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第86話「北守城砦」

 鬱蒼うっそうと木々が生い茂る、古の森が遠方に見えてきたあたりで、山賊を一掃していたアナ姫たちと、村々を回っていたケイン一行は合流した。

 ここには、アウストリア王国軍のモンジュラ将軍が治める北守城砦がある。


 一口に北守城砦といっても、その領域は広い。

 北のエルフの国との国境から東の帝国との国境までの広い範囲をカバーする、一つの大きな城砦と十二の支砦しさいが連なる、王国の一大防衛拠点である。


 ケイン一行がやってきたのはその中心地、モンジュラ将軍のいる大城砦だった。


「北守城砦は腐敗してるって話やったけど、エルフの国を独断で威圧しただけでなく、獣人を連れ去ったとか、いくらなんでも信じられへん話やで……」


 ケインの話を聞いて、魔女マヤはうーんと頭をかかえる。

 この地に住む獣人たちは、ランダル伯爵領の領民なのだ。


 もちろん、王国軍の将軍だからといって勝手に捕らえていいわけがない。

 仮にも一軍の将が、そこまでアホとは信じられない。


 中央から遠く離れた国境付近の王国軍は、質が悪くなると言われる。

 東の帝国に対抗するため、地方領主の軍に頼るのではなく、わざわざ王国軍を国境に駐留させているのだが、今度はその地方を守る将軍が王国政府の命令を無視するようになり、軍閥化ぐんばつかしていくという問題に頭をかかえているのだ。


