目次
ブックマーク
応援する
いいね!
コメント
シェア
通報

第11話  最初の音合わせ

音楽室の空気が、張りつめていた。


 五人の椅子が円を描くように並び、それぞれが譜面を前に黙って座っている。


 「……じゃあ、合わせてみようか」


 神谷奏多がそう言って、ピアノに手を置くと、全員が静かに呼吸を整えた。


 (五人での演奏──これが初めて)


 心音は自分の弓をそっと構えながら、隣の美月を横目で見た。


 オーボエの朝比奈美月は、澄んだ表情のまま、息を吸い込んだ。


 奏多のカウント。

 そして、最初の一音──


 柔らかなピアノの和音に、フルートがそっと重なり、チェロが深く支える。

 心音のヴァイオリンがその上に重なり、最後にオーボエの旋律が立ち上がった。


 (……綺麗)


 思わず、心音は演奏しながら感じた。


 美月の音は──透明で、まるで水面に落ちた一滴のようだった。

 決して強くはないけれど、耳に残る。不思議な力を持っていた。


 けれど──数分後、演奏が止まると、音楽室の空気はぴりついていた。


 「……なんか、うまくいかないね」


 澄香が小さくため息をついた。


 「それぞれの音は悪くないけど、溶け合ってない」


 「タイミングが微妙にずれてる。特に中間部のテンポ感が噛み合ってない」


 陸も冷静に分析する。


 心音は、自分の演奏を思い返す。

 (私のせい……? それとも……)


 「ごめんなさい。たぶん、私の入りが少し早かったかも」


 美月が口を開いた。けれど、その声には謝罪というより、ただの“報告”のような冷静さがあった。


 「……ううん、私も音が硬かったと思う」


 心音もすぐに応じた。


 「とりあえず、もう一度やってみよう」


 奏多の一言で、再び楽譜がめくられる。

 その瞬間、澄香がふとつぶやいた。


 「……まるで最初に戻ったみたい」


 「え?」


 「最初、私たち四人が組んだときも、こんなふうにバラバラだったじゃない。

 でも、少しずつ合ってきた。時間はかかったけど、ちゃんと音がつながるようになった」


 その言葉に、心音ははっとした。


 (そうだ。焦らなくていい)


 新しいアンサンブル、新しい音、新しい誰か。

 最初からうまくいくはずなんて、ない。


 「……がんばろう。また、私たちで合わせていこう」


 自然に、そんな言葉が心音の口から出た。


 それに、美月も、ほんの少しだけ目を細めてうなずいた。


 「……はい。よろしくお願いします」


 その笑顔に、心音はわずかな戸惑いを覚える。

 どこか距離のある微笑み。

 それでも、その奥にあるものを知りたいと思った。


 (私はこの人を、もっと知りたい)


 演奏という名の「対話」が始まった。

 それぞれの本音がまだ隠されていても、音だけは嘘をつけない。


 そんな“音合わせ”の一日目が、夕暮れとともに、静かに幕を下ろした。


この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?