天狗の陣地では付添いの門人たちがそろって
「弘樹が来たぞ」と正一が鋭い声を上げた。
天狗側は決めた通りの陣形をとり、広場中央で弘樹を迎えた。
弘樹の右腕がわずかにしなったように見えた瞬間、仁美の長刀の刃が付け根からポロリと落ちた。麻里はひっと声を上げた。次に左腕がしなって順子の長刀の柄が二か所で切断され、順子と仁美は左右の闇に消えた。それと同時に蘭と蓮が左右から目にもとまらぬ速さで弘樹に接近していた。双子にしかできぬ同時連続技を弘樹は軽くいなしてる。麻里は足がすくんだ。もう力量の差は歴然としている。
「弘樹は腕で空気を切ってるのよ!真空切り!あんたも聞いたことぐらいあるでしょ!鞭をふるってると思って軌道を読んで避けなさい!」と朱良は麻里の耳元で叫んだ。
麻里の視線は蘭と蓮に釘付けになっていた。二人はできるだけ接近して弘樹に真空切りを打たせないようにしているのがわかった。だが弘樹はまるでケージの中のウサギを捕まえるような容易さで、まず一人の襟首を掴んで放り投げ、さらにもう一人を放り投げた。「ぎゃん」「ぎゃっ」という声が暗闇から二つ聞こえた。
と同時に、朱良の「行くわよ!」という叫び声を聞き、夢中で弘樹の前に飛び出した。
朱良は一気に間合いを詰めて、突きと蹴りの連続攻撃で真空切りを防ぎ、弘樹のわずかな隙に麻里が刀で切りこんだ。
「正面は危険よ!」という朱良の声が響くと同時に刀の切っ先が三寸ほどポロリと落ちたが、さらに一太刀を入れようと踏み込んだ瞬間に刀身の半分がなくなっていた。何を考える余裕もなく暗闇に走り抜けるのが精いっぱいだった。
次の瞬間には仁美と順子のペアが長刀で再び切り込んでいた。「ギャー」とか「キエー」と気合とも叫び声ともつかぬ声が暗闇に響き渡っている。
麻里は耳元での「早く別の刀を取ってきなさい!」という朱良の声に弾かれるように飛び起きた。手にしていた刀を放り出して天狗の陣地へ駈け出した。次の刀を受け取って鞘を抜いた時には、すでに蓮が蹴りを受けてよろめき、蘭が投げ出されるところだった。
朱良の「後ろに回り込むのよ!」の声とともに麻里は駆け出した。弘樹の背後に回り込み、獣のような掛け声をあげて切り込んだがいなされ、右腕の真空切りで刀をスパリと折られた。その場で刀を捨て暗闇に転がり込んだ時に、ドンという太鼓の音を聞いた。一分経過の合図だった。三分など永遠に来ないように思えた。
「ちゃんと軌道を読みなさいって言ってるでしょう!次は首が飛ぶわよ!」と朱良に怒鳴りつけられながら、麻里は次の刀の鞘を抜いた。
そのときにはすでに、弘樹はうずくまった蘭の襟首を掴んで、ポーンと広場の縁に放っているところだった。
麻里は「キエエー」と夢中で叫びながら、朱良の右脇から切り込み、弘樹にいなされて手刀で籠手を打たれ、刀を取り上げられてパンと折られてしまった。暗闇に飛び込んで身を隠した瞬間に、仁美の「シャー」という呼吸音が聞こえ、振り向くと仁美が一人で手槍をふるっている。順子は戦列を離れたらしい。
母から次の刀を受け取っているときに、ドンドンという太鼓の音が鳴った。これで二分。もう、一秒とて持ちこたえられるとは思えない。振り向くと朱良が胸を押さえ、口から血を流している。赤い唾をまき散らしながら「あと一分よ!」と叫んで駆け出す。麻里はその背中を追った。
すでにローテーションが崩れていた。足を引きずる順子をかばいながら、蓮が素早く弘樹の懐に飛び込み、駆け付けた朱良が背後に回り込んだ。蓮が縁に蹴りだされ、順子が暗闇に消えた。麻里は弘樹に切りつけ、同時にゴウッと風を切る音を耳元で聞いた。
長刀のストックがなくなったのか、仁美は刀を手にしていた。仁美と麻里が交互に切りつけたがいなされた。刀身を半分ほどのところで折られたが、かまわず切りつけた。腕を負傷している蘭が足元をすくった。しかし、すべてはかわされ続けた。
ドンドンドンドンと連続で叩く太鼓の音が聞こえた。あと三十秒。折れた刀が重くて持ち上がらない。下から斜め上に切り上げた。次はこちらに真空切りが来ると分かった。もうかわせない、と思った瞬間、弘樹の動きが緩慢になった。
「今じゃあ!」と正一の声が響いた瞬間、黒い影が飛び出してきて、小柄な弘樹を押し倒して固めた。英子だった。袴が血まみれの仁美がさらに上から覆いかぶさり、頭から血を流している蓮が縄で弘樹の足を縛った。
朱良が叫んだ。「勝ったぞー、鬼を打ち取ったぞー。」
皆が「うおー!」と雄叫びをあげた。
「よくやったのう」と正一。
「なぜ三分だったの?」と朱良。
「お神酒に薬を盛ったんじゃ」と正一。
英子は最後の切り札だったそうだ。「弘樹を今のままにさせておきたい者は一人もおらんからなあ」と正一。
天狗役の六人は次々と救急車で病院に運ばれていった。