「そのなんたら将軍ってやつをぶっ殺せばいいのね」

「ちょっと待ってやアナ姫、そんな簡単な話やないんやで!」


 モンジュラ将軍は、堅牢な北守城砦を統治しており、手元には千五百の兵を有している。

 独断専行を責めることはできるが、下手に取り除こうとすれば、内乱に発展する恐れもある。


 北守城砦が混乱すれば、それに乗じて帝国が攻めて来る可能性すらある。

 そうなれば大陸を二分する大戦争にすら発展しかねない。


「マヤさんは、どうしたらいいと思う?」

「ともかく、まだ何もわからへんのやから、詳しく内情を調べてからの話やろ。ほら帝国軍が領民をさらったって可能性も残されとる」


 将軍の暴走に見せかけた帝国の離間りかんの策、そういう可能性だってあるはずだ。

 むしろ頼むからそうであってくれと、王国政府の官僚でもあるマヤは切に願う。


 アナ姫は、自分をかかわらせず二人で相談しようという雰囲気にいきどおる。


「ちょっとさっきからなによ。なんで二人とも、私を無視して頭越しに話すのよ!」

「いや、アナストレアさんを無視したわけではないよ」


「せやで、アナ姫の意見もちゃんと聞いとるやないか」

「そう? なら良いけど。私は、そのなんたら将軍を討伐して、ケインを新しい将軍にすれば解決すると思うの。どう素晴らしいアイデアでしょ」


 得意げなアナ姫の素晴らしすぎる意見にケインは苦笑して、チラッとマヤと目を合わせてから言う。


「とりあえず、城砦に行ってみようか」


 ケインの意見にマヤも頷く。


「せやな、まずハイエルフの女王に結婚を迫った件で、モンジュラ将軍を非難はできる。まずは、相手の出方を見るべきやろう」

「なによ! やっぱり私を無視してるじゃない!」


 そんないつもの調子で、大城砦の前まで行ったのだが、マヤがヘナヘナとその場に突っ伏してしまった。

 まさかと思ったのに、こんなのってないよと涙目になって叫ぶ。


「アホかぁ! お前らは、ほんまにアホなんか!」


 大城砦ではむちを持った兵士たちが、鎖につながれた獣人たちを堂々とこき使っていたのだ。

 罪もない領民を捕らえて奴隷として使役していることを、隠してすらいなかった。


 どうやら、獣人たちは城砦の補強に使う石材を運ばされているようだ。

 基本的に獣人は人間よりも身体能力が高いが、かなり疲弊しているようで、まだ幼い獣人が倒れてしまった。


「お水を、ください……」

「まだ休憩時間ではないぞ、手を休めるんじゃない!」


 兵士は、倒れた犬耳の男の子に鞭を振るう。


「調べるまでもなかったわね」


 そこに誰よりも早く、剣姫が飛び込んでいく。


「何だお前は? うあ、ぎゃぁぁあ!」


 ひょいと兵士から振るおうとした鞭を奪い取ると、剣姫はその鞭を兵士に打ち浴びせた。

 兵士は絶叫して、その場に転げ回る。


「何だお前は! ここをどこだと思っている!」

「これは、一体……」


 騒ぎを聞きつけて辺りから、兵士たちが集まってきたが、異様さにすぐ気がつく。

 たかが革の鞭の一撃で、兵士の着ている鋼鉄の鎧が粉々に砕け散っているのだ。


 このようなことができるのは、王国でただ一人。

 ありえない光景に戦慄する兵士は、自分たちと敵対している相手が、剣姫アナストレアだということに気がついてしまった。


「ケケケ、ケケーッ!」


 こともあろうか剣姫を怒鳴りつけてしまった兵士が、狂ったように叫んでその場に倒れ込んだ。

 殺される。確実に殺される!


「神速の剣姫アナストレア様……」


 ザワッとした空気が流れて、兵士たちの顔が蒼白になる。


「さあ、あんたたちは何回、無辜むこの民を叩いたの? 十回? 二十回? その回数だけ私が鞭で叩いてあげるわ」


 剣姫にそんなに叩かれたら、確実に死んでしまう!


「待った! アナストレアさん」


 そこに割って入ったのは、脱力しているマヤではなくケインだった。


「なによ、ケイン」

「兵士は命じられただけだろう。罪は、命じた人間にあるはずだ」


「隊長を叩けばいいってこと?」


 剣姫がそう言った瞬間、現場を指揮する小隊長が「ヒィィィ!」と悲鳴をあげて失禁しっきんした。


「いや、そうじゃなくてね……」


 ケインは、剣姫に鞭で叩かれて悶絶もんぜつした兵士を抱き起こして介抱してやる。


「良かった、まだ死んでないようだ。聖女様、すまないけど回復してあげてくれるか」

「はい、ケイン様!」


 久しぶりに出番のきた聖女セフィリアは、張り切って回復魔法をかける。

 兵士たちは、剣姫アナストレアの行動を押しとどめて、聖女セフィリアに指示できるこの男は誰なのだろうとざわつき始めた。


「ケイン。そんなやつを助けてあげることないのに」


 剣姫の言葉に、ケインの側にいたテトラも同調した。


「今回だけは剣姫の言うとおりだ。こんなやつらは殺すべきだ!」


 同族を鞭打った兵士たちに向かって、テトラは毛を逆立ててガルルルと牙を剥いている。

 それでも襲わないのは、ケインが間に入って止めているからだ。


「二人が怒るのはわかる。でも、そんなに簡単に人を殺してしまってはいけないんだよ」


 あまりのことに脱力して崩れ落ちていたマヤだが、ケインのその言葉を聞いてムクッと顔を起こした。


「アナ姫! そうやで、ケインさんの言葉をちゃんと聞いとき!」

「なによ、マヤまで……」


 アナ姫に命の大切さをどう教えたら良いか、マヤはずっと悩んでいたのだ。

 ケインの言葉は単純だが、それだけに響く。


 これぞ大人の意見だと、マヤは感動した。

 マヤはなまじ知恵者なので、色々なことを考えすぎてそういう言い方ができないのだ。


 だがそんなマヤも、役に立てることがある。


「ケインさん、ここは領主代行として命じるときやで」


 マヤは、この場のおさめ方を簡単に説明した。

 ケインは頷くと、声を張り上げて叫ぶ。


「兵士の皆さん。あなたがたは将軍に命じられたことをやっているだけかもしれないが、ランダル伯爵領の領民である獣人たちを傷つけるのは、領主代行として見過ごす訳にはいかない。即刻、民を解放してほしい!」


