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第20話 顔合わせ

 神社に到着した六人は神楽殿に上がり、神主から祈祷を受けた。


 その後、朱良たちは社務所に案内された。広間に入ると長机が左右に二列置かれている。右の列の一番端に軽装の弘樹がひとりで座っていた。朱良たちは左の列の机に弘樹と向い合せに座った。天狗役と鬼役がここで顔を合わせるという意味らしい。


 一番奥の弘樹と顔を合わせる席に朱良、その横に蓮、蘭、仁美、順子、麻里の順に座った。


「久しぶりだね、朱良姉さん」と弘樹が気の抜けた挨拶をした。


「あなた、元気そうね。安心したわ」と朱良。


「姉さんこそ、随分気合が入ってるね。仁美姉さんと順子姉さんまで駆り出されたんだ。お疲れさまだよ」と弘樹。


 麻里は久しぶりに聞く義弟の声に耳を傾けていた。


「麻里姉さんまでいるんだ。ビックリだね」と弘樹。


「私の弟子よ」と朱良。


「ははははは」という弘樹の乾いた笑い声ががらんとした広間に響いた。


 たしかに義弟の声だが、全く別人の笑い声に聞こえた。麻里は自分がいてはいけない場所にいるような気がして、背筋がぞっとした。


「姉さん、刀なんて何の冗談だい?」と弘樹。


「もちろんあなたを切るためよ。あなたの右腕を切り落としてでも、あなたには道場に帰ってきてもらうわ」と朱良。


「それは怖いね」と弘樹。


「もし朱良姉さんが負けたら、腹を召されるそうです」と蘭。


「なんでぼくがそんな勝負をしなきゃならないんだよ。ぼくにとって、一つもいいことがないじゃないか。勝っても負けても罰ゲームみたいな」と弘樹。


「神示には逆らえないのよ」と朱良。


「真面目に言ってるの、姉さん。じゃあ聞くけど、ぼくが道場に戻って、姉さんに何かいいことがあるのかい?」と弘樹。


「本来あるべき状態に戻るだけよ」と朱良。


「本来あるべき状態って何?」と弘樹。


「道場で私があなたの世話をするということよ」と朱良。


「そんなことが本来の状態なの?」と弘樹。


「そうよ。家に母親がいなくて、私が姉であなたが弟だからよ。変かしら」と朱良。


「それだけ?」と弘樹。


「そうよ」と朱良。


「それだけのためにこんな大騒ぎしてるの?」と弘樹。


「そうよ、あなたが逃げるから」と朱良。


「ぼくは逃げてないよ」と弘樹。


「逃げてるわ。今だって山にこもってるんでしょ」と朱良。


「そうだね。でもこれは朱良姉さんには全然関係ないことだよ」と弘樹。


「それならなおさらのこと道場に帰ってきてちょうだい。あなたは道場主なのよ」と朱良。


「いやだ」と弘樹。


「なぜなの?」と朱良。


「姉さんは意地悪だから嫌だ」と弘樹。


「あなたに意地悪なんてしてないわ」と朱良。


「ぼくが風呂を覗いたからって、仲間外れにして口をきいてくれなかったじゃないか」と弘樹。


「あなたが悪いのよ」と朱良。


「ぼくは覗きなんてしてないよ」と弘樹。


「知ってるわ。誰もあなたが覗きをしたなんて思ってないわよ。そもそも一緒にお風呂に入っていたじゃない」と朱良。


「じゃあなんで姉さんはあんなこと言ったんだよ」と弘樹。


「あなたが私を無視したからよ」と朱良。


「してないよ。そんな事」と弘樹。


「したわ。あなた、あの頃、仁美姉さんと順子姉さんの胸ばかり見てたじゃない。許さないわ、そんなこと」と朱良。


「姉さんたちの胸なんか見てないよ」と弘樹。


「いいえ、見てたわ。私はあなたをずっと見ていたから知ってるわ」と朱良。


「第一、そんな理由なの?姉さんがぼくに意地悪してたのって」と弘樹。


「そうよ、そんな理由よ」と朱良。


「ひどい。そんなこと、直接言ってくれればいいじゃないか。胸を見るなって」と弘樹。


