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第5話「完璧少女、修羅場る」

 放課後の廊下は、いつもより静かだった。

 生徒たちは帰宅ラッシュの波に飲まれて、校舎は静寂と夕陽に包まれていた。


 けれど、俺の背中には……なぜか、視線を感じる。


(気のせいか?)


 そう思いながら振り返っても、誰もいない。

 だが数分後——


「……なぜ尾行しているんですか、神崎さん?」


 角を曲がった先に、神崎紅がいた。

 窓辺に立ち、こちらを見ていた。いや、明らかに俺を見張っていた。


「べ、別に尾行などしていませんけど?」


「いや、してたよね? 今日の昼も中庭で会って、さっきの購買前でもすれ違って……これで偶然はちょっと無理があるって」


「……む、無害な情報収集です。監視ではありません」


「怖いからね!? その言い回し!」


 紅は生徒会長らしく冷静を装っているが、顔は若干赤い。

 その手には、開きかけたメモ帳が見えた。


「それ……俺の行動記録つけてないよね?」


「……つけていません」


「間(ま)があった! 今一瞬あったよね!?」


 紅は目を伏せ、軽く唇を噛むような仕草をする。

 そして——


「昨日、姫野ことりと……楽しそうに話していたので」


「それはまあ……ことりが“観測対象”だったからね?」


「観測対象……ええ、そうですね。でも、どうして私はまだ“観測”されないんでしょうか」


「……え?」


「私は“完璧”すぎて、観測するまでもないという判断ですか?」


「いや、そういうわけじゃなくて……」


「……“恋心”の観測なら、私にもあるかもしれないのに」


 その一言は、まるで爆弾のように静かに投げ込まれた。


 紅は、すっと目を逸らした。

 その横顔は、ほんのわずかに揺れていた。


「成瀬くんは、私のこと……“完璧”だと思っているんでしょう?」


「まあ……実際そうだし。頭もいいし、仕事も完璧だし、誰からも信頼されてるし」


「それが、苦しい時もあるんです。

 “できる人”であることを期待されるたびに、失敗できなくて、間違えられなくて……“感情”を出す余地もない。

 でも、あなたといると……なぜか、素の自分を許されている気がしてしまう」


「……紅さん」


「……観測してください。

 “完璧少女”が、今どんな気持ちを抱いているかを」


 その瞳は真っすぐで、隠していた感情がこぼれ落ちそうなほど、脆くて。

 さっきまでの尾行モード(?)とは別人みたいだった。


 俺は、ふと手を伸ばし、紅の持っていたメモ帳をそっと閉じる。


「……観測するよ。

 でも、俺もまだ答えを出せるわけじゃない。

 “好き”って感情は、観測だけじゃわからないこともあると思うから」


「……ずるいですね、あなたは」


 紅は目を伏せ、静かにため息をつく。

 だが、その頬がわずかに染まっていたのを、俺は見逃さなかった。


その夜・神崎紅side


 ベッドに倒れ込み、制服のまま、枕に顔を押し付ける。


「……あああああああ!! 何してるの私っ!」


 紅は生徒会長である。

 常に冷静、沈着、公平無私。


 なのに——今日は、あからさまにおかしかった。


 そもそも尾行とか、正気の沙汰じゃない。

 けど、見てしまったのだ。

 昨日の放課後、悠真とことりが親しげに話す姿を。

 ことりが、ほんの少し上目遣いで「好きになっちゃダメなの?」と問いかけた瞬間を——


「私には、あんなふうに甘えられない……。

 でも、私も……成瀬くんのこと、ちゃんと好きになってしまったら、どうしたらいいの?」


 紅の胸の奥が、じわりと熱を帯びる。

 それは恋なのか、焦りなのか。

 あるいは、“完璧”という仮面の下から生まれた、初めての感情なのか。


「負けたくない……けど、こんな感情、どう表せばいいの……?」



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