金曜日の夕方、絵里と弘美、早苗、亜希は最寄り駅の改札で、弘樹を待ち伏せしていた。
弘樹の引っ越しの準備が進んでいると聞いて、弘美はいてもたってもいられなくなった。弘美が弘樹に告白すると言い出して、絵里と早苗と亜希が付き添ってきたのだ。
バンドは思いのほか、うまくいっていた。弘樹は、さすがに一週間では無理だったが、一か月ほどでそこそこにギターの演奏ができるようになった。おかげで、オニユリは仲良く活動を続けている。
だが、引っ越した後も、弘樹がピアノのレッスンとバンドの活動を続けてくれるかどうかは分からなかった。絵里が弘樹を説得するから大丈夫と言ったが、弘美はどうしても弘樹の気持ちを確かめたいと言って聞かなかった。
「私、手紙を書いてきたの」と弘美。
「ロマンチックだねえ」と早苗。
制服を着た弘樹が改札から出てきた。
弘美が駆け寄って、弘樹に話しかけた。「お兄さん、話があります。」
「何かあったの?」と弘樹。
弘美は弘樹に向き合うやいなや「弘樹お兄さん、私、お兄さんのことが好きです。私をお嫁さんにしてください!」と言い切った。
弘樹は固まったように動かなかった。
「私、手紙を書いてきたんです。受け取ってください!」とさらに付け加えて、まっすぐに差し出した。
弘樹はどうしていいか分からず、立ち尽くしていた。周りの通りすがりの人が横目で二人を遠巻きに見ていた。
弘美が泣き崩れて、弘樹が弘美に声を掛けようとして前にかがんだ。
その瞬間、走り寄ってきた女性が「弘樹、何、女の子泣かしてるのよ!」という声とともに、弘樹に張り手をした。
ぱーんという音がして、弘樹が床に倒れた。
驚いた弘美ががばっと起き上がると、弘樹の上に覆いかぶさった。「何するんですか!」と弘美は弘樹をひっぱたいた女の顔を睨みつけた。
絵里たちが駆けつけて弘美を取り囲んだ。
「あら、絵里ちゃん」と朱良。
「え、朱良さん」と弘美。
朱良は弘樹と子供たちを近くのファミリーレストランに誘った。
「姉さん、いきなり何するんだよ」と弘樹。
「あなたが女の子を泣かしたりするからよ」と朱良。
「いきなり殴らなくてもいいだろ」と弘樹。
「私は女を泣かせる男が、世界で一番嫌いなの。次に嫌いなのが、言い訳をする男よ。それで、何を言いたいわけ?」と朱良。
「何でもないよ」と弘樹。
朱良を見ていた早苗は、強気に出るとはこういうことかと感心した。
「絵里ちゃん、お友達を紹介してくれないかしら」と朱良。
「はい。早苗ちゃんと亜希ちゃんと弘美ちゃんです。一緒にバンドを組んでるんです。こちらは、弘樹兄さんのお姉さんの朱良さんです」と絵里。
「随分他人行儀だわ。私はあなたの異母姉妹なのよ。私のこともお姉さんと呼んでほしいわね」と朱良。「それで、弘樹と何のトラブルだったの?」
「トラブルじゃないよ。姉さん」と弘樹。
「私が弘樹お兄さんに告白したんです」と弘美。
「告白って、何を?」と朱良。
「お嫁さんにしてくださいって」と弘美。
「それで、弘樹はなんて返事したの?」と弘樹を睨みつけた。
「どうしていいかわからなくて固まってたんだ。どうすればいいんだよ」と弘樹。
「決まってるじゃない。結婚してあげなさい」と朱良。
「まだ小学生だよ。弘美ちゃんは」と弘樹。
「だから何。女が冗談でこんなことすると思うの?」と朱良。
それから朱良は弘美に向かって言った。「でも、弘美ちゃん、弘樹とどこで知り合ったの?」
「絵里ちゃんの紹介で、弘樹お兄さんにピアノを教えてもらっているのです。でも中学を卒業したら引っ越してしまうと聞いて、もう会えないのかと思ったら、今しかないと思って」と弘美。
「そうだったの。でも引っ越すと言ってもそう遠くないから、うちに習いに来たらいいわよ。下宿先にはピアノを置かないけど、近所の母の家にピアノがあるから使わせてくれるはずよ」と朱良。
「本当ですか?」と弘美が涙ぐんだ。「よかった。」
「ところで、あなたたち、バンド組んでるって言ってたけど、本当なの?」と朱良。
「ええ。私はギターで、弘美がキーボード、早苗がドラム、亜希がベース兼ヴォーカルです。それから、弘樹兄さんはギターです」と絵里。
朱良は驚いた顔をした。「弘樹がギター?」
「ええ、お兄さんはわざわざ私たちのためにギターを覚えてくれたんです」と弘美。
「あははは!それ本当!超受けるわ!写真撮るからみんな集まって。そうそう」と朱良。「これでよし。英子とマリにも写真送っとくから。これ、爆笑ものだわ。あははは。弘樹が小学生の女の子たちとバンドだって。」
「何するんだよ、姉さん。英子さんや麻里姉さんは関係ないだろ」と弘樹。
「そんなことないだろ。麻里にとっては義弟の結婚相手だし、英子にはライバルだろ。英子になんて説明するんだ、弘樹」と朱良。
「英子さんって誰ですか?」と弘美が真剣な顔で朱良に聞いた。
「クラブの先輩だよ。世話焼きなお姉さんかな。弘樹は甘えん坊だから」と朱良。
「それより、あんたたちがコンサートするときは教えて、見に行くから」と朱良が言った。
「ところで、明日、弘樹と母親に会いに行くのよ。弘美ちゃんも一緒に来る?」と朱良。
「いいんですか?」と弘美。
「ええ、いいわよ。母は神経質だけど、弘樹さえ連れて行けば機嫌がいいのよ」と朱良。