「口が裂けても、そんなこと言えないわ」と朱良。


「訳が分からないよ」と弘樹。


「あなたに分からなくてもいいのよ。戻ってきてくれさえすれば」と朱良。


「道場に戻ってどうするの?」と弘樹。


「さっきから言ってるでしょ。私に世話をされてればいいのよ」と朱良。


「どんなふうに?」と弘樹。


「どんなふうって、普通の子供のようによ」と朱良。


「具体的に教えてくれる?」と弘樹。


「あなたは私が用意したご飯を食べるのよ。それから私と稽古をして、汗をかいたら私がお風呂で背中を流してあげる。寝床も私が用意してあげるわ。どう、悪くないでしょ」と朱良。


「それって普通の子供なんだ」と弘樹。


「そうよ」と朱良。


「それだけ?」と弘樹。


「細かいことはいろいろあるわよ。例えば、あなた、この三年間、蘭と蓮には毎日電話してたのに、私には何もしてくれなかったでしょ。その埋め合わせをしなきゃいけないわ。だから、朝と夜には必ず私にキスをしてちょうだい。それから外出するときは、どこで何をするのかちゃんと言っておいて。帰るのが遅くなるときはちゃんと連絡をちょうだい。それから、女の人と二人きりで会うのは禁止よ。家に帰ったら、その日誰に会ったかちゃんと……」と朱良。


「なんだかちょっとわかった気がする。それでぼくが勝ったらどうなるの?」と弘樹。


「あなたは自由にしていいわ。そして私は死ぬ。生きていても意味がないもの」と朱良。


「それってちょっと病気の女の人みたいだね」と弘樹。


「そうね。私たちのお母さんみたいって思ったのかしら」と朱良。


「うん」と弘樹。


「その通りよ。あなたのことが大好きなの」と朱良。


「そうだったのか」と弘樹。


「そうだったのよ。今頃気が付いたのかしら」と朱良。


「うん」と弘樹。


「気が付いてもらえてうれしいわ」と朱良。


「やっぱりこの勝負はできないよ。ぼくが勝って姉さんが死んだんじゃ、ぼくは悲しくて生きていけないよ」と弘樹。


「あら、うれしいことを言ってくれるのね。じゃあ負けてちょうだい」と朱良。


「それはできないよ。ぼくにはぼくの生活があるから」と弘樹。


「ぼくの生活って何かしら、詳しく聞きたいわね」と朱良。


「言わないよ。とにかく、ぼくは逃げるから。この勝負は不成立だよ」と弘樹。


「あなたがそう言うと思ったわ。だからもう一人、鬼を用意したの。もしあなたが逃げるなら、その人が鬼の役になって私たちと戦ってもらうわ」と朱良。


「もう一人の人って誰?」と弘樹。


「出てきてちょうだい」と朱良。


 部屋の隅にある屏風の陰から、安達英子が姿を現した。


「弘樹の隣に座ってちょうだい」と朱良。「いつものように、もっとひっついて座っていいのよ。」


「ぼくはこの人を連れて逃げるよ」と弘樹。


「この人を連れて私たちから逃げるのは無理よ。試してみる?」と朱良。


「姉さんって賢いんだね」と弘樹。


「あなたのために知恵を絞ったのよ」と朱良。


「弘樹、この勝負を受けなさい」と仁美。「たとえ私たちが負けたとしても、朱良を死なせたりはしないわ。安心しなさい。あなたが勝って、あなたの好きなように道場や朱良と関係を持てばいいのよ。」


 しばらく沈黙が続いた。ガラガラと玄関の戸をあける音が響いた。食事と飲み物が運び込まれ、参加者の席に配られた。


 正一と和也が現れた。「どうじゃ、盛りあがっとるかのう?」と白々しく聞いた。「腹が減っては戦はできぬ。たっぷり食べておくのじゃ。」


 日が沈んだのち、鬼は別の建物に移って着替えることになっている。


「ぼくはやるよ。手加減しないから」と弘樹は言って、立ち上がった。


 弘樹と英子は祭りの世話役に連れられて、森の奥に消えて行った。


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