その光は、ヴィルジールの手を焼き尽くしてしまうのではと思うくらい、凄まじい熱気を帯びていた。
(──なんだ、これはッ……熱いっ……!)
ヴィルジールは顔を顰めた。途轍もなく熱い何かが、ヴィルジールの右手に宿ったのだ。余りの熱さに膝を着きそうになっていると、今度は声が聞こえてきた。
声の主は、聖女の剣を託された男のものだ。
『──王の子よ、約束を果たせ。私に愛するものを守る力をくれたあの美しい方に、この剣を』
熱い光の中から、白銀の剣が現れる。菫色の石が嵌め込まれているその剣からは、強く澄んだ光が感じられる。
光の中から現れた剣を、その剣をしっかりと握ったヴィルジールを、誰もが息を呑んで見つめていた。
ヴィルジールは青いマントを翻し、迷いのない足取りで歩き出した。真紅の瞳を見開いている竜へと向かって、大きく剣を振り下ろす。託された剣は光の壁を斬り裂くと、そのまま氷の斬影となって竜の右腕に衝突した。
「(ぐあああああっっ!)」
竜が叫び声を上げながら、巨大な体躯を揺らす。ヴィルジールの斬撃で斬り落とされた竜の右腕が、光を零しながら落ちていく。同時に、捕らわれていたルーチェも解放され、宙に投げ出された。
「ルーチェッ!!」
ヴィルジールは勢いよく地を蹴って駆け出し、落ちてくるルーチェの身体を抱き止めると、蒼白い頬に手を添えた。
「ルーチェ! しっかりしろッ…!!」
踠き苦しむ竜が暴れ、ホールが崩れていく。エヴァンの指示でセシルが騎士たちに連れ出され、エヴァンもまた名残り惜しむようにヴィルジールを一瞥してから建物の外へと駆け出した。
崩れゆくホールに残ったのは、暴れる竜とヴィルジールとルーチェ、ファルシとノエルだけだ。
ルーチェは重いまぶたを持ち上げ、唇を開いた。
「……ヴィルジールさま」
ルーチェは痛みに堪えながら笑った。上手く笑えていたかは分からないが、これが今のルーチェにできる精一杯の笑顔だ。
「……ルーチェ」
ヴィルジールの美しい顔がくしゃりと歪む。そんな顔をさせたくて、ルーチェはヴィルジールを庇ったわけではない。
ルーチェは自分が身代わりになるために、ヴィルジールを突き飛ばしたわけではない。やるべきことをやるために、果たさなければならないことを果たすために、この手は動いたのだ。
じりじりと、ヴィルジールの右手が異様な光を放つ。いつの日もルーチェの温かくて優しかったヴィルジールの右手は、焦げついたように色を変えていた。
それはきっと、聖女の剣を使ったからだ。本来ならばその剣は当代の聖女であるルーチェにしか、或いは聖王であるファルシしか扱えない物。それに触れ、力を引き出すことができたのは──ヴィルジールが聖女ソレイユと約束を交わした王の子孫であり、ソレイユが遺した娘の血を引いていたからだろう。
だが、それ以上の力を求めることは許されない。
その剣は、返してもらわなければならないものなのだから。
ルーチェは力を振り絞って、重い身体を起こした。自分の身体なのに、思うように動かない腕を、手を、彼の頬へと伸ばす。
「ヴィルジールさま」
弱々しく奏でられたルーチェの声を拾うように、ヴィルジールの顔が近づけられる。
ルーチェはえい、と頭を振り、ヴィルジールの額に自分の額を軽く合わせた。
こつん、と。いつかの日のように、額と額が合わさる。初めて重ねた時は、熱を測るために。しかしその行為は、いつしか相手を想い、その心に温かい光と優しい気持ちを伝えるための術となった。
だが、この行為は本来は違う意味を持っている。それを思い出したのは、本当の名と記憶を取り戻した時だ。
「わたしは、あなたのことが、だいすきです」
額と額を合わせ、互いの温度を確かめ合うようなこの行為は、イージスでは愛する者に愛を伝える方法だった。家族や恋人、大切な人たちに、今日も愛していると。
「…………ルーチェ」
ヴィルジールの瞳が見開かれ、美しい青が波打つように揺れる。
吐息がかかる距離で伝えた想いを、彼はどう受け止めたのだろうか。
「……はい」
ルーチェは微笑った。あふれる気持ちを胸に、ヴィルジールから顔を離す。そうして、色を失くしていく彼の右手に触れ、そっと光を灯した。
いつからだろうか。宝石のような青い瞳に見つめられると、鼓動が跳ねるように動いて。その大きな手で触れられると、肺がいっぱいになったような苦しさを感じるようになったのは。
ルーチェは青色の瞳をまっすぐ見上げ、最大級の微笑みを飾った。
「その剣を、私にお返しください」
渡してほしい、ではなく返してと言ったのは、ルーチェの一片の力となって消えたソレイユの想いが残っているからなのか、それとも本能から来たものなのか。
「あなたが愛するものを、わたしにも守らせてください」
ルーチェは目を一度閉じ、決意を宿して開いた。
ヴィルジールはきっと、この言葉の意味を理解している。ただ一度剣を振り下ろしただけで、彼の腕は色を変え動かなくなったのだ。この剣の使用者は代償を伴うのだと、彼は分かっている。
ヴィルジールはルーチェの光によって癒された右手に目を落としてから、ルーチェの顔を見上げた。その青い瞳は強く揺れ、唇は震えている。
ルーチェはまた微笑った。いつものように、彼の名を口遊んで、そうして右手を差し出す。
「──……約束の、剣だ」
ヴィルジールは涙をこぼしながら、ルーチェの右手に聖女の剣を握らせた。
太陽が昇るかのように、ルーチェの手から生まれた光が世界に満ちていく。
ルーチェはヴィルジールの両目から落ちる水滴をただ見つめながら、まばゆい光の剣を手に立ち上がった。
不思議と身体はもう、重くはなかった。