 ケインの言葉に、領主代行が助けに来たのだと知って、鎖につながれていた獣人たちが歓声を上げた。

 そう命じられても、兵士がオロオロとしてるので、マヤが威圧した。


「この御方をどなたと心得る! ランダル伯爵の亜父あふ、領主代行にして、悪神を二度もしずめし善者ケインや! 恐れ多くも国王陛下より緋光勲章スカーレット・エンブレムを二つもたまわりし大英雄やぞ、さっさと言うとおりにせんかい!」


 兵士たちがざわめいたのは、領主代行でも善者でもなく、緋光勲章スカーレット・エンブレムを二つというところだ。

 こんな辺境の地にいる王国の兵士たちだからこそ、名誉を重んじる。


 自分たちの将軍でも持ってない最高位の勲章を与えられた英雄が、信じがたいことにあの剣姫に意見して自分たちを救ってくれた。

 兵士たちは、それを目の当たりにしている。


 凡庸ぼんような見た目のケインだからこそ、実力を隠しているすごい人物なのではないかと兵士たちは思った。

 そうして、将軍の意に逆らってその命令に従うことを選んだ。


 兵士たちが獣人たちの鎖を次々と外していく。


「た、助かった!」

「代官様、ありがとうございます!」


 解放された獣人たちが、口々にケインにお礼を言った。


「……あるじ、もう同族を助けてもよいか」

「ああ、もちろんだ。助けてあげよう」


 ずっと我慢していたテトラも、獣人たちの救援へと走る。

 ケインは、先程水を欲しがっていた犬耳の男の子に水を飲ませてやった。


 シスターシルヴィア、ローリエ、セフィリア、回復魔法を使える者たちがケインを手伝って、傷ついた獣人たちの治療を始めた。


「さてと……」


 マヤは、深いため息を吐く。

 こうなった以上、すでにモンジュラ将軍の運命は決まった。


 マヤはこれから、なるべく王国にダメージを与えない手段で、後始末を考えなければならない。

 そこに騒ぎを聞きつけて、兵士を引き連れた大隊長がやってきた。


 その大隊長は、マヤの見知った顔であった。


「これは、マヤ殿!」

「……オルハン隊長。いや、今は大隊長やったな」


 マヤたちとも因縁いんねん深い王国軍の大隊長だ。

 かつての悪神との戦いでは、一度はシデ城砦の警備隊長として防衛を担当し、二度目はマヤの指示で大隊を率いてエルンの街の防衛を担当している。


「このたびは、面目次第めんぼくしだいもない!」


 その場で深々と頭を下げるオルハン。


「どういうことなんか、事情を説明してもらおうか」


 北守城砦に赴任したばかりの大隊長オルハンは、モンジュラ将軍がエルフの国に脅しをかけて、獣人たちを捕まえて奴隷のように扱っているのを見て愕然とした。


「もともと私は、モンジュラ将軍が勝手なことをしてないかお目付け役として送られたのだ。しかし、配下である自分が公然と将軍に逆らうわけにもいかず、当面のところ捕われた獣人たちが死なないように、こっそりと世話をするしかなかったのだ」


「同士討ちの危険もあったから、それはしゃーないやろな」

「王都に窮状きゅうじょうを伝える文は送ったのだが……」


 それがまだ届いてなかったというわけなのだろう。

 腐敗しているという噂が立っていた北守城砦のことは気になっていたから、マヤだっていい機会だと思ってこうして見に来たのだ。


 マヤもオルハンも、この目にするまで、まさか将軍がここまで愚かな真似をするとは思っていなかった。

 まったく、二人とも貧乏くじばかり引かされている。


「それでどうするんや。もうこうなったら将軍を追い落とすしかないやろ」

「すでに北守城砦の兵士の半分以上が、私の指揮下に入っている。善者ケイン殿のおかげで、将軍派の兵士もだいぶ減ったようだし、今ならいけると思う」


 ケインに心服した兵士たちは、鞭を捨てて傷ついた獣人たちを介抱するのを助けているほどだった。


「じゃあ、モンジュラ将軍が気がついてない今のうちやな」


 マヤの合図に頷いて、大隊長オルハンは配下の兵士たちに将軍派を懐柔かいじゅうして、それでも逆らうようならば捕縛することを命じた。

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