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第62話


 何の音かと上を見ると、天井にヒビが入っていた。そこから裂けていくかのように、天井ががらがらと崩れていく。


「──皆さん、逃げて!!」


 天井まで聳えていた巨大な柱が傾いたのを見て、エヴァンが声を張り上げる。誰もが勢いよく床を蹴って駆け出す中で、ルーチェはただひとり、倒れてくる柱を前に動けずにいた。


「ルーチェ!!」


 そんなルーチェの手を、ヴィルジールが掴んだ。そのまま力強く引いてルーチェを抱き寄せると、倒れゆく柱へと向かって魔法を放つ。


 冷たい、とても冷たい空気が駆け巡り、柱へと向かって伸びていく。青い光を纏うヴィルジールの魔法は凄まじい速さで柱のまわりを回り、蔦のように巻き付いてゆくと、傾く柱の動きをぴたりと止めた。


「──兄上!ルーチェ様っ!!」


「──問題ない」


 立ち上る霧の向こうから、ヴィルジールとルーチェの身を案じるセシルの声が伸びてくる。


 ルーチェはヴィルジールの腕の中で、目の前で止まった柱を──それを止めた氷の結晶を見て、静かに息を呑んでいた。


 青く美しい氷は、突き立てられた剣のようにも見える。


「ルーチェ、怪我はないか」


「ありません。助けてくださり、ありがとうございます」


 ルーチェはヴィルジールに支えられるようにして立ち上がった。ぽっかりと空いた天井の穴を見ると、暗い空で戦っている三つの光が見える。


 ──どうしたら、この状況を変えられるのだろう?


「──氷帝、聖女」


 ヒュン、と風を切る音とともに、ノエルが目の前に降り立った。竜との戦闘で怪我をしたのか、右肩を押さえている。


「ノエル…! ファルシ様は無事なの?」


「聖王様なら僕より強いから大丈夫、と言いたいところだけど…状況はあまり良くないかな」


 ノエルは煤だらけの顔を上げる。紺色の空では、未だに光と光がぶつかり合い、魔法の残映が散っているのが見える。時折助太刀をするように炎の玉を飛ばしている赤い光は、恐らくフェニックスだろう。


 ルーチェはノエルの右肩に触れながら、上空で戦っているファルシの光を目で追いかけた。


 ファルシは片腕しかないというのに、そうは感じさせない動きで剣を振るっていた。まるでこの時を待っていたと言わんばかりに、次々と強撃を繰り出している。


「……ファルシ様」


 ルーチェは祈るように呟いてから、自分の手のひらに目を落とした。ルーチェの手は他人の痛みや傷を癒すことができるが、ファルシやノエルのように攻撃を繰り出すことはできない。ノエルから会得した唯一の魔法も、もう使えない。ルーチェの魔力は、イージスと共に消えてなくなってしまったから。


 ルーチェの光で、ノエルの右肩の傷が跡形もなく消えていく。


 ノエルは腕を伸ばしたり曲げたりして動くことを確かめると、ルーチェに「ありがとう」と言って空へと消えた。


 光と光が激突する中に、ノエルの魔法が放たれる。今度はフェニックスだけでなく、青い光を纏う美しい精霊が、自由自在に水を操りながら空を泳いでいた。それに続くように、緑色の光が風を、地面からは土色の光が次々と浮かび上がり、加勢しているようだった。


 セシルに防護服を着せていたエヴァンが、泣きそうな顔で空を見上げながら、うっとりするように息を吐く。


「ノエル様は、伝説の精霊だけでなく、四大精霊も使役することができるのですね…」


「マーズの神童と呼ばれた男だ。そこらの魔法使いとは違う」


 ヴィルジールの視線がルーチェへと戻される。見つめられていることに気づいたルーチェは、今日も綺麗な青色の瞳を見つめ返した。


「……ルーチェ。竜の正体がはじまりの聖王ならば、聖女ソレイユが救って欲しいと言った“あの方”は、あの竜のことではないか?」


「だとしたら、はじまりの聖王は何故竜になってしまったのでしょう」


 ルーチェは唇を噛み締めながら竜を見上げる。


 竜はファルシの言葉に、肯定も否定もしなかった。それが答えなのだとファルシは言っていたが、どうにも引っかかることがある。


 竜は何故、このオヴリヴィオ帝国を襲いにきたのだろうか。ルーチェもヴィルジールもマーズに居たというのに。聖王が自分の中で生きていたことにも、気づいていなかったというのに。


 ルーチェはファルシの言葉を思い返した。


 ──何故またあの竜が、この国を襲っている?

 ──また、か。ならば聖女であるフィオナを誘き寄せる為ではないね。ここにはあれを引き寄せる何かあるのだろう。


 竜の目的が聖女を喰らうことならば、ルーチェはとっくに死んでいるはずだ。ルーチェが竜と間近で対面するのは、今日が初めてではないのだから。


 だとしたら、ルーチェはなぜ喰われなかったのだろうか。あの竜は何をするために、この地に現れたのだろうか。


 考えても考えても、ひとつも答えが見つからなかったその時。びりびりとした何かが、ルーチェの頭の中を駆け巡った。


「────ッ?!」


 ルーチェは咄嗟に頭を押さえ、その場にしゃがみ込んだ。すぐに気づいたヴィルジールが目線を合わせるようにして蹲み込み、ルーチェの肩にそっと手を添える。


「ルーチェ。どこか痛むのか?」


 ふるふると、ルーチェは首を左右に振った。

 大丈夫だと伝えるために視線を持ち上げると、今度は頭の中に知らない景色が映し出されていった。

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