「――ちょっと、いい加減にしなさいよ、悠真!」
放課後の教室。
鋭く響く声とともに、神崎紅のポニーテールが揺れた。
悠真は教卓に寄りかかりながら、疲れた笑みを浮かべる。
「今度は何だよ、紅。俺、また何かやらかしたか?」
「やらかした? 違うわよ、いつもみたいに“やらかしてる途中”なのよ。今日だって……ことりとお弁当食べてたでしょ?」
「……食べちゃダメだった?」
「ダメじゃないけど……私とも、たまには一緒に食べようとか……そういうの、ないわけ?」
最後の一言は、蚊の鳴くような声だった。
悠真は目を瞬いた。
「あー、ごめん。気づかなくて。ていうか、紅ってあんまり昼に教室にいないからさ」
「それは! ……他の子と被らないように、配慮してただけよっ!」
「……え?」
「べ、別にあんたのためじゃないし! ただ、効率のいいタイミングを図ってたの! 観測の一環として!」
そう言って、紅はバンっと自分のノートを机に叩きつける。
“観測記録・神崎紅 私的補足ノート(非公開)”
悠真はタイトルだけで色々と察してしまい、何も言えなくなる。
「見ないで。これはあんたの観測記録じゃないから」
「……俺のじゃないのかよ」
「ちがうわよ……これは、“私自身の恋愛観測”の記録なの」
「えっ?」
紅はしばらく無言だったが、ふいに頬を赤く染めた。
「自分でもね……ちょっと、おかしいって思ってるの。でも、ずっと胸がザワザワしてて……あんたのこと考えると、論理的に説明できない感情が溢れてくるのよ」
「紅……」
「それに、私はずっと疑問だったのよ。“恋”って、どうしてこんなに人の思考を狂わせるのかって」
悠真は息を飲む。
「私は、恋って“錯覚”だと思ってた。ホルモンや環境、タイミングに左右される一過性の現象……そう思ってた。でも、違ったの。私がこうして――」
そのとき、教室のドアがゆっくりと開いた。
「お邪魔かしら?」
入ってきたのは、白石涼だった。
その背後には、天音ことり、黒羽澪、十六夜沙羅、金森ルナの姿もあった。
「うっす〜!!」
「こっそりふたりっきりで“観測”中……ではなさそうね?」
「な、なにしに来たのよ……!」
紅が顔を真っ赤にして叫ぶ。
「部会よ。今日の観測結果の共有と、“本来の目的”について話し合いたいってことになったの」
「……本来の目的?」
悠真が思わず問い返すと、ことりがゆっくり頷いた。
「うん。これまであたしたちは、恋愛の“観測”を続けてきた。でも……観測だけじゃ終われないよね」
澪が手帳を取り出して言う。
「結論が、必要……。仮説だけで終わらないのが、科学」
沙羅が静かに微笑む。
「そして……その“結論”とは、悠真くんの“選択”なのよね?」
一瞬、静寂が流れた。
神崎紅が、悠真を見つめる。
「……じゃあ、はっきりさせなさいよ。観測対象としての悠真じゃなくて、“ひとりの人間としての悠真”が、どう思ってるのかを」
「紅……」
「私は逃げないわ。どんな答えでも、ちゃんと受け止めてやる。……ただし」
紅はキッと目を細めた。
「答えを出す前に、もう少しだけ……私の“初恋の仮説”に付き合いなさいよ、悠真」
それは、神崎紅なりの――告白だった。
悠真は小さく笑った。
「わかった。観測者から、観測される側に戻るけど……全力で、受け止めるよ」
夕焼けが教室を染めていく。
“恋愛観測部”――その真の目的とは何なのか。
悠真が選ぶ“答え”とは、誰の名を呼ぶことなのか。
物語は、加速度を増して――終焉へと向かっていく。