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第11話「白石 涼、仕掛ける。」

放課後の観測部室は、まるで静かな戦場だった。


悠真は、椅子に深く腰掛けたまま、白石 涼と黒羽 澪――ふたりの少女を交互に見ることしかできなかった。


一人は冷静無口な天才少女。もう一人は清楚な文学系女子。

だが、どちらもその瞳の奥に確かな“情熱”を灯していた。


「……今日はこれで、帰る」


澪がそう言って立ち上がると、悠真は思わず「あっ」と声を漏らしてしまう。


「大丈夫。……“解析結果”は、得た」


「え、なんの?」


「わたしの心拍数、瞳孔の収縮、唇の乾き。……すべて“恋愛対象の前での生理的変化”に一致してる」


「いや、やっぱり科学的なんだな……」


「それがわたしのやり方。……また明日」


そう言って澪は、静かに扉を閉めた。


沈黙。


数秒後、残された白石 涼が、カタン、と手元の文庫本を机に置く。


「……さて、先輩。今の子、けっこうストレートだったわね。だけど」


涼は優雅な笑みを浮かべたまま、上目遣いで悠真を見つめる。


「私は、もっと“物語的”に攻めるわ。先輩の心を、じわじわと侵食していくの。まるで、サスペンス小説の犯人のように」


「いやいや、恋愛で“犯人”って表現するのやめてくれない?」


「ふふふ。冗談よ」


そう言って笑う涼の表情には、どこか本気が混じっていた。

彼女はもともと感情の起伏が読みにくいタイプだったが――今は明らかに“戦闘モード”に入っている。


「先輩、明日って、日曜ですよね」


「うん、そうだけど?」


「じゃあ、デートしましょう」


「……は?」


「おかしいかしら? 澪さんと進展する前に、先手を打っておきたいの。恋の勝負って、タイミングがすべてだから」


「いや、そうは言っても、急にだし……」


「……だめですか?」


上目遣い。小首をかしげる仕草。そしてほんのり潤んだ瞳。


この涼の“演出力”は、文学少女とは思えないほどの完成度だった。


「いや、断る理由もないけど……」


「決まりね。明日、午前十時。駅前の時計台で」


「……はい」


悠真は頷くしかなかった。これが罠だとわかっていても、彼女のペースに巻き込まれてしまう。


それが――白石 涼という女の子だった。


***


日曜、午前九時五十七分。

悠真は、待ち合わせ場所にほぼ定刻通りに着いていた。


そして、涼はすでにそこにいた。


清楚なブラウスに、淡いミントグリーンのスカート。肩までの黒髪が風になびくたびに、シャンとした香りがする。


「おはよう、先輩」


「お、おはよう……って、早いね」


「女の子を待たせるより、先に来てる方が好感度は上がるでしょ?」


「……ゲーム脳?」


「違います。文学脳。乙女小説のヒロインは、待ちぼうけが似合うけど……私は自分の物語を、自分で書き換えたいの」


少し意味深な台詞に、悠真は言葉を返せなかった。


「さ、行きましょう。今日は“文学的な一日”にするの」


***


最初に向かったのは、大型書店。

文庫本フェアが行われており、作家別に特集コーナーが組まれていた。


「ほら、これ。先輩にはこの作家さんの作品をぜひ読んでほしいの」


涼が手に取ったのは、純文学と恋愛が交錯する耽美な作品だった。

ページの間に挟まれているしおりには――


「愛は、嘘の上に成り立つ真実だ。」

そんなキャッチコピー。


「……なんか、怖くなってきたんだけど」


「ふふ、大丈夫。私があなたに嘘をつくときは、あなたのためだから」


「いや、それはそれでこわい!」


***


午後、二人は喫茶店に入り、ケーキと紅茶を頼んだ。


「ねえ、先輩。今日、一緒にいてどうだった?」


「うーん、楽しかったよ。なんか、すごい世界に連れてこられた感じだけど」


「……私、昔から人の感情がわかりにくくて。でも、物語の中ではわかるの。“この人は悲しい”、“この人は恋をしてる”。」


「小説が、感情の辞書みたいなものだったんだね」


「……だから、わかるの。今の私は、物語の中でも、現実の中でも――“あなたに恋してる女の子”なんだって」


そう言って微笑んだ涼の表情は、どこか切なくもあたたかい。


「……ありがとう。そう言ってもらえるの、嬉しいよ」


「でも、ここからが本番よ。私、ライバルが現れたからこそ、加速できるタイプだから」


「やっぱり、バトルものみたいな展開になるのか……」


「ええ、恋のバトルは、静かに、そして確実に相手を追い詰めるの」


悠真の心に、冷たい汗がにじんだ気がした。


この少女の“恋”は、甘さだけじゃない。


たぶん毒と棘を含んだ、美しい罠。


でも――それでも、惹かれてしまうのは、なぜだろうか。


***


帰り道、夕陽に照らされた駅前で、涼がふと立ち止まった。


「ねえ、先輩」


「ん?」


「次にあなたの心が動くとき、きっとそれは――私が傍にいる瞬間よ」


そして彼女は、微笑みながら去っていく。


その背中は、まるで物語のヒロインのように――完璧だった。


悠真は思った。


(この勝負、絶対に平和には終わらない)


彼の“観測”の日々は、ますます混沌としていく――。

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