その日の昼休み、麻里は英子のいる教室を訪ねた。
「あなた、このごろ稽古に来てないわね」と英子。
「ええ、受験勉強を始めたの。体育の先生になろうかと思って」と麻里。
「そうなの」と英子。
「あなたは進路、どうするつもりなの?」と麻里。
「私はここから通える大学のスポーツ推薦を受けるつもりよ。弘樹の側にいたいから」と英子。
「将来はどうするつもり?」と麻里。
「警察官を目指そうかと思っているの」と英子。「だから法律の勉強ができる学部を希望してるわ。」
麻里は、なるほどと思った。
「ところで、朱良さんが来てくれるそうね」と英子。
「弘樹の様子を見に来るらしいわ。ついでにクラブにも顔を出してくれるらしいの」と麻里。
「それはすごいわ。みんなに伝えないと」と英子。
「そうね」と麻里。
「あなた、何かあったの?」と英子。麻里は祭りの後、かなり疲れていたようだが、今日は何か困った顔をしている。
「実は今朝、弘樹の弟子にしてもらったの」と麻里。
「ええ!」と英子。「それは確かにすごいことだけど、あなたが弘樹の弟子って想像つかないわ。」
「そうなのよ。ぜひってお願いしたけど、どう接していいか分からなくて、あんたに話しに来たんだよ」と麻里。
そりゃあ難題だ、と英子は思った。
「先生とか弘樹様って呼んだら、やめてくれって言われて、逃げられたんだ」と麻里。
こわもての大女の麻里に、先生と呼ばれる弘樹を想像して、少しおかしかった。
「あたし、あの戦いで自分の思い上がりに気付かされたんだ。自分は大したことないって、自分は少し体が大きくて、力が強いだけだって。あの道場の人たちを見て、思い知らされた。自分はまだ全然だって。まだまだ修行しなきゃいけないんだって」と麻里。「でも本当は怖くて仕方がないんだ。もう、あの時の戦いを思い出したくない。震えが止まらないんだ。あのときの弘樹の怖さは、あの時戦ったものにしかわからない。」
「そうね、私は見ていただけだから」と英子。「でもあなた、すごかったわよ。」
「違うんだ。朱良さんは別格としても、仁美さんや順子さんにも、とても及ばない。蓮と蘭は生意気だけど、底知れない強さで、私なんて足元にも及ばない」と麻里。
「風見先生が言っていたとおり、あの人たちは化け物なのよ。こんないい方しちゃいけないのだろうけど、他に言いようがないわ。正直、私たちとは住む世界が違う、別の世界の生き物なのよ。私は離れてみていたからわかる。弘樹の動きは人じゃなかったわ。あなた、気付いてた?あの子、まるで宙に浮いていたのよ。錯覚で体が大きく見えていたんじゃないのよ。あなたは弘樹の手元を見るので精いっぱいだったかもしれないけど」と英子。
麻里は「そんな……」と絶句した。「英子、他に気が付いたことはないのか!」
「弘樹が広場に出たとき、鳥が騒いだでしょ。あのとき、弘樹の背中からぞっとするような気配が広がっていった気がする。さっきも言ったけど、足さばきが見えなかった。姿勢を変えなかった。まるで地面を滑るように瞬間移動した。手をしならせるとき、バンっていう音とともに手元が光るように見えた」と英子。
「あんたにもっと早く聞くべきだったわ」と麻里。
「そんな中であなたはよく戦ったわ。私、足がすくんで震えて木の幹にしがみついていたのよ」と英子。「だからあの人たちと比べてあなたは気に病まなくていいのよ。あなたは十分強いわ。」
「いいや、そうじゃないんだ。あたしは格闘家だ。あたしは強くなりたい。化け物になってでも。いいや、あたしは化け物になるわ。弘樹のような化け物になりたいのよ!」と麻里は叫んだ。
しばらく沈黙が続いてから「なあ、あたしはどう弘樹に接したらいいんだろう」と麻里は英子に言った。