――夜明け前。王都南区・ギルド旧庁舎跡。
人目につかない裏路地の奥、すでに役目を終えた古びた庁舎。その地下に、禁術の痕跡が検出されたという報告が入ったのは、昨夜のことだった。
「この手の呪紋、見覚えがあります。八年前と同じ、帝国式の禁術構成です」
灰の回廊、監察部所属の呪術士が低く告げた。
エリシアは、無言で報告書を手に取り、封筒に収めた。
朱印を押し、特殊事件扱いに変更する。
それはつまり――“外部には報せず、ギルドの手で処理する”という意思表示だった。
「主任、ひとつ質問しても?」
呪術士が声をかける。
「……十三番目、ですか? あるいは“それ以外”?」
エリシアは、わずかに目を伏せ、静かに返す。
「彼が動いたとしても、“十三”だけではありません。“十四”も、“十五”も。……まだ、あの夜は終わっていません」
◆
朝。ギルド《緋剣の瞳》、応接室。
新人冒険者の三人――ライオ、リゼル、ティナが、少し緊張した面持ちで座っていた。
「な、なんで俺たち、主任に呼び出されたんだ……?」
「まさか、依頼失敗のこと……?」
「……私たち、何かバレてるのかな」
エリシアは、丁寧に紅茶を三人分淹れながら、ふと微笑んだ。
「呼び出しなんて、そんな仰々しいものではありませんよ。……少し、あなたたちに“覚悟”を確認したくて」
「か、覚悟……?」
「ええ。あなたたちはもう、見てしまった。“ギルドの裏側”を」
三人は、先日の騒動――南区で発生した魔力濃霧事件のことを思い出す。あの時、エリシアは、明らかに“受付嬢の枠を超えた”戦い方をしていた。
「わ、私たち誰にもあの時のこと話してません!」
「ええ、それは分かっていますよ」
エリシアは、目を細めた。
「けれど――あなたたちがこれから進む道は、ああいった“本物の冒険”です。命を、誇りを、そして心を削る旅路です。それでも、先に進みたいですか?」
数秒の沈黙のあと。
ティナが口を開いた。
「……進みたいです。だって、私、あの日――主任の背中に救われたから」
リゼルが続く。
「うん。なんか、カッコよかった。俺もあんな受付嬢になりたいって、ちょっと思っちゃったんだ」
「受付嬢じゃなく、冒険者だろ」とつっこもうとしたライオは、最後に少し苦笑して。
「……見たんだ。信じられないようなものを。だったら、知りたい。この世界の“本当”を」
三人の答えを聞いたエリシアは、少しだけ――ほんのわずかだけ、瞳を和らげた。
「……いいでしょう。なら、特別教育対象として登録しましょう。あなたたちは今から、《灰帯》となります」
「《灰帯》……?」
「表には出ない、ギルド直属の“観察対象兼育成候補”。かつての私も、そうでした」
◆
その夜、エリシアはギルド長室に呼び出された。
「……勝手に《灰帯》を増やすとは、随分強気じゃないかね」
老齢のギルド長は、決して怒った様子ではなかった。ただ、その眼差しは鋭い。
「申し訳ありません。ですが、いずれ必要になります」
「ふむ……“十三番目”の残党が動いたという報告、私も目を通した。まさかとは思っていたが、本当に生きていたのか」
エリシアは静かに頷く。
「そして――ギルド上層部にも、動きがあります。禁術の技術は外部に漏れています。それを利用して、私を“排除”しようとしている者がいる」
「……やはりか。査問会が近いとは聞いていたが、君を標的にするとはね」
ギルド長は、ため息を吐き、戸棚から一枚の古びた報告書を取り出した。
“帝都陥落後、
筆頭記録者――エリシア・フローレス
「……君が、あの夜に“十三番目”を殺したのではないのか?」
エリシアの眼差しが、一瞬だけ揺れた。
「ええ――確かに殺しました。ですが、完全に、ではありませんでした。私も、あの夜の呪縛から逃れられていない」
夜空を見上げる彼女の瞳に、朱い星が映った。
◆
一方、王都郊外・黒の霊廟。
そこには、存在しないはずの魔術研究室がひっそりと稼働していた。
「フローレス。君の“鍵”は、まだこの国に刺さっている。君がその身を閉じぬ限り、この封印は完全には開かない」
黒衣の少年が、封呪装置の前でそう呟く。
彼の首には、赤い呪符が巻き付いていた。
そして、その額には数字が刻まれている――《14》。
◆
次の朝。ギルドには、何事もなかったように日常が戻ってきた。
受付嬢エリシアは、笑顔で新人に声をかける。
「さて、今日も頑張りましょう。……命を、大切にしてくださいね」
だが、その指先は、ひとつの“報告書”を握っていた。
件名:《灰帯三名、観察強化指定》
備考欄にだけ、朱筆でこう記されていた。
――“動けば動くほど、鍵は開く”