朱良は弘樹と弘美を連れて家に向かっていた。弘樹が母親のナナに会うのは三年ぶりだった。
「家には、母親以外に義理の父親と義理の兄、それから去年生まれた赤ん坊がいるわ。義理の兄はロリコンだから、弘美ちゃんは気をつけてね」と道を歩きながら朱良が言った。
家の前で朱良が「ここだよ」と言った。
弘美は「田中」の表札を見て、まさかと思った。
朱良がドアを開けて、「ただいま」と言いながら家に入った。
「おかえり」という声が家の奥からした。朱良と弘樹と弘美は家に上がった。
リビングルームに入ると、赤ん坊を抱いたナナがいた。
「待ってたわ」とナナが言った。
「弘樹、久しぶりね。この子、あなたの妹のリリよ」と弘樹に抱かせた。「その子は誰」とナナは弘美を見て言った。
「川島弘美といいます。弘樹お兄さんにピアノを習っています」と弘美。
「弘樹が引っ越してからも習いたいと言ってるの。それで、この家のピアノを使わせてもらえないか頼みに来たのよ」と朱良。
「あら、そうだったの」とナナ。
夫の敏夫が入ってきた。「こんにちは。君が弘樹君か。はじめまして」と挨拶をした。「あれ、君は川島さんの所の御嬢さんじゃないか。どうしたんだい?」
弘美も驚いた顔をしている。「ナナ、同級生の川島淑子さんを覚えてるかい。頑張り屋の」と敏夫。
「ああ、そういえばいたわね」と生真面目なクラスメートの顔を思い出した。
「お母さんはどうしてるの?」とナナは弘美に聞いた。
「ピアノを教えています。母のお知り合いと知りませんでした。母は風見ナナの名前を知らないと言っていましたので」と弘美。
「ええ、風見は前夫の苗字だから。ピアノを弾くときの名前は、宮崎ナナよ」とナナ。
弘美はびっくりした顔をした。宮崎ナナは弘美も知っているピアニストの名前だった。何年か前にスキャンダルを起こした末に、プロレスラーと駆け落ちしてたと聞いている。
「母は弘樹兄さんをピアニストにしたいと言って、お母さんに連絡を取りたがっています」と弘美。
「そう。気が向いたら連絡するわ」とナナ。
敏夫が、「おーい、敬一、ちょっと来なさい」と廊下に顔を出して息子を呼んだ。
弘美は身構えて、弘樹の腕をつかんだ。
「お母さんの息子さんが訪ねてきたんだ。挨拶をしなさい」と敏夫。
敬一がつまらなさそうに顔を出した。「うっ」と言い、顔をしかめた。「おまえ、ここに何しに来た!それに弘美を連れて何してるんだ!」と甲高い声を上げた。
「弘樹君を知っているのかい?」と敏夫。
「弘美さんのお宅のパーティでお会いしました」と弘樹。
「弘美を返せ」と敬一。
「弘美ちゃんはぼくのものではないし、君のものでもない」と弘樹。弘美は両手で弘樹の腕を握りしめていた。