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第8話「紅、熱を持つ。」

「紅、今日ちょっと熱っぽくないか?」


 昼休み。購買のパンを頬張る俺の目の前で、紅は何度も額に手を当てていた。

 頬はほんのり赤く、目線もなんだか宙を漂っている。


「う、うん……だ、大丈夫。風邪とかじゃないし」


 それ、風邪のセリフなんだけど――とツッコもうとした俺の言葉を、紅は慌てて遮った。


「ほ、ほんとに大丈夫なの! ちょっと、体温が……高いだけ、だから!」


「体温が高いのは“熱”って言うんだよ、普通」


「ち、違うのっ、これは……えっと……心拍の異常っていうか、酸素の過剰摂取というか、たぶん……そう、動悸!」


 パニック気味に叫ぶ紅に、周囲のクラスメイトがちらりと視線を寄せる。

 俺は苦笑しながら、ペットボトルのお茶を差し出した。


「深呼吸でもして落ち着け。あと、無理すんな。ちょっと保健室行く?」


 すると――紅の目が一瞬、潤んだように見えた。


「……優しすぎるのも、反則だよ。悠真くん……」


「え?」


「……な、なんでもないっ!」


 そう叫んで席を立ち、逃げるように教室を出ていった紅。

 その後ろ姿を見ながら、俺は思った。


(あいつ、やっぱりなんか変だ)


放課後 観測部


 部室に入ると、そこには珍しく澪の姿があった。

 黒羽 澪――無口で、感情表現に乏しい天才少女。

 理系分野では大学教授さえ一目置くほどの頭脳を持ち、なぜか観測部に毎日いる。


「悠真、きみの脈拍、今日は平均より8.2%上昇している。興味深いね」


「……どうして知ってんだよ、俺の脈拍」


「観測。あと、座るときの体重移動のバランスも違う。つまり――恋の兆候」


「断言すんな! というか、俺じゃなくて紅の様子、おかしかっただろ?」


 俺がそう言うと、澪は静かに瞬きした。


「……彼女は、君に“感情バグ”を起こしている。これは非常に珍しい反応。

 ゆえに――わたし、きみを解析してみたい。…わたしの、特別な分野で」


「なんだよその怖いセリフ」


 そんな俺のツッコミをスルーして、澪は懐から取り出した小型センサーを俺の額にペタリと貼りつけた。


「まずは脳波スキャン。恋愛に関わるα波とβ波の動きを同時に記録する……!」


「やめろってば!」


その日の夜 紅の視点


 紅はベッドに寝転がりながら、スマホの画面を見つめていた。

 そこには、今日の昼間、悠真と話したときの録音――こっそりと取っていたものが再生されていた。


(……優しすぎるのも、反則だよ。悠真くん……)


「うううぅ……わたし、なに言ってるのぉ~~~!」


 枕に顔を埋めて転がり回る。


 ――胸が苦しい。

 顔が火照る。

 頭の中が、悠真のことでいっぱいになる。


(もしかして、わたし……恋……?)


 認めた瞬間、心がバチンと跳ねた。

 今まで観測していた“対象”が、観測する対象じゃなくなっていく。

 それどころか、自分のほうが“観測されたい”と願ってしまう。


 ――あの子より、こっちを見てって。

 ――笑ってほしいのは、わたしに向けて。


「うわぁぁああああっ、バカバカバカっ!」


 もはや恋する乙女そのものだった。


翌日 学校前


 次の日、校門の前で紅が待ち伏せしていた。


「……おはよ、悠真くん!」


「うわ、どうした。ずいぶん早いじゃん」


「えっと……今日、一緒に登校したいなーって。ダメ……?」


 ぎこちない笑顔。でもその目は、どこか真剣だった。


「別にダメじゃないけど、どうしたんだ、急に」


「観測だよ!」


「観測?」


「“朝の登校を共にすると、親密度が上昇する”って、恋愛ゲームの攻略本に書いてあったからっ!」


「お前、どんだけ影響受けてんだよ」


「うるさいな! だって……こういうの、はじめてなんだもん……」


 小さく呟くその声に、俺の胸がちょっとだけ、きゅっとなる。


(……やっぱり、あいつも変わってきてる)


 恋が人を変える。観測者だった少女が、観測されたいと願う少女へ。


 その変化を、俺ははっきりと“感じて”いた。


放課後 部室


 紅は、隣に座る澪をちらちらと見ていた。


 澪は今日も無表情で、悠真に謎のセンサーを貼っている。


「……ねえ、澪ちゃん。それ、ほんとに“研究”?」


「うん。彼は興味深い。“恋愛感情の非対称性”を示す最適なサンプル」


「……なんか、それ、嫌だな」


「嫌? どうして?」


「だって……悠真くんは、そういうのじゃないよ。……大切なんだから」


 言ってから、しまったと口を塞ぐ紅。


「……あっ」


 悠真も、澪も、驚いたように紅を見つめていた。


 次の瞬間、紅は立ち上がり、顔を真っ赤にして叫ぶ。


「ご、ごめんっ、トイレ行ってくるっ!」


 走り去る背中。

 部室には、ぽつりとつぶやく澪の声が残った。


「……面白い。これが“熱”か。観測、続けたいね」

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