今日は、やけに部室が静かだった。
「……ルナ、来てないな」
いつもなら、「先輩っ、今日の観測はアタシっしょ!?」と笑顔とハイテンションで飛び込んでくるギャル枠・金森ルナが来ていない。
「……風邪? まさか、観測されるのがイヤになったとか……」
いや、でも昨日のことを思い出すと――たしかに、ちょっとギクシャクしたかもしれない。
その原因は、言うまでもなく“幼なじみの告白未遂”から始まったあの空気感。
「……なんか、いろいろややこしくなってきたな」
俺は、観測部のノートを閉じ、ふと図書室を思い出した。
昼休みに寄ったとき、あの子がいたから。
放課後・図書室
静寂の支配するその空間で、彼女は本の海に沈んでいた。
窓際の席、少しだけ風の通る場所に座っているのは、
清楚な黒髪を肩にかけ、ページをめくる指先がやけに白い女の子――
白石
「……先輩、どうしたんですか? こんな静かな場所に」
顔を上げた涼は、微笑んだ。
まるで、最初からここに来ることを読んでいたように。
「いや、なんとなく。ちょっと考え事がしたくて」
「観測部のことで?」
「……見てたの?」
「ええ、いつも見てますから。先輩のこと」
その微笑みは、控えめなようでいて、どこか計算されている。
俺は軽く咳払いをして誤魔化す。
「……それにしても、白石ってさ。本好きだよな」
「本は嘘をつきませんから」
「え?」
「登場人物は、いつもまっすぐに愛して、まっすぐに傷ついて、まっすぐに失敗するんです。
それって、人間にはなかなかできないことでしょう?」
その声色は穏やかなのに、言葉の芯が妙に鋭い。
「……成瀬先輩。私のこと、“普通の女の子”だと思ってたなら――」
彼女の視線が、まっすぐ俺の目を射抜く。
「それ、間違いですよ?」
……ああ。
この子、やっぱり“何か”を知ってる。
たぶん俺の、“隠された体質”に。
普段はノイズのように曖昧で、意識しなければ気づかない。
けれど、想いが強ければ強いほど、言葉で語られない“本音”が聞こえてしまう。
成瀬悠真の「体質」――それは、“恋愛感情”を浴びると、相手の本音が微かに流れ込んでくる特殊な共感覚。
成瀬は軽度の「チョイ能力」を持っていた。
「……昨日、姫野さんと話してるとき、すごく困った顔してましたね」
「見てたのか……」
「“観測”って、面白いですよね。
恋心って、表面だけじゃ見えない。でも、先輩は……」
――“感じ取ってしまう”。
その続きを、彼女は口にしなかった。でも、たしかに悟っているようだった。
「私、気づいてるんですよ。
あなたが“誰よりも恋に臆病で、でも誰よりも恋に近い場所にいる”ことに」
「……そんな風に言われると、何も言えなくなるな」
「ふふ、文学少女の特権です」
彼女は立ち上がり、俺のすぐそばに立った。
「ねえ、先輩。私のこと、もっと観測してもらえませんか?」
「……白石?」
「だって、先輩の“特殊な感覚”でなら、私の“本当の気持ち”にも気づけるかもしれないから」
その瞳は、静かな湖のようだった。
けれど、その奥には、計算された毒と、何かを試すような光が宿っていた。
「私は、まだ“普通”の仮面をかぶってるけど……それを剥がしてくれるなら、先輩だけですよ?」
部室前・その夜
(ルナからの未読メッセージ:「今日、部活行かなくてごめん」)
(ことり「ルナちゃん、どうしたんだろ……」)
(紅「金森さんに何かあったのかも。私が様子を見ましょうか」)
……みんな、少しずつ変わり始めてる。
恋の観測は、感情を揺らす。
そして、心を暴く。
だが今、一番気になるのは――
「……白石。お前、どこまで知ってるんだ?」
静かに笑う文学少女の瞳が、なぜか一番、怖かった。