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第9話 :囚われの鳥籠4

 セレスティアがエドワードの執務室で彼の想いの一端に触れてから数日が経った。彼が「お前を離さない理由」を語るたび、そこには必ずといっていいほど、かつて愛を失った者の痛切な孤独が滲んでいた。幼い頃の環境、愛を得られないまま大人になった境遇――彼の行きすぎた執着は、決して単なる所有欲だけではないのだと、セレスティアは感じはじめていた。


 ところが、その“執着”が次第に形を変えようとしていることに、彼女は気づきはじめる。ある朝、いつものように広間で朝食を摂っていると、エドワードがふと口を開いた。


 「セレスティア、これからしばらく外へ出るな。お前は屋敷にいて構わない」


 その言葉に、セレスティアはパンをちぎる手を止めた。一瞬何を言われたのか理解できず、戸惑いのまま彼を見つめる。


 「……どういうこと、ですか? 外出の予定なんてほとんどないけど、買い物や散歩ぐらいは……」


 「必要なものがあれば、使用人に言えばいい。外で済ませられることなど、俺の屋敷ならすべて賄える。散歩は庭園ですればいいだろう」


 エドワードは当然のように言い放ち、スープを口に運ぶ。まるで彼にとってそれは“当たり前の決定事項”であるかのようだった。セレスティアが抗議の言葉を探しあぐねていると、彼は冷徹な眼差しをこちらに向けて口を開く。


 「先日、外でお前を見かけたという輩がいてな。貴族かどうかも定かでないが、妙な噂を流しているらしい。万が一、そいつがお前に接触してきたら、厄介なことになる。……俺としては、お前を傷つけられる可能性を徹底的に排除したい」


 セレスティアは呆然としてしまう。いかにも“心配だから”といった調子だが、その言葉には“自分が目の届かない場所へ行くな”という暗黙の圧力がこめられているのがわかる。確かに、敵対する貴族や怪しい人物から守りたいのかもしれない。だが、それにしても行動制限が一気に強まるとは想定外だった。


 「そんな……私、ここへ来てからほとんど外出もしていないのに。屋敷の庭以外も見てみたいし、街の様子だって知りたいわ。あなたの領地なのだから、むしろ案内してくれてもいいくらいだと思っていたのに」


 素直に本音をぶつけると、エドワードはひとつ鼻で笑うように息をついた。


 「必要を感じない。お前は“公爵夫人”として、ここで十分に保護され、何不自由なく暮らせる。外へ出て危険に遭うくらいなら、ここにいたほうがいい。……俺の妻が襲われたり、面倒に巻き込まれたりなど、想像するだけで腹立たしい」


 まるで「お前は俺の大切な所有物だ」と言わんばかりの独善的な態度。セレスティアの胸はかき乱される。彼が心配してくれているのは嬉しいが、それ以上に「自分の意思を尊重してくれない」ことへの悲しみと苛立ちが募っていく。


 それ以降、セレスティアの行動は驚くほど制限されるようになった。屋敷の外へは行かせてもらえないし、彼女が屋敷内を歩くにも、必ず侍女や執事、あるいは護衛兵がつきまとう。彼女の身を守るため――という大義名分ではあるが、その実態は“どこへ行こうとしているのか常に監視する”行為に近かった。


 最初は「彼が危険から遠ざけてくれているのだ」と考え、セレスティアも納得しようとした。だが、時間が経つにつれ、まるで籠の中の小鳥さながら、自由のない日々に押し潰されそうな窮屈さを覚えはじめる。少し息抜きに外の空気を吸いたいと口にしても、「買い物なら使用人が行く」「用がなければ外に出る必要はない」と一蹴されるのだ。


 「あなたの領地を知りたい。ここがどういう場所で、住んでいる人たちがどんな生活を送っているのか、それを私が理解するのも、あなたの“妻”として大切なことではないの?」


 ある晩、寝室でエドワードと顔を合わせたとき、セレスティアは思いきってそう主張してみた。しかし、エドワードの答えは冷淡だった。


 「余計なことをしなくていい。お前にはここで安全にいてもらえばそれでいいんだ。俺の領地のことなど、お前が一々関わる必要はない」


 まるで突き放すような口調。セレスティアはひどく寂しくなった。それでも、幼い頃から愛を知らない彼の不器用さや、失うことへの恐れを理解しているからこそ、怒りをぶつけるのではなく、説得したい気持ちが強い。


 (きっと、私が外の世界で何かを見て、いずれ彼のもとを離れてしまうことを、内心で恐れているのかもしれない――)


 そんな推測が頭をよぎる。だが、その推測が正しいかどうかを確かめる手段はない。彼は自らの本音を滅多に語らないし、セレスティアの問いかけをすり抜けるかのように躱してしまう。それは、彼の弱さを見せたくない一心からなのかもしれない。だが、それでも彼女には苦しかった。


 日々の生活は、屋敷の中だけで完結する。使用人たちに囲まれ、豪華な食事も用意され、衣服にも不自由しない。見ようと思えば美しい庭園もあるし、図書室にも蔵書が溢れている。表面的にはなんの不満もないはずなのに、セレスティアの心は重く沈んでいた。


 ――まるで、本当に“鳥籠”の中にいるみたい。


 「あの人は、私を愛してくれているのかしら。それとも、本当に“所有物”としか思っていないの……?」


 そんな疑問が頭をもたげるのは、夜が深まった頃だ。ベッドに入り、彼がやや遅れて寝室へやってくる。セレスティアを抱きしめ、熱を注ぐ彼は、どこか必死なほどに求めてくる。熱い肌の感触、荒い呼吸、執拗なキス――それらすべてが「お前を離さない」という強い意志の表れである一方、セレスティアの意思を尊重しているようには見えない。


 それでも、彼の抱擁の奥にある孤独を思うと、悲しみだけでなく愛しさが込み上げるのも事実だった。かつて誰にも満たされなかった心が、今もなお渇望している――そんな姿を、セレスティアはどうしても放っておけない。だが、かといって自分自身がこのまま“所有物”として生きるのは、到底受け入れられないという葛藤に苛まれる。


 こうしてセレスティアの外出禁止が続く中、屋敷の中だけで何とかやり過ごす日々が始まった。外界とは遮断されたような感覚。使用人たちは皆、彼女に敬意を払いつつも、エドワードの意向には逆らえず、彼女が外へ出る手段は事実上閉ざされている。

 (彼の優しさと、私への執着がごちゃ混ぜになって、どうしようもなく息苦しい――)


 セレスティアは窓越しに、遠く広がる町の風景を見つめる。夜にはきらびやかな灯が瞬き、人々の生活がそこにあるのだろう。それなのに、その景色を直に感じることは許されない。彼女は豪奢な調度品に彩られた寝室で、眠りに落ちるまでの長い時間を、胸の奥の切なさと格闘するように過ごすのだった。


 やがてセレスティアは、ここから出られないという現実を、否応なく突きつけられる瞬間を迎えることになる。彼女の心には、まさしく鳥籠に閉じ込められた小鳥のような悲痛な叫びがわだかまっていた。「もっと外の世界を知りたい、自分自身を取り戻したい」――そう訴えたいのに、エドワードは聞く耳を持たない。

 (どうすれば、あの人に私の気持ちをわかってもらえるの……?)


 問いかけは闇に消え、夜の静寂が屋敷を包む。セレスティアの瞳は眠りを拒むように冴え渡り、隣で眠るエドワードの温かさを感じながらも、どこか遠くへ飛んでいきたい衝動を必死に押し殺すしかなかった。まるで、開かない鳥籠の扉を前に、もがいているかのように――。



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