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第61話


 城門を潜ると、そこには何隊もの騎士団が既に列を作り、その先頭ではダークブルーの髪の男が声を張り上げていた。


「ヘイデンッ!!」


 ヴィルジールの声に、ヘイデンと呼ばれた男は弾かれたように振り返る。


「──皇帝陛下!?」


 ヘイデンはヴィルジールの傍まで駆け寄ると、剣を置いて膝をついた。彼が身に纏う鎧には、見覚えのある紋章が彫られている。それは以前、ここでアスランと初めて会った時に目にしたものと同じだ。


「──状況は」


「はっ! セシル王子と宰相様の指示により、城下の民は防壁内に避難させました。第三から第八騎士団が治癒師を連れて警護と救援に、我ら第一騎士団は竜の討伐に向かいます」


「なりません!」


 ヘイデンの報告を遮ったのは、ルーチェの涼やかな一声だった。


 どういうことかと、ヴィルジールがルーチェを見つめる。


「討伐してはなりません」 


「せ、聖女様? それは一体どういう…」


「あの竜は、ただの竜ではないのです。その腰の剣では、ましてや人の子の力でどうにかできる相手ではありません」


 ならば一体どうしたら、と項垂れるヘイデンを見下ろすルーチェの目には、強い意志の光が宿っていた。


 その眼差しを見て、ヴィルジールはごくりと息を呑み──そしてルーチェの手首を掴んだ。


「──ルーチェ」


 冷たい、冷たい秋の風が、ふたりの銀色の髪を撫でつける。


 ルーチェはゆっくりとヴィルジールと目を合わせ、長い睫毛を震わせた。


「……なんでもありません。とにかく、騎士団の皆さんは竜には手を出さないでください。常人を逸脱したノエルとファルシ様くらいでないと、竜とは渡り合えません」


「ヘイデン。そのようにしろ」


「はっ、畏まりました」


 ヘイデンが一礼して立ち上がる。ヴィルジールがマントを翻すと、騎士たちは揃って敬礼をした。その中を颯爽と突き進むヴィルジールは、やはりとても格好良くて。


 いつまでも見ていられたらと、浅ましい願いを抱いてしまった。


「──陛下!ルーチェ様!!」


 ホールに入ると、真っ先に駆け寄ってきたのはエヴァンだった。非常事態でそれどころではなかったのか、寝間着姿で城中を奔走していたようだ。


「悪い、遅くなった」


「今しがたマーズに連絡を飛ばしたばかりなのに! こんなに早く戻ってきてくださるとはっ…」


「感動するのは後にしてくれ。ヘイデンから報告は聞いているが、被害はどれくらいだ?」


 エヴァンは切り換えるように咳払いをしてから、今の状況を話していった。


「──被害は以前の三倍になります。報せを聞いて、すぐに緊急事態を報せる鐘を鳴らし、騎士団を救援と警護に向かわせましたが、何分夜間だったので…」


「言い訳はいい。首都の外からの連絡は?」


「首都外では火事の報告が数件ありましたが、怪我人はおりません。祖父が──セネリオ伯爵がすぐに防壁を開放し、民を避難させました。ただ、城下では怪我人が多く、死人も出ています」


 簡易的な報告書に目を通すヴィルジールの顔が、くしゃりと苦いものに変わる。


「こうしている間にも、魔法使いと聖王が戦っている」


「策を講じましょう。あの竜を滅ぼす方法を考えなければ」


 エヴァンの目が窓の外へと向けられる。


 空には炎だけでなく雷や風、光に水と、今まで目にしたことのない強い魔法が放たれている。あの場に入り、ノエルやファルシのように立ち回ることなど、騎士団の人間には不可能だろう。


 ──どうしたら、あの竜を封じることができるのだろうか。


 今すぐに出来ることがあるとしたら、ルーチェの身を竜に捧げ、再び眠りについている間に、残った人たちに方法を見つけ出してもらうことくらいだ。


 それならば、今は完全に封じることはできなくとも、十五年の猶予ができる。


 だが、その方法はファルシが許さないだろう。その宿命を背負ったルーチェを救うために、彼はかつて、儀式の最中に竜の軀に剣を突き立てたのだから。


 だから、竜は怒ったのだ。十五年に一度の餌を得られなかった竜は、巨大な口を開けると、終焉の炎でイージスの地を焼き尽くした。


 ヴィルジールはマントを脱ぎ、エヴァンの手を借りて鎧を着ている。鮮やかな青色の剣帯には、オヴリヴィオ帝国の国花の刺繍が入り、彼の剣の柄にはウィンクルムを模した細工が彫られている。


 見事な意匠の剣に見入っていると、ふとあることを思い出した。


「──聖女の、剣」


 ヴィルジールがルーチェを見遣る。


「突然どうした」


「以前、仰っていたではありませんか。聖女ソレイユ様が、聖女の剣の話をされていたと」


 あれは、ルーチェが襲われた夜の出来事だ。


 遥か昔にヴィルジールの祖先と盟約を交わした聖女・ソレイユがルーチェの元を訪れ、そしてヴィルジールにも言葉を残していった。


 この地には、ソレイユが自身と引き換えに生み出した、聖女の剣という──聖者を滅ぼすことができる剣があると。


 ──遥か昔、ソレイユは俺の祖先と約束をしたらしい。いつか自分の生まれ変わりがこの地を訪れたら、聖女の剣を返すようにと。

 ──聖女の、剣?

 ──聖女の剣で、あの方を救って欲しいと言っていた。あの方が誰を指すのか、聖女の剣がどこにあるのか、分からないことは多いが。


 ルーチェの言葉を聞いて、ヴィルジールも思うことがあるのか、柳眉を寄せながら窓の外を見上げる。


「──だが、それは何百年、何千年も昔の先祖が受け取ったものだ。記録は何一つ残されておらず、どこにあるのかも分からない。それに、第一それは──竜ではなく、聖者を滅ぼすものではないのか?」


 ルーチェは首を左右に振った。


「恐らく、あの竜にも有効だと思います。ファルシ様があの竜の正体は、はじまりの聖王ではないかと言っていました」


「はじまりの聖王? だとすると、あの竜と聖女ソレイユは──」


 ヴィルジールとルーチェの視線が交差する。互いの目を見つめながら、頷き合っていると、見たこともない光が落ちたかと思えば、雷鳴のような音が響き渡った。


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