訪問を予定していた土曜日に、和也に急の仕事が入った。そこで令子と麻里が先に実家を訪ね、和也はあとで合流することにした。
呼び鈴を押すと和也の父の正一が玄関に出た。「二人とも久しぶりじゃな。元気そうで何よりじゃ。まあ上がりなさい。」
むやみに高い上り框をあがった。向かって右手が居住用の母屋で、左手が道場になっている。稽古中のようだった。
正一は麻里を見て言った。「あんた強いんじゃろ、少し稽古してみんか?今、女の子で手頃な相手が来ておるんじゃ。」
「はい、喜んで」と麻里。
正一は道場を覗き込んで、「さっき蓮がおっただろう。呼んできてくれんか。」
「はい」と弟子の一人。
「麻里さんじゃったな、奥の部屋で道着に着替えたらええ」と正一。
「はい、ありがとうございます」と麻里。
麻里は道着を来て道場に入った。同年代の女子に実力で負けたことがないと自負していた。だが正一の横で待っていたのは中学生の女の子だった。
「蓮、このお姉ちゃんに少し稽古をつけてやってくれんか」と正一。
麻里は不本意ながら下座に立った。立ち会ったところ、全く歯が立たなかった。
「うちの道場の師範の一人、蓮じゃ。強いじゃろう」と正一はにこにこと笑って、住居スペースへ令子と麻里を誘った。「奥で話を伺うことにしましょうかの。」
「今日は珍しく、うちの師範格が三人もそろっておるんじゃ。こちらの部屋じゃ。入ってくれ」と正一は広い座敷の部屋に案内した。
令子と麻里は座布団を勧められ、大きな座敷机の前に座った。向かいに少女が二人座っている。
「紹介しておこう。朱良、それにさっきの蓮の双子の妹の蘭じゃ」と正一。
朱良は麻里と同い年くらいの女子、蓮と蘭は中学生だろう。
「道場主代理の朱良です。お見知りおきを」と朱良。
令子と麻里は格闘家シュラの名前をうわさで聞いて、男だと思い込んでいた。まさか、こんなか弱げな少女とは。大女の部類に入る二人は絶句した。
遅れて、蓮がふすまを開けて部屋に入り、朱良と蓮に並んで座った。
朱良はまず切り出した。「ご存知のことと思いますが、弘樹は当道場の主でございます。弘樹が行方不明となれば、我々にとっても一大事。ぜひ我々も協力させていただきたい。つきましては、これまでの経緯を仔細漏らさずお教え願えないだろうか。」
このように言われてしまえば、ごまかしは利かない。令子と麻里は事情をすっかり説明した。
「聞けば、修行すると書置きを残したとのこと、心配ないのではないか。武道家であれば修行の旅に出るのは通常のことでしょう」と朱良はこともなげに言った。「そもそも我が流派の当主は、女子になじられた程度で動揺することなどありえません。この件はあなたたちの勘違いでしょう。」
「ですが弘樹君はまだ中学生です。どこかで事故に会っているかもしれませんし、学校にも通わないといけません」と令子。
「話を聞いた限りでは、問題はそのようなことではありません。むしろ、なぜ当主は女子と戯れることが許されないのか、ということです。聞けば、あなた方と同門の女性とのこと。むしろ好ましいことではありませんか。しかも、同年代の中学生や年下の少女に手を出したわけではなく、年上ならばむしろ健全と言えます」と朱良。
「繰り返しますが、弘樹君はまだ中学生です」と令子。
「御家に当主を預かっていただくときに、先代を通してお願いしたはずです。弘樹を子ども扱いしないでほしい、一人の武道家として扱ってほしいと。あなたも和也殿も了承してくださったはず」と朱良。
「確かにその通りでございます。落ち度のないように努めてまいったつもりです」と令子。
「しかるに、他家での生活に寂しさを覚え、少々女性に甘えたとて、特段責めるほどのことではないでしょうに。むしろ、我々としては安達英子なる女性に感謝せねばならぬ」と朱良。
「申し訳ありませんでした」と令子は後ろに下がって平伏した。
蘭が口を開いた。「ところで、麻里。あなたはわが当主に、話にあったような居丈高な物言いをするのか?だとすれば看過できぬが」と冷たい目を向けた。
麻里は返す言葉もなかった。
「返事をせぬのか?」と蘭。
「ならば話し方を教えてやろう。道場に出るがよい」と蘭が立ち上がった。「先ほどのような遊びではないからな。覚悟せよ」と蓮が続く。
「どうかご容赦を!」と、令子が叫んだ。