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第66話


 ルーチェの背から黄金色の翼が広がっていく。剣を手に歩みを進めていくルーチェは、神々しい光を纏っていた。


 そこにいるのはルーチェなのに、ルーチェではない別の誰かのように感じられたヴィルジールは、思わず手を伸ばしていた。触れることはおろか、届くはずもないと分かっていながら。


 竜と対峙したルーチェは、嘆き悲しむ赤色の双眸を見上げた。


「──始まりの聖王、エクリプス様。今、解き放って差し上げます」


「(ぐあああああっ! やめろ!私はっ───)」


 ルーチェは剣の柄を握る手に力を込める。使い方なんて知らないというのに、自然と身体が動いているのは、きっと、ソレイユが力を貸してくれているのだろう。


 ルーチェは顔を上げ、怯むことなく剣を振り上げる。


 振り下ろした剣が竜の鱗に触れると、そこからばらばらと竜の身体は崩れ、裂け目からは目も開けていられない量の光が飛び出してきた。


 反射的に閉じた瞼の裏側で、声が響く。


 王よ、私はここにいると。そしてまたひとつ声が響く。愛しい者よ、もう置いていかないでくれと。


 閉ざされていく光の世界で、ルーチェはふたつの影を見た。ひとつはファルシと同じ陽色の髪の青年を、ふたつめに銀色の髪を靡かせる菫色の瞳の美しい女性を。


 ──ありがとう。


 その優しい声を最後に、ルーチェは崩れ落ちた。



 好きな匂いがした。青い果実のような、優しい花のような匂いだ。錆びついた鉄のような匂いの方がずっと濃いというのに、その匂いを一番近くに感じることができるだなんて、なんて幸せなことだろうか。


「──ルーチェ、目を開けてくれ」


 ぱたぱたと、水滴が降ってきた。それは秋霖のように終わることなく、いつまでも降り注いでくる。


「……いくな、ルーチェ」


 涙に濡れた声が、何度もルーチェの名を呼んでいる。


 光という意味が込められた、ひとりの少女の名を。


(──でも、わたしは……もう)


 ルーチェの瞼の上に、ぽたりと涙が落ちてきた。その重みに応えるようにこじ開けると、朧げな視界いっぱいにヴィルジールの顔がある。


 頬を流れる涙を拭ってあげたくて、手を伸ばそうとした。だけど手は動かなかった。指先も一つも動かず、凍りついたように動かない唇は何の音も奏でられない。


 もう、体がついていけない。限界も頂点に達しているのだと知った。


「諦めないでくれ。ルーチェ」


「─────」


「たとえその瞳が何も映さなくなったとしても、俺の声が聞こえなくなったとしても、俺の名前を呼べなくなったとしても。手を握り返すことも、歩くことも出来なくなったとしても、代わりに俺が何だってしてやる。お前が息絶える瞬間に、幸せだったと想ってもらえるように。だから──」


 ふわりと。閉じた瞼の上に、柔らかい感触がした。


 それは熱を灯すように、降ってきた。


「……だから、そばにいてくれ」


 その熱が彼の唇だと気づいた時。

 霞む世界を、鮮烈な光が切り裂いた。



 初めは果ての見えない白い空間を見た。


 次の瞬間には、泣きたくなるくらいに温かくて優しい光を。


 ぶわりと全身の毛が逆立つのを感じて目を開けると、ルーチェを抱きしめているヴィルジールの身体が光り輝いていた。


「この光は──」


 ふたりを見守っていたノエルが、膨大な光に目を細める。その隣にいるファルシは一雫の涙を零し、胸に手を当てながら天を仰いだ。


「──聖者の光の力だ」


 何故それが、ヴィルジールの身体から放たれているのか。その答えは探さずとも、目の前にあった。


 空間全体を震わせるような光は、ルーチェの身体を包み込むと、そこから伸びていくように城の外へ、そして翼を広げるようにして大地へと降り注いでいく。



 どこまでも伸びていく光が世界に溶け込んだ頃。

 硬く目を閉ざしていたルーチェの身体からは、痛みも苦しみも消えてなくなっていた。


 ルーチェが目を開けると、洗い立てのような太陽の光を受けている銀髪が、きらきらと輝いていた。


 堪らなくなってその名を奏でると、彼は宝石のような青色の瞳から無色透明な雫を落としながら、唇を震わせた。


「──ルーチェ、俺の声が聞こえるか?」


 ルーチェはうなずいた。溢れ出る涙を拭いながら、何度も、何度も。


「……そうか。なら、よかった」


 ヴィルジールがルーチェの身体を強く抱きしめる。その時の表情を、ルーチェは生涯忘れることはないだろうと思った。

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