その瞬間、竜が急に翼を羽ばたかせた。風をぶわりと波立たせながら飛翔し、大きく息を吸い込む。その喉奥から赤い光が生み出されようとしているのを察知したルーチェは、ファルシを押し退けて聖獣の翼を広げた。


「フィオナッ!?」


「イクシオ。あの炎よりも早く、私をあの地に」


 竜の口が炎を放つのと同時に、イクシオの銀色の翼が凄まじい速さで下へと飛んでいく。目も開けていられない速さで空を切ると、ルーチェは地面に舞い降りた。


 そして、片手を突き出す。

 あの日のように。全ての光を集めるように、意識を左手に集中させる。


 瞬きを三つもしないうちに、ルーチェの全てを焼き尽くす勢いで、炎が到来した。


 ──その時。


「───ルーチェッ!!!」


 よく聞き知った声とともに、巨大な鳥の凛とした美しい鳴き声が辺りに響く。


 次の瞬間には、終焉の炎と無数の氷の剣が衝突し、辺りには霧が立ち上っていた。



 きらきらと、氷の雨が降っている。


 ヴィルジールの手から生み出された氷の剣が、竜の炎を霧に変えて爆散させたのだ。


「……なぜ、何も言わなかった」


 目の前に現れた人を見て、ルーチェは言葉を詰まらせた。


 喚び声に応え、今すぐ発たなければならない──そう声を掛けたら、ヴィルジールはついて行くに決まってるからだ。


「……だって、これはイージスの問題ですから」


「あの竜には俺も用があると言っただろう」


「でも、ヴィルジールさまにはっ……」


 俯くルーチェの頬に、温かい手が添えられる。そして当たり前のように額を突き合わされたので、ルーチェは変な声を出した。


「関係ないと、言いたいのだろう? 俺を巻き込まないために」


「そ、そうです!だから早く、ここからっ…」


「生憎、行けと言われて黙って従うような人間ではない。…お前はよく知ってくれていると思っていたんだが」


 ヴィルジールが睫毛を震わせ、悔しげにつぶやきを落とす。


 ずるいと、ルーチェは小さな声で返した。そんなふうに言われたら、もう何も言えなくなってしまう。


 ヴィルジールは子供をあやすような手つきでルーチェの頭を撫でると、ファルシと向き直った。


「……お前が聖王か?」


 ファルシは肯首してから、ヴィルジールに向かって手を差し出した。


「いかにも。私がイージスの当代聖王、ファルシだ」


 ヴィルジールはファルシの手を取らなかった。いつもの調子で「そうか」と返すと、フェニックスと共に竜と対峙しているノエルを見上げる。


 ノエルは多彩な魔法を操りながら、竜の動きを封じているようだ。


「…何故またあの竜が、この国を襲っている?」


 お前が連れてきたのかと言わんばかりの目で、ヴィルジールはファルシを見る。


「また、か。ならば聖女であるフィオナを誘き寄せる為ではないね。ここにはあれを引き寄せる何かあるのだろう」


 ヴィルジールは眉を寄せた。

 このオヴリヴィオ帝国に、竜が好むようなものはないはずだ。以前襲ってきた時、竜はヴィルジールに大怪我を負わせると、満足そうに飛び立っていったのだから。


 ならば目的は。竜は何をしにここに現れ、ヴィルジールが築き上げてきたものに向かって炎を吐いているのだろうか。その鉤爪を振り下ろす理由は、巨大な足で踏みつける理由は──?


「……悪いが、一度城に戻る。すぐに城下の民を避難させ、被害状況を確認しなければならない」


 ヴィルジールの言葉に、ファルシは力強くうなずいた。


「そうだね。君には君のやるべきことが、私にも果たさなければならないことがある」


「ファルシ様」


 堪らず声を上げたルーチェに、ファルシは優しく微笑みかけた。


「北の王よ。私の聖女も共に連れて行ってくれないか」


「言われずともそのつもりだったが」


「そうか。……ならば安心だ」


 ファルシが白い外套を翻し、右手で光を放つ剣を生み出す。ヴィルジールの氷の剣とは対照的な、静かな炎を纏う剣だ。


「行くぞ、ルーチェ」


 ルーチェはファルシの後ろ姿を、上空で竜と戦うノエルの姿を一瞥してから、ヴィルジールの後を追って駆け出した。

この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?