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第14話「観測される恋、揺れる紅」

放課後の部室棟、夕陽が差し込む静かな空間――


「……誰も、まだ来てないんだ」


結城悠真は、少しだけ安心したように部室のドアを閉めた。

“恋愛観測部”。名前だけなら冗談のようだが、ここ数週間で、この場所は彼の感情の中心に座るようになっていた。


机の上に並ぶ、無数の恋愛アンケート用紙。

白石涼が分析を進め、澪が数値モデル化し、沙羅が心理フレームを提供している。


そして――


「観測って……何を“観測”してるんだろうな」


独りごちた瞬間、背後のドアが音もなく開いた。


「……気づいたの? 結城くん」


声がした。低く、でもどこか寂しげで、温度がある。


振り返ると、そこには――紅、鬼灯紅の姿があった。


「紅……今日、部活?」


「……違う。ただ……なんとなく、来たくなっただけ」


彼女のセミロングの赤髪が、夕陽に染まって揺れていた。


悠真は、席を立って紅の隣に立つ。


「最近、あんまり話せてなかったな。ごめん」


「別に……私が話しかけなかっただけ」


ぶっきらぼうに言いながらも、紅は少し頬を赤くしていた。


しばらく、沈黙。二人だけの空間。

だが、その静寂を破ったのは――意外な言葉だった。


「……悠真。私さ、“観測”って言葉、ずっと気になってたんだよね」


「え?」


「恋愛観測部って名前……ただのネタかと思ってた。でも、私、気づいちゃったの。――あれ、全部“意図的”だって」


紅の視線は、机に並ぶアンケート用紙の束に向かう。


「おかしいと思わない? 普通の部活で、ここまで恋愛に踏み込んだ“観測”なんてする?」


「それは……まあ、確かに変だけど……」


「――これ、誰かが“仕掛けてる”んだよ。恋の感情を、“測定”しようとしてる。私たちがどんな風に恋に落ちて、どう行動するかを」


悠真は息を飲んだ。


「まさか……それって」


「“恋愛感情の科学的再現”。きっと、これが部の裏テーマ」


紅の声は低いが、確信に満ちていた。


「しかも……それを始めたの、白石先輩だよ」


「涼が……?」


悠真の頭の中で、過去の涼の言動が走馬灯のように蘇る。

意味深な視線、冷静な言葉、そして――彼女が一度つぶやいた“観測対象”という言葉。


「白石先輩、言ってた。『あなたの“感情変化”を記録するのが楽しい』って。――観測ってそういうことだよ」


紅の指が、アンケートの一枚をなぞる。


「これは、ただの“好き”じゃない。“どうすれば恋が芽生えるか”“どうすれば独占欲が強まるか”。全部、データ取り。そうでしょ?」


悠真は声を失った。


(恋愛……って、こんな風に、研究されるものなのか?)


「でも、私……そんなの嫌だ」


紅の声が震える。


「悠真が誰かに“操作”されて、誰かを好きになるなんて――嫌。……そんなの、私、絶対に許せない」


紅が拳を握り締め、顔を伏せた。


「……私、ちゃんと自分の“気持ち”で、あんたを好きでいたかったのに」


その言葉が、悠真の胸を強く打った。


「紅……」


「私のこの気持ちまで、“観測”されてるって思ったら、ぞっとするよ。あんたが他の子と仲良くしてるのも、“データ”にされてるのかもって思うと……」


紅は、強がりな彼女には珍しく、声を震わせていた。


悠真は思わず、紅の肩に手を置いた。


「……ごめん。俺、鈍すぎた」


「ううん……私こそ、うるさく言いすぎた。……でも、お願い。悠真、もう“利用”されないで」


その時だった。


「――あら、なかなか鋭い考察ね。神崎さん」


聞き慣れた声が、部室のドア越しに響く。


振り返ると、そこには白石涼が立っていた。静かに微笑みながら。


「ねえ、悠真先輩。私、本当にあなたに好意を持っていたって、思ってますか?」


「涼……?」


「それとも、“観測対象”として、興味があっただけだと思いますか?」


淡々とした声。けれどその奥には、黒い渦のようなものが揺れていた。


「私の本音、知りたいですか? だったら……観測、続けましょう。もっと“深いデータ”が取れるように」


紅が悠真の腕をつかんだ。


「悠真……行こう。こんなところ、私たちの居場所じゃないよ」


悠真は、戸惑いながらも、紅と一緒に部室を出た。


背後で、涼の笑みが一瞬だけ、崩れたような気がした――

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