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第11話 道場

 朱良が道場に着くと、祖父の正一は母屋の座敷で茶をすすっていた。


「おじい様、お願いがあります。私をここに置いてください」と朱良は言った。


「どうしたんじゃ、急に改まって。家で何かあったのか?」と正一。


「いいえ、私の気の迷いがなくなったのです。どうかこの家の人間として生活させてください」と朱良は手をついて頭を下げた。


「もちろん、わしはうれしいが、お前の両親はなんと言っておるんじゃ」と正一。


「両親が何と言おうと私は決めたのです。この道場とともに生きると」と朱良。


「意味がよくわからんよ。ここで暮らすのは構わんが、学校はどうするんじゃ。大学受験も控えておるのじゃろ」と正一。


「学校など、今となってはもうどうでもよいことです。ここで修行のみの生活をさせてください」と朱良。


「そうまで言うなら好きにしたらよいが、とにかく両親にはちゃんと断っておくのじゃ」と正一。「昼めしの時間じゃ」と言って立ち上がった。


 正一と朱良が居間に入ると、午前中は妙の畑仕事を手伝っていた蘭と蓮がすでに居間の食卓についていた。


「あら、楽しい我が家に帰られたお姉様が、なぜここにおられるのでしょうか?」と蓮が声を上げた。


「これ、蓮。そんな言い方をしてはいかん」と妙。「何かあったのかえ?」


「私の心が定まったのです。この道場で修行に専念することに人生を捧げます。どうかここに置いてください」と、朱良は祖母に深々と頭を下げた。


「また、そんな大げさなことを。お前はもう十分修業を積んでおるから、好きなことに時間を使えばええ。これ以上強くなっても相手がおらんからのお」と妙。


「違うのです。この道場を守ることに人生を捧げるのです」と朱良。


「朱良や、そんな必要はない。修行はやりたいものが、できるときにやったらええ。それがこの花山道場の流儀じゃ。だから、和也も弘樹もおらん。それでええんじゃ」と妙が諭した。


「いいえ、弘樹が家を出たのは私の責任です。だから私が連れ戻して流儀を継がせます」と朱良。


「弘樹は修行をしとるだけだ。気が済んだら戻ってくるじゃろ」と妙。


「ですが今のままでは、ここには戻ってこないかもしれません」と朱良。


「それならそれでええじゃろ。弘樹が幸せならそれで十分じゃ。お前はそれ以上に何を望む?」と妙。


「では、この流儀はどうなるのです」と朱良。


「お前さんが継いでくれるのじゃろ。今しがた、この道場に人生を捧げると。他にどんな意味があるのじゃ」と妙。


「このままでは私の気が済みません。かならず弘樹を連れ戻します」と朱良。


「じゃが、すでに弘樹の人生は定まっておるかもしれん。好きなおなごがおるという話じゃったしな」と妙。


「弘樹に限って、そんなことはありません」と朱良。


「おなごの方が放っておかんよ。弘樹はあれでかなりの美男子じゃからな。件の安達とかいう年上のおなごが、弘樹を押し倒したに違いないわ。ひひひ」と妙が笑った。


「おばあ様とはいえ、そのような下品な言葉は聞き捨てなりません。弘樹がそのような女に取られては困ります」と朱良。


「捨てる神あれば、拾う神ありという。すでにどこかで拾われておるはずじゃ」と妙。


「そんなことになれば、私は責任を取って腹を切る覚悟です。蘭と蓮が道場をついてくれるでしょう」と朱良。


 妙はやれやれという表情をした。


「私たちは道場なんて継がないわ」と蘭。


「どういうこと?」と朱良。


「それは私たちの勝手よ」と蓮。


「じゃあなぜここにいるの。家に帰るのが嫌だからね、そうでしょう?」と朱良。


「ちがうわ。でも教えない」と蘭。


「ふざけないで!真面目に聞いてるのよ。私は弘樹に詫びてここで腹を切るわ」と朱良。


「どうぞ、お好きに腹を召されてください」と蓮。


「私たちの知ったことではありません」と蘭。


「お前たち、いい加減にしなさい。道場で腹を切るなど、私が絶対に許さん」と正一。「蘭と蓮もここでどうするつもりなのか、言いなさい。」


「私たちは弘樹兄さんについていくつもりです」と蘭。


「兄さんがダメと言っても張り付いていくのよ。どこまでも一緒に」と蓮。


「どうやって弘樹を見つけるつもり?」と朱良。


「それは内緒。お姉さんには教えない」と蘭。


「これ、いい加減にしなさい」と妙。「言いそびれていたのじゃが、実は何日か前に弘樹を見かけたんじゃ。朝早く庭におったんじゃよ。急いどるからすぐに帰る、と言っとった。元気そうじゃったよ。そのときは家出の事情を知らんから引き止めんかったが。その話を蘭と蓮にしたら、内緒にしてくれと言われてだまっとったんじゃ。弘樹は生きとるし、また現れるはずじゃ。」


「あれほど弘樹が家出したと騒いでいたではありませんか」と朱良。


「すまんすまん。食事の用意をしとったから、話に入りそびれたんじゃ。すまんかった」と妙はヒヒヒと笑った。


 朱良は拍子抜けして緊張が一気に解けた。「何でそれを先に言ってくれなかったんですか?」と言い、顔をくしゃくしゃにして泣きじゃくった。


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