放課後の空気は、なんだか甘ったるい匂いがした。
校門の前で風に揺れるポニーテールが、俺の視界をかすめる。
「……よーし、今日も観測! だねっ!」
俺の腕に自然な流れでしがみついてきたのは、俺の幼なじみ、南ことり。小柄な体にパーカーとショートパンツというラフな格好。それでも妙に可愛いのは、彼女の無自覚な天性か、それとも計算なのか……。
身長145cm、セミロングのサラサラ髪、常に明るい笑顔で周囲を癒すマスコット系ヒロイン。
……ただし今、その笑顔の奥に、なにか黒いものを感じているのは俺だけか?
「観測って、お前は観測対象じゃなくてただの部員だろ」
「ぶー。私は部員じゃなくて“特別観測対象候補”だよ? いつでもヒロインに昇格可能なの!」
「そんな肩書き初耳だわ」
肩をすくめて歩き出すと、ことりは小走りで並んできた。
子どもの頃からずっと一緒だった。隣にいるのが当たり前だった。
でも最近、どうもことりの視線が前より熱を帯びている気がする。
「今日もまた、生徒会長と二人で部室こもってた?」
「……たまたま時間が被っただけだよ。別に二人きりってわけじゃ——」
「ふーん……」
ことりが小さくつぶやいた。笑顔のまま、だけどどこか棘がある。
俺はそのニュアンスを聞き逃さなかった。
「なに、それ。もしかして、怒ってる?」
「べっつに? ……ただちょっと、最近さ。悠真って、私のこと“ただの幼なじみ”にしか見てないのかなーって思ってただけ」
ぴた、と足を止めた。ことりも同時に立ち止まる。
夕焼けに照らされたその横顔は、いつもより大人びて見えた。
「昔はさ、ずっと“ことりちゃんのお嫁さんになるー!”って言ってくれてたのにね?」
「う、それは……! お、お前も“ゆーくんと結婚するー”って言ってただろ!」
「うん。でも、私はまだそのつもりだけど?」
……一瞬、息が止まった。
茶化しているようで、彼女の瞳は真剣だった。
「ほら、悠真って、最近他の子とばっか絡んでるし。
ギャルのルナちゃんとか、生徒会長の紅ちゃんとか……。
私、ずっと悠真の隣にいたのに……そろそろ、ちゃんと見てよ。
“妹ポジション”だけじゃ、足りないんだよ」
ことりの声は震えていた。
小さな手が、そっと俺の袖をつかむ。
そのとき、心臓がどくんと跳ねた。
ああ、こいつ、ずっとこう思ってたんだ。
俺はいつも「一番近くにいるやつ」だと安心して、ことりの気持ちから目をそらしてた。
「……ごめん。ことりの気持ち、ちゃんと考えてなかった」
素直にそう言うと、彼女は少しだけ微笑んだ。
「じゃあさ、今度の“恋愛観測”……私のこと、対象にして?」
「……ああ。もちろん」
ことりが小さくガッツポーズする。
「えへへ。じゃあ、明日から観測記録つけてもらうね! 一分一秒逃さず私を見ててよ、部長さん♪」
「はいはい、わかりましたお姫様」
「うむっ、よろしい」
そのまま並んで歩きながら、夕焼けの影が二人分、長く伸びていった。
隣にいる幼なじみは、ただの“家族”じゃなかった。
気づかないふりをしてた感情が、ようやく胸の奥で動き始める。
(——けど、他のヒロインたちも黙ってないんだろうな……)
俺はふと、今日も一通届いていた“匿名の恋愛観測レポート”を思い出した。
差出人不明、でもやたら文体が堅くて……もしかして、あの生徒会長……?
恋愛観測部。
それは、俺にとっても他人事じゃない——そう思い始めた夕暮れだった。