「どうして……私じゃ、ダメなんですか?」
図書室に響いたのは、白石涼の震える声だった。
誰もいない放課後の静謐な空間。
開いた文庫本のページが、窓から吹き込んだ風にふわりとめくれる。
そして、そこに立っていたのは――悠真。
「涼……」
「ずるいです、先輩。ずっと、わかってたんですよ。先輩がことり先輩を見てる時の目……誰よりも優しくて、温かくて、ちょっと照れてて……私には、そんな目を一度も向けてくれなかった」
涼は笑った。けれど、その目に浮かぶ涙は隠せなかった。
「でも、気づかれないようにしてました。ずっと“優等生”で、“文学少女”で、“観測者”として振る舞ってたのに……やっぱり、私って人間、弱いですね」
「……違う。涼が弱いんじゃない。俺が、鈍いだけだった」
悠真が一歩、彼女へ近づく。
「本当は、気づいてたんだ。君がときどき口にする毒の裏に、優しさがあるってこと。俺を“観測”してるフリをしながら、本当は……ずっと、俺の隣にいてくれてたんだってこと」
「先輩……」
「だからこそ、ごまかしちゃいけないんだ。涼の想いにちゃんと向き合うべきだって、今は思ってる」
静かに、彼女の肩に手を置いて。
「ありがとう。俺のことを好きになってくれて。支えてくれて……本当に、ありがとう」
涼は一瞬、言葉を失った。
けれど、すぐに小さく笑った。
「じゃあ……さようなら、ですね。“恋愛観測部”の私じゃなくて、ただの女の子として、先輩を好きだった――白石涼は、これで観測を終了します」
ぽろぽろと、涙が落ちる。
けれど、それは確かに“本当の笑顔”だった。
その日の帰り道。
悠真は、校門近くの花壇に腰かけている少女を見つけた。
「……金森?」
金髪にゆるふわパーマ、ピアスにギャルメイク。
――けれど、彼女はどこか影のある瞳をしていた。
「よ、悠真。帰り?」
「……ルナこそ、こんなとこで何してんだよ」
「んー……なんとなく。ってか、なんで私の名前覚えてるの? 地味な観測対象のひとりだったでしょ?」
そう言いながら、彼女は寂しげに笑った。
金森ルナ。
明るく軽そうなギャルだが、誰とも深く関わらない“距離感の達人”。
「実はさ、あたしも……悠真のこと、好きだったんだよ?」
「えっ」
「だってさ、みんなとちゃんと向き合ってるじゃん。誰にも優しくて、でもちゃんと決断しようとしてるとこ、ずるいくらいかっこいいし……」
彼女は、空を見上げる。
「でもあたし……怖いんだよね。恋って、裏切られるかもしんないし。捨てられるかもって思ったら、怖くて近づけなくなる」
「ルナ……」
「でもさ、そんな自分が、あんた見て変わったんだ。ちょっとだけ、信じてもいいかもって……だから、ことり先輩のこと、ちゃんと大事にしてあげて。そういう人なら、報われるって思ったから」
悠真は、彼女に向かって深く頭を下げた。
「ありがとう。俺、ちゃんと決める。ことりと向き合って、終わらせるよ――“観測”じゃなくて、“恋”として」
ルナは照れ隠しのように笑って、手をひらひら振った。
「……青春かよ。マジ眩しいんですけどー」
そして、夜。
悠真は、校舎裏の小さな桜の木の下でことりを待っていた。
「……来てくれたんだな」
「うん。涼ちゃんから、全部聞いたよ。ルナちゃんにも会った。……悠真、あたしに伝えたいことがあるんでしょ?」
ことりの表情は、覚悟を秘めたものだった。
悠真は深く息を吸って、目を見た。
「ことり――俺は、君といたい。恋愛観測部でも、放課後の笑いあった日々でもなく、ただ“君と僕”で未来を見ていきたいんだ」
「……」
「君の明るさも、泣き虫なとこも、全部、好きだ。これからも、その隣にいさせてほしい。俺と――付き合ってください」
沈黙。
そして――
「……バカ」
ことりは、ぽろぽろと涙をこぼしながら、彼の胸に飛び込んできた。
「……やっと、言ってくれた」
「ごめん、待たせて」
「もう、絶対に離さないでよ……?」
「うん、絶対に」
小さな桜の木の下、二人の影がゆっくり重なった。
物語は、あと一話。
恋愛観測部の“真の目的”が明かされ、すべての想いが完結する。
――最終話「恋愛観測部、解散式」へ続く。