(前話の数日前のこと)
蓮と蘭がノックをして部屋に入った。
「何か用?」とナナ。
「お話があります」と蘭。
「食事の時に聞くわ」とナナ。「一人の時間を邪魔しないで。」
「大事な話です」と蓮。
「あなたたちのことなんて知らないわ」とナナ。「何でも勝手になさい。」
「弘樹兄さんのことです」と蘭。
「弘樹がどうしたの?」とナナ。
「弘樹兄さんとの同居のお許しを頂きに来ました」と蓮。
ナナが双子の娘に体を向けて姿勢を正した。「言ってごらんなさい。」
「兄さんは来年度の高校入試を受験するつもりです。私たちが通う八角学園の高等部を受けるように勧めています」と蘭。
「ここから通わせるつもり?」とナナ。「それはできないわ。ここはあの子の家じゃないから。」
「それは分かっています」と蓮。「そうではなくて、どこかでアパートを借りて兄と住みたいのです。」
「ああ、そういうことなのね」とナナ。「私は構わないわよ。だけど、どういう風の吹きまわしなの、あなたたちが弘樹と住みたいだなんて。」
「私たちが兄のことを好きだからです」と蘭。
「冗談でしょ」とナナ。「あなたたちに、そんな人並な感情があるなんて知らなかったわ。」
「私たちは本気です」と蓮。
「しかも、あなたたちが弘樹のことが好きだなんて、笑っちゃうわ」とナナ。「どんな風に好きなの?」
「兄のことを愛しています」と蘭。
「子供が何言ってるの。ありえないことね」とナナ。「あなたたちの本性は私が一番知っているわ。それとも、今さら兄妹愛に目覚めたの?」
「兄は私たちの愛を受け入れると言ってくれました」と蓮。
「どうせ、あなたたちに詰め寄られて、面倒くさいからそう言ったんでしょ」とナナ。
「それ以降、兄は何でも打ち明けてくれます」と蘭。
「あなたたちのことが怖いからでしょう」とナナ。「何度も殺されかけたのだから。」
「今では兄さんのほうがずっと強いので、私たちに殺される心配はありません」と蓮。
「子供の時の記憶がそんな簡単に消えるわけがないわよ。あの子はあなたたちのことを恐れおののいていたわ」とナナ。「あなたたちは気が付かなかっただろうけど。」
蓮と蘭は返事をしなかった。
「あの子は私が退院して帰ってきたら、いつも私にしがみついていた。私の胸の中で震えていた」とナナ。「かわいそうな弘樹を連れて逃げたことは一度や二度ではないわ。あなたたちは私が弘樹を離さなかったと思っているみたいだけど。」
一呼吸おいてナナは続けた。
「あの子はあなたたちに殺されると言っていたわ。逃げて捕まると、私は弘樹から引き離されて精神病院に入れられた」とナナ。「今でもよく覚えている。別れ際に泣き叫ぶあの子に言ったわ。あなたが死んだら私も死ぬから大丈夫だって。一緒に天国に行きましょって。いまでも私たちの心の中でこの約束は生きている。ピアノを弾くしか能のない、気の狂った女の唯一つの約束よ。」
「あなたたちは弘樹を馬鹿でどんくさい子供だと思っていた。そして自分の不運を逆恨みして弘樹を虐待していた」とナナ。「そんなあなたたちに、あの子が心を開くわけがないでしょ。」
「でも本当です。兄さんは私たちを許してくれました」と蓮。
「どうやったの?」とナナ。「正直に言ってごらんなさい。」
「操を捧げました」と蘭。
「呆れたわ」とナナ。「あなたたちが股を開いたのね。どうしていいか途方に暮れる弘樹の顔が目に浮かぶわ。」
蓮と蘭は無言だった。
「お金は出してあげるわ。好きになさい」とナナ。
一呼吸おいてナナが続けた。「一応聞いておくわ。それで、あの子はどうしているの?」
「父が再婚して、兄さんは連れ子として新しい家庭で生活しています」と蘭。「義理の姉が一人いて、結婚前にできた腹違いの妹がいます。」
「あらそう。幸せそうね」とナナ。
「兄さんは家庭にあまりなじんでいないようです」と蓮。
「そうでしょうね」とナナ。「でも実の姉妹に殺されるような環境よりずいぶんましよ。内心ほっとしてるんじゃない。それで、あの子にあなたたちと同居する話はもうしたの?」。
「はい」と蘭。
「それで、弘樹はなんて言ってるの?」とナナ。「まさか喜んでるのかしら。」
「分かったと言ってました」と蓮。
「うれしそうだった?」とナナ。
「いいえ」と蘭。
「そう。あなたたち、同居することがあの子のためになると思ってるの?」とナナ。
「私たちが兄さんのお世話をします」と蓮。「私たちが兄さんのことを好きなのです。」
「あの子が、あなたたちのことを嫌いと言ったらどうするの?」とナナ。
「……」
「その時はちゃんと別れるのよ」とナナ。「約束なさい。」
「分かりました」と蓮と蘭。
「もういいわ。行きなさい」とナナ。