ギルド《緋剣の瞳》は、王都でも五本の指に入る大規模ギルドだ。
依頼の数は日々百を超え、登録冒険者数は三千を超える。受付嬢も十数名在籍しており、交代制で日々冒険者の窓口を担当していた。
そのなかで――受付主任エリシア・フローレスのデスクは、常に特別な空気を纏っている。
「エリシアさん、今日の依頼報告です……あの、あの! ぼ、僕、Cランク昇格、できたみたいで……!」
満面の笑顔で書類を差し出す少年冒険者に、エリシアは柔らかな声で応じる。
「まあ、それはおめでとうございます。……努力の成果ですね」
さらりとした所作で印を押し、昇格証を渡す。彼はその紙を両手で握りしめて、顔を真っ赤にして走り去った。
隣の窓口から、受付嬢の一人が苦笑しながら呟く。
「またファンが増えたわね、主任……。毎日あれだけ殺到してたら、もう指名制にしたほうが早いんじゃない?」
「そうすると、あなたが楽になりすぎるでしょう? それは困ります」
「うっ……!」
軽い冗談に見せかけて、きっちり釘を刺す。それがエリシア流。
だが、華やかに見える受付の業務も、内実は地味で煩雑だ。
報告書の処理、依頼の分類と再精査、問題依頼者への対応、所属冒険者の魔力データの更新、場合によっては失踪者の遺族対応まで――“冒険”という舞台を支えるために、事務方が背負うものは決して軽くない。
エリシアは、そのすべてを完璧にこなしていた。
しかも――それは“ほんの片手間”に過ぎない。
午後三時。小休憩の時間。
エリシアは、ギルド奥の小さな喫茶室に移動し、紅茶を淹れながら、机に拡げた報告書に目を通す。
――“南区路上にて《死の霧》発生”
「……やはり来ましたか。三年ぶりですね」
囁くような独白のなか、扉が控えめにノックされた。
「主任。副室長のエリオン様から、直接のお渡し物です」
現れたのは、副官格の男。手には漆黒の封筒。
エリシアはそれを受け取ると、封を開け、中身を読み――表情を動かさないまま、紅茶を口にした。
「……“十三番目”の名が動いたと。懐かしい響きです」
“十三番目”――それは、かつての禁呪戦争時代、帝国側に存在した十三人の“呪縛師”のコードネーム。
七人が戦死し、三人が消息不明。そして残る三人は――
「まさか、生きていたとはね。……ですが、“まだ”早いわ」
紅茶の香りが、ほんのりと鋭く変わる。
夕刻。
ギルドの地下、
そこは、一般職員も入れない“裏の本部”。数人の選ばれた者のみが知る、闇を封じる場所。
エリシアが足を踏み入れると、魔力封鎖の結界が自動で展開される。
回廊の奥にある《観測室》。そこでは、巨大な水晶球が淡く脈動していた。
「魔力濃度、王都全域で3%上昇。未検知式の呪縛術式による影響が推定されます。主任、どう判断されますか?」
眼鏡の女性魔術士が淡々と報告する。
エリシアは水晶球を一瞥し、即答した。
「“起点”を探して。一ヶ月以内に位置を特定。それが不可能なら、周囲ごと焼き払います」
「了解しました」
事務的で、冷酷で、迷いがない。
それはもう、“受付嬢”の顔ではなかった。
その夜。王都の片隅、古びた礼拝堂跡。
黒い法衣をまとった男が、血の儀式を終え、呟いた。
「フローレス……。あの子が、まだ動いているとはね。綺麗に片付いたと思ったのに。……私たち“旧き者”は、忘れられるにはまだ早いということか」
空気が歪み、無数の“眼”が闇の中で開いた。
「ならば、もう一度、夜を呼び戻そう。
――十三の名のもとに、“封じられた宴”を開こうではないか」
翌朝。
ギルド《緋剣の瞳》の受付に立つエリシアは、今日も変わらぬ笑顔で冒険者を迎えていた。
「ようこそ、緋剣の瞳へ。依頼のご相談ですね? お任せください」
光差すギルドの表玄関。
その裏で、彼女はすでに次の“敵”の名を記していた。