「弘美、この頃、明るくなったね」と早苗。「何かあったの?」とドラムを準備しながら言った。
「ピアノが上達して、家を追い出されなくて済みそうなの」とキーボードの前で弘美が言った。
「よかった。家出するって言い出した時はどうしようかと思ったわ」とベースの亜希。
「え、亜希ちゃんにも言ってたの?」と絵里。
「うん。家で住み込みでバイトさせてくれって。うちの親が弘美の母親に電話しそうになってあきらめたけど」と早苗。
亜希は絵里と弘美の同級生で、早苗は亜希の姉。四人はバンドを組んでいて、早苗と亜希の家でときどき練習をしている。
「ピアノをやめたかったの。バンドの方がずっと楽しいから。でもいい先生が見つかったの。だから、もう少しピアノも続けるわ」と弘美。
「へー、よかった。これでバンドも続けられるね」と早苗。
「来月の秋フェスのライブ、どうする?」と赤いギターを抱えた絵里が言った。
「お父さんが一緒に来てくれるって言ってた。だから出ようよ」と亜希。
「そうだね。出たいね」と絵里。
「だけど、会場や楽屋に変な人が多いから、私、少し怖いわ」と弘美。
「弘美はかわいいからな。でも父さんが付きそうから大丈夫だよ」と早苗。
「だけど楽屋や舞台袖までは来てくれないでしょ。この間、変なお客さんが舞台に上がってきそうで怖かったの」と弘美。
「じゃあ、やめとく?学校の文化祭でも演奏するし」と亜希。
「ライブは盛り上がるから好きよ。それにスカウトされるかもしれないんだよ」と絵里。
「そうだね、今度の秋フェスに出ようよ」と早苗。「舞台では私が守ってあげるから。」
「うん」と弘美。
「男子も入れたらどう?」と亜希。
「嫌よ。男子なんか。私達、かわいい女子の四人組っていうのが売りなのよ」と絵里。
「そうよね」と早苗。
「やっぱりわたし、やめておくわ。わたしなしで出て。あなたたち三人でもすごいバンドだから」と弘美。
「そんなのだめだよ。弘美がいなきゃ、私たちのバンドじゃないわ」と絵里。
「そうよね。それに弘美ちゃん目当てで来てる人も多いみたいだし」と早苗。
「いや!私目当てって、気持ち悪い。私、絶対に行かないから」と弘美。
「私、もう帰る」と言って、弘美が片づけを始めた。
三人が慌てて弘美の周りに集まった。
「弘美、ちょっと待って、いい考えがあるわ。弘樹兄さんをバンドに入れるのよ」と、絵里。
「弘樹兄さんって?」と早苗。
「私の兄で、今、弘美にピアノを教えているの」と絵里。
「でもキーボードは弘美よ」と亜希。
「ギターを覚えてもらうわ」と絵里。
「わたし、ギターなんて弾けない!」と弘美。
「違うわよ、弘樹兄さんにやらせるのよ」と絵里。
「男子が入っちゃだめだって、さっき絵里が言ってたけどいいの?」と早苗。
「兄は目立たない端に立たせて、弾いてる振りをさせておけばいいのよ。弘美ちゃんのボディーガード役なんだから」と絵里。「それならいいでしょ、弘美。」
「いい考えだけど、お兄さんに悪いわ。ピアノだって無理に頼んで教えてもらってるのに、その上バンドでギターだなんて。それにボディーガードなんてお兄さんには無理よ」と弘美。
「大丈夫よ。弘樹兄さんは子供のときから格闘技を仕込まれてるそうだから」と絵里。
「そうなの?」と弘美。
「それに、弘樹兄さん、中学卒業したら引っ越すって言ってたよ。実の姉と妹と暮らすんだって。今のままだと、春には会えなくなっちゃうよ」と絵里。
弘美はひっと声を上げた。「そんなの嫌よ!私、どうすればいいのよ!」
「バンドに入ってもらえば、きっと春からも兄さんに会えるよ」と絵里。
「そうかしら」と弘美。
早苗と亜希はそういうことかと納得した。