放課後の教室。窓際の席で悠真は一人、ノートを開いていた。
“恋愛観測部”という奇妙な部活動が終焉を迎えつつある今、彼の中で何かが静かに変わろうとしていた。
(白石が泣いた――あんなに冷静だった彼女が、感情をあらわにして)
(……俺は、ちゃんと向き合わなきゃいけない)
そんな思いを巡らせていた悠真の元に、柔らかな声が届く。
「悠真くん、まだ教室にいたんだ」
振り返ると、そこには朱紅のリボンを揺らした少女――天ヶ瀬沙羅が立っていた。
「沙羅? 珍しいな、もう帰ったと思ってた」
「ううん。……ちょっとだけ、待ってたの」
その声に、微かにふるえが混じっていた。
悠真は気づいた。沙羅が――いつもと違う。
「悠真くん、最近……白石さんと、仲良いよね」
「……ああ。まぁ、恋愛観測部で一緒に活動してたし」
沙羅の目が、細くなった。
「“活動”……だけ、じゃないよね?」
「……何が言いたいんだ?」
その問いに、沙羅は笑った。
笑顔――だけど、それはどこか貼りつけた仮面のようで。
「ごめんね、変なこと言って。でも……悠真くんって、昔からそうだよね。鈍感で、優しくて、誰にでも“同じ顔”をする」
「……そんなつもりは――」
「嘘つかないで」
その瞬間、教室の空気がピリついた。
「私……知ってるの。“恋愛観測部”って、ただの部活じゃないってこと」
「……」
「悠真くんが“観測される側”になった時点で、私の中で何かが壊れたの。あなたが、私だけを見ていないって、わかってしまったから」
沙羅が一歩近づく。机の上の悠真の手に、そっと自分の手を重ねた。
「私ね、悠真くん。昔から、あなただけを見てきたの。小学生の頃も、中学生の頃も、そして今も。ずっとずっと、あなたが好きだったのに……」
その瞳には、狂気とも呼べる熱が灯っていた。
「それなのに、どうして……他の子ばっかり見るの?」
「……沙羅、それは――」
「ことりちゃんの笑顔、白石さんの涙、澪ちゃんの沈黙、紅ちゃんの照れ顔、ルナちゃんとの笑い声……全部、見てたよ」
彼女の声が低く、冷たくなる。
「全部、私の中で観測してる。“あなたが誰を見てるか”を、ずっと、ずっと記録してる」
「……沙羅」
「私が怖い? 変だと思う? ……でもね、それでも私は、あなたを誰にも渡したくないの」
ふいに、沙羅が机越しに身を乗り出した。
その距離は、数センチ。
「悠真くん。ねぇ……好き、だよ。ずっと、ずっと、好き。あなたのすべてを私のものにしたいの」
その声には、計り知れない愛情と狂気が混在していた。
「お願い、ことりちゃんなんて見ないで。涼さんも、澪ちゃんも、紅ちゃんも、ルナちゃんも……私の邪魔をするなら、全部――」
「やめろ、沙羅!!」
悠真の怒号が、教室に響いた。
彼は立ち上がり、沙羅との距離を強引に離す。
「……それは、恋じゃない。独占欲だけだ」
沙羅の表情が、カラカラと崩れ落ちる。
「……そう、だよね。私、わかってたの。ずっと……間違ってるって」
ぽろりと、涙がこぼれた。
「でも、どうしても止められなかった。あなたが誰かに奪われるって思ったら、もう、冷静でなんかいられなかった……!」
悠真はしばらく黙っていたが、そっと言った。
「沙羅。お前の想いは……ちゃんと伝わったよ。怖かった。でも、それだけ真剣だったって、わかる」
沙羅は、涙を拭った。
「ごめんね。こんな私じゃ、もう“恋愛観測部”の仲間じゃいられないよね」
「……違う。お前は、ちゃんと“俺の大事な仲間”だ」
その言葉に、沙羅はわずかに口元をほころばせた。
「……それ、今は“観測”しておくね」
教室の外に沈みかけた夕陽が差し込んでいた。
――壊れかけた心が、わずかに修復される音がした。
夕暮れの屋上にて、少女たちが再び顔をそろえる。
ことり、澪、紅、涼、ルナ、そして……沙羅。
「恋愛観測部は、まだ終わらないよ」
ことりがそう告げた時、悠真の中に確信が芽生えた。
(この部活には、何かがある)
(そして、彼女たちの“恋”の先には……俺が、答えを出さなきゃいけない)
観測は終わらない。
なぜなら、“恋”という名の不確定現象は、これからもっと加速していくのだから。