珍しく絵里の部屋に友達が来ていた。
「弘美、元気出して」と絵里は声を掛けた。
「うん」と弘美。
「弘美ちゃんなら大丈夫だよ」と絵里。
「またお母さんに怒られちゃう」と弘美。
「私も応援に行くから」と絵里。
「明子が知り合いを連れてくるらしいの。有名な人らしいわ。ますます私が見劣りしてしまう」と弘美。
「大丈夫よ。私が一緒に行ってあげる」と絵里。
「わたし、もう帰りたくない。うちのパーティーが終わるまでここにいていいかしら」と弘美。
「そんなのだめだよ。そんなことをしたら、ますます帰りづらくなるよ」と絵里。
「もういいの。私、このまま家出するわ。ねえ、ここに泊めてよ」と弘美。
「そんなの無理だよ。うちの親、厳しいから」と絵里。
「じゃあ、頼まないわ。絵里、これでお別れね。私、どこかに行くわ」と弘美。
「分かったわ、ちょっと待って。考えるから」と絵里。「弘美、ピアノが上手な人を一緒に連れて行けばいいのよね?」
「ええまあ。パーティーでお客さんたちに見劣りしないような演奏ができればいいわ」と弘美。
「私、心当たりがあるわ。ちょっと一緒に来て」と絵里。
「ここよ」と絵里。
「隣の部屋って、お家の人?」と弘美。
絵里がトントンとドアを叩くと、はいと返事があってドアが開いた。神経質そうな中学生らしき男子が顔を出した。驚いた様子だった。「絵里ちゃん、どうしたの?」
「兄さん、お願いがあるのだけど。中に入れてもらっていい?」と絵里。
「いいよ。どうぞ」と男子。
「この子、私の友達の弘美。この人、私の兄の弘樹兄さん」と絵里が紹介した。
「お願いがあるの。聞いてもらえない?」と絵里。
「うん、絵里ちゃんの願いなら何でも聞くよ」と弘樹。
「本当!」と絵里はわざとらしく喜んだ。「じゃあ約束して、お願いを聞いてくれるって。」
「どんな内容なの?」と弘樹。
「約束して。でないともう口きかないから」と絵里。
「わかったよ」と弘樹。
「ピアノ?」と話を聞いた弘樹が言った。
「弾けるんでしょ?」と絵里。
「うん、まあ」と弘樹。「いつ弾くの?」
「これから一緒に来てほしいの」と絵里。
「今から?」と弘樹。
「だめ?」と絵里。
「いいけど」と弘樹。
「じゃあすぐに着替えて。ちゃんとした服に着替えて」と絵里。
「服なんて持ってないよ」と弘樹。
「じゃあ制服でもいいからすぐに着替えて」と絵里。
「わかったよ」と弘樹。
「玄関で待ってるから、すぐに来てよ」と絵里。
「絵里にお兄さんがいたんだ」と弘美。
「うん。父の連れ子なんだ。でも他の人には言わないで」と絵里。
「ピアノ弾けるの?この家にはピアノがなさそうだけど」と弘美。
「実母がピアニストって聞いてるわ。だから弾けるって」と絵里。
「無理に頼んで大丈夫なの?」と弘美。
「あのね、弘美。あの兄には強く言わないとだめなの。優しくて親切だけど、気が弱いから、きつく言わないと何もしないの。目を離すとすぐ逃げてしまうから、ちゃんと見張ってるのよ」と絵里。「それから兄には常に強気で話すの。それでも聞いてくれなかったら、嘘泣きするのよ。大事なことだから、覚えておいて。」
制服に着替えた弘樹が階段を下りてきた。「どこまで行くの?」
「弘美のお家よ。ここから歩いて十五分ぐらいのところよ」と絵里。