気候のよい十月の日曜日だった。地域の商店街主催の音楽イベントに絵里たちのバンドグループ「オニユリ」は参加した。河川敷の公園に簡易の屋外ステージをしつらえてあった。弘美が作曲し、絵里と早苗が作詞した曲を演奏した。
朱良、麻里、英子はパイプ椅子の観客席にいた。思っていた以上の音楽の出来栄えと客席の盛り上がりを見て、少し驚いていた。プロを目指すという言葉は彼女らにとって偽りのないものだと思えてくる。わざわざ彼女たちを見に来るファンががいた。とくに弘美はその美少女ぶりが際立っているせいだろう、彼女への声援が大きかった。弘美に近い位置でギターを弾いている弘樹は不思議と存在感が薄く、まるでいないかのようにメンバーに溶け込んでいた。
演奏の後、楽屋代わりの公民館に向かって、メンバーの絵里たちは同級生の友達やファンらしき何人かの男たちと歩いていた。朱良たちも遠巻きに付いてそぞろ歩きを楽しんでいた。
大通りの歩道で何人かの男たちが立っていた。絵里たちに名刺を差し出して、「プロのミュージシャンにならないか?」と声をかけた。
四人の少女たちは驚いて目を見合わせた。弘樹だけは別の男に腕をつかまれて、少女たちから引き離された。
おもむろに路肩に停まっていた黒いワンボックスカーのスライドドアが開いて、中にいた男が弘美一人を車の中に引き込んで、車はバタンとドアを閉めると急発進した。名刺を差し出した男たちは通りの人ごみに消えて行った。
弘樹は靴を脱いでいると、「だめよ!」と朱良が後ろから声を掛けた。「ここで技を使っちゃだめ。」
弘樹が鋭い視線を朱良に向けた。
「麻里がバイクで来ているのよ。すぐに後を追えるわ」と朱良。
「もう見失うよ」と弘樹。
「車で繁華街を抜けるのは時間がかかるはずよ。バイクで先回りすれば捕まえられるわ」と朱良。
赤いバイクが近づいてきた。「麻里が来たわよ」と朱良。
弘樹は麻里の後ろにすばやく乗った。
弘美をさらった黒いミニバンに追いついた。しかしバイクで追うことはできても、車を止めることはできない。市街地を抜け、県外に続く国道で車を追い続けた。車は国道から分岐した山道に入った。
しだいに車通りが少なくなってきた。誘拐犯たちはバイクに追われていることに気付いているはずだ。具合が悪いことに、日が暮れてきた。
車はスピードを上げ始めた。麻里のバイクをまこうとしているのだろう。麻里はライディングに自信があったが、知らない峠道での車との競争は分が悪い。ぶつけられたら怪我では済まないだろう。
「姉さん、どこかで前に出られる?」と弘樹の声がした。
「やってみるわ」と麻里。
下り坂で一気にバイクを加速してカーブの内側から抜いた。その先はちょっとした直線だった。麻里の背中にしがみついていた弘樹が、麻里の肩に手を掛けた。立ち上がったようだと思った瞬間、弘樹の気配が消えた。ミラーに、宙に舞う弘樹のシルエットが映った。
弘樹は体をねじりながら車に向かって飛びつつ、真空切りで車のルーフを左から右にスパリと切って跳ねとばした。ボンネットに着地するや二歩めで後部座席の弘美を抱きかかえ、そのまま車の後ろに飛び去った。車は歩道にバンと乗り上げた後、ガツンと路肩の石垣に衝突した。幸い歩行者はいなかった。
Uターンをして麻里のバイクが弘美を抱えた弘樹の側に戻ってきて止まった。弘樹は弘美を麻里の後ろに乗せ、さらにその後ろにまたがった。麻里はバイクを発進させた。
麻里は、泣いている弘美に弘樹が「遅くなってごめんね」と何度も謝っているのを背中ごしに聞いていた。弘樹のまるで凶器のような身体能力よりも、謙虚さとも自信のなさとも違う理由のわからない弱気さに、麻里は気味が悪いと感じた。