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第63話


(────誰?)


 陽光に染まったような髪が、風に靡いている。その美しい髪の持ち主はファルシと似た顔立ちをしており、遥か彼方からやって来る黒い群れに向かって、手を掲げていた。


 白い手袋を嵌めている手から伸びた光が、巨大な円を、そして複雑な文字を描いていく。それが魔法陣の類だと気づいた時にはもう、光は大きく膨れ上がり、その人の姿を包み込んでいった。


 ──いけません!それを使ったら、貴方はっ…。


 どこかで聞いた憶えのある声が、待って、行かないでと泣いている。


 膨大な光に包まれていた人は後ろを振り返ると、この上なく美しい微笑みを飾った。


 ──愛する者と、いとしいこの地を守るためには、仕方のないことだ。


 ──その術を使ったら、貴方は人の心を喪い、永遠に人を喰らい続ける化け物になってしまいます!


 泣いているのは、銀色の髪と菫色の瞳を持つ美しい女性だった。その腕では、銀色の髪の赤子が安らかな顔で眠っていた。


 ──ならば君が、私を殺してくれ。

 ──聖王様ッ…!

 ──大丈夫だ。きっと、護ってみせる。


 青年は女性に背を向け、ゆっくりと歩き出していく。視界が歪むほどまでに女性が涙を散らした時にはもう、大いなる光はひとつの獣となり、魔獣の群れと激突していた。



 景色は美しい人が獣へと姿を変える瞬間から、真っ暗闇な空間へと変わった。何もない無の世界からは、女性が啜り泣く声が聞こえてくる。


 耳を澄ましていると、真っ暗な世界に純白の雪が降り出していた。はらはらと落ちていくそれは、今も泣き続けている女性の涙のように思える。


 ──どうしたらわたくしが、あなたを殺せましょう。


 ぽうっと光が浮かび、そこから人影がくっきりと現れる。泣いていたのは銀色の髪の女性だった。


 ──愛する貴方に、全てを背負わせてしまった。…せめて、わたくしにできることをしなければ。


 女性は赤子を抱いたままふらりと立ち上がると、そのまま覚束ない足取りでどこかへ向かっていく。彼女は見えない道を歩いていたが、ふと足を止めた。

 道の先に、黄金色の髪の子供が現れたのだ。


 ──母上。私がこの地に残り、王を封じましょう。

 ──ならばこの母は、魂と引き換えにこの地に呪いをかけましょう。王が心を取り戻すまで、誰のことも傷つけないよう。


 女性は子供を抱きしめると、決して唱えてはいけないまじないの言葉を口にしていく。


 すると、彼等が過ごした城は真っさらな色に染まり、緑は空を覆うように広がり、美しい水源はするりするりと伸びて城を囲んでいった。


 そして女性は力尽きたが、生まれたばかりの赤子を置いてゆくことは出来ず──女性の望みを叶えるかのように、一頭の霊獣が女性と赤子を乗せて空を翔んでいた。


 だが、母子を乗せていた霊獣は魔獣の群れに襲われ、北の大地に落ちてしまった。


 ──ああ、あなただけでも……生き延びてくれたら。


 最早虫の息だった女性が、最後の力を振り絞ろうとした時。

 ひとりの少年が、女性に手を差し伸べた。


 ──どうしてこんな場所に人が……。大丈夫ですか?どこか痛むところは?

 ──坊や……。


 女性は微笑った。聖獣が守り抜いてくれた赤子と共に、一本の剣を差し出した。その剣は、愛する人が片腕と引き換えに生み出した、破魔の剣だ。


 ──心優しい坊や。貴方にこれを託しましょう。よいですか、いつか、巡り巡った私の魂がこの地を訪れたら、その剣をお返しください。


 ──……この剣は?


 ──聖女の剣、とでも名付けましょうか。貴方がわたくしの子を守ってくださる限り、その剣は貴方の剣となり盾となりましょう。どうかその力で、わたくしの子を……とを……。


 ──待ってください! あなたはっ…!?


 ──我が名はソレイユ。……の……で──。


 きらきらと、光が散る。星のような銀色の髪は黒く染まり、その女性──ソレイユは光の粒子となって消えたのだった。



 世界が鮮烈に発色する。目を開けると、びっくりするくらい近くにヴィルジールの顔があった。


 頭の中で過去の出来事らしきものが映し出されてから、どれくらい経ったのだろうか。胸の鼓動が跳ねるように動いているのを感じながら辺りを見回すと、最後に見た時と状況は変わっていないようだった。


 上空には竜と戦うファルシとノエルとその精霊たちが、下ではヴィルジールにエヴァンとセシル、騎士団の人たちがどうしたものかと策を考えている。


 ルーチェはゆっくりと立ち上がり、火の粉を吐き続けている竜の姿を目で追った。


(──今、わたしが視ていたものは……聖女ソレイユと、竜になってしまった聖王。そして、聖女の剣を受け取った少年だわ)


 この短時間でルーチェの脳裏に映し出されていたものは、遥か昔に起きた出来事のようだった。


 イージスを襲った魔獣の大群から国を守るために、聖王が身を賭して国を守り抜いた。だが、その代償として聖王は人を喰らう化け物になってしまった。


 見た目は竜そのものだが、その実態は人を喰らい続ける、悍ましい化け物で。


 我が身を犠牲に化け物になってしまった愛する人が、誰のことも傷つけないように──聖女ソレイユは呪いをかけたのだ。


 その呪いこそが、何十、何百年とイージスで行われてきた儀式だったのだ